トトガノート

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videoストアで「LADY〜最後の犯罪プロファイル」を見ました。ちょうど2年前に放送されたようです。まだ、HPがありました。ありがたいことです。

「謎解きはディナーのあとで」(今年映画化されるようですね)の北川さんの方が楽しくていいんですが、こちらもなかなか良かったです。

ユースケ・サンタマリアと木村多江さんのコンビはどこかで見たなぁと思ったんですが、NHKの「カレ、夫、男友達」でした。これは妻がお気に入りだったので本放送を見ました。どんな話だったか全然覚えてないのですが、ユースケさんの変態ぶりが印象的でした。同じく2011年の秋に放送されていたようです。「LADY」という次々と変態が出てくるドラマを経た後でしたから、やりやすかったかもしれません。

それはともかく…

「LADY」は猟奇的な犯罪者が次々と出てきます。強い妄想の霧に包まれたものたち。常軌のレールが完全に見えなくなって、他人たちの共同幻想よりも自分の妄想が強いリアリティを放ち、エキセントリックな犯罪に手を染めていく。

北川さん演じる香月翔子は、この妄想を「ファンタジー」と呼んでいました。これが、とても印象的でした。妄想の中にいる時、彼らはディズニーランドにいる子どものように至福の状態にあり、メルヘンの世界で妖精と戯れるが如く楽しみながら、その手を血に染めていく…。

犯罪者の心理なんて自分とは無縁、ましてこんな猟奇的な人たちなんか…と、普段は思いがちですし、そう思うことで自分と犯罪者との間に一線を画し、無意識のうちに自分の正常性を保とうとしているような気がします。というか、このドラマを見ているうちに、そう感じるようになりました。

最初のうちは、その猟奇的な犯罪者に拒否反応を示す自分がいました。しかし、回を重ね、見慣れてくると、彼らと自分との間には本質的な違いが無いのではないかと思うようになりました。

私たちは、みんな、それぞれの妄想(ファンタジー?)の中に「自分」を包み込み、アイデンティティをガードしています。

猟奇的な殺人鬼との違いは、その霧の濃淡の違いでしかない…そんなふうに考えると、何だかとっても怖くなります。

(2013/2/12記)
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videoストアで「仮面ライダー」を見ています。1号・2号が出てくる最初のシリーズです。最近の仮面ライダーに比べると、ストーリーも設定も戦い方も非常にシンプルで分かりやすいですね。

ほぼ毎回、違った怪人が出てきて一話完結という形になっていますが、印象深いものもあれば殆ど記憶にないものもあり、その濃淡に幼い自分の関心が表れているようで面白いです。

「仮面ライダー」によって自転車やバイクに傾倒していった人も多いと思いますが、私は理科(特に生物)に興味を持ったようです。

ライダー自身がバッタをモデルにしているので、昆虫に興味を持ちました。放送順に列挙すると、クモ、コウモリ、サソリ、食虫植物、カマキリ、カメレオン、蜂、コブラ、コンドル、ヤモリ、トカゲ、サボテン、ピラニア、ヒトデ、カニ、蛾、ムササビ、毒キノコ、アリ、ムカデ、モグラ、クラゲ、三葉虫、アリクイ、ダリア、アルマジロ、ガマガエル、エジプトのミイラ、トリカブト、エイ…。これらにピンポイントで興味を持ち、そこから他の虫、植物、魚、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類へと興味を広げていったようです。三葉虫では、地球の歴史にも興味を持ち始めました。

ゾル大佐、死神博士、地獄大使が出てきてからは、怪人一人一人への関心が薄らいだようで、怪人の印象はかなり稀薄になっています。

それから、緑川ルリ子役の真樹千恵子(森川千恵子)さんがタイプなので久しぶりにドキッとしたんですが、「仮面ライダー」には第13話あたりまでしか残念ながら出演していません(藤岡弘さんの怪我のため巻き添え降板)。「コートにかける青春」や「アイアンキング」でお見かけして、恋心が芽生えたのだと推察されます(笑)。

(2013/2/2記)
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videoストアで「北斗の拳」を一気見しました。本放送の時はサウザーが死ぬところまでしか見ませんでした。結末が見れて、スッキリしました。

「悪」と対峙するものは普通は「善」だと思うのですが、番組では「愛」ということになっていました。だからキリスト教的なのかと言うとそうでもなく、どちらかと言えば「哀」に近く、仏教的な印象です。哀しみから起こる怒りは大きな力を生むものとされています。

この怒りの扱いや、相承の厳しさ、奥義を唱える時に梵字が出てくるところなど、真言密教をモデルにしているように感じました。また、他者を守るために、自分の身体の一部や命を捧げるところは、太平記のような軍記物の魅力を含んでいます。そう考えると、このアニメの面白さは、仏教史や太平記とか三国志などの要素を織り込んだところにあるのかもしれません。

今になって思うと、仏教史とか軍記物とか、本物の方が断然面白いんですが…もともとそういうことに興味があったから「北斗の拳」に魅かれたのか、「北斗の拳」でそういう興味が芽生えたのか、よくわかりません(笑)

(2013/1/25記)
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videoストアで「北斗の拳」を一気見しました。本放送の時はサウザーが死ぬところまでしか見ませんでした。結末が見れて、スッキリしました。

改めて見て気づいたのは、「死ね!」とか「消えろ!」とか、小学校では使ってはいけないチクチク言葉が頻繁に出てくること。身体が吹っ飛んでしまう戦闘シーンも残酷ですし、教育上はよろしくないですね。

この間違いの始まりが正に二元論だと思うのです。つまり、善と悪をはっきり峻別できるという前提。それに基づいた勧善懲悪のかっこよさが全編に流れています。

どこまでも卑劣な悪い奴ら。だからどんな酷い言葉で罵っても良いし、どんなに残酷な方法で殺しても構わない…という論理。

泥棒の財産なら盗んでも構わない、人殺しの命なら奪っても構わない、という法は無いはずなのですが、ケンシロウがそれをやると痛快だと思ってしまう。これが、勧善懲悪のお話の落とし穴のような気がします。

現実には、水戸黄門や必殺仕事人のように分かりやすい悪は存在しません。絶対的かつ恒常的な悪の存在は有り得ません。悪と思える人たちがいたとしても、その人たちにはその人たちの善があり正義があるかもしれないのです。だから、酷い言葉はいけないし、暴力もいけないのです。

そんなことを考えてしまって、昔のようには気持ちが入り込みませんでした。

(2013/1/16記)
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