トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:釈迦

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「釈尊の生涯」(春秋社)
「14.サーリプッタ、モッガラーナ、およびマハーカッサパの帰仏」を読みました。

カッサパ兄弟を始めとする千人の比丘ができてまもなく、仏弟子中第一の双比丘とされるサーリプッタ(舎利弗)、モッガラーナ(目牛建連)が250人の徒衆と共に、仏教に帰依するようになりました。

それから間もなく、マハーカッサパが帰仏しています。仏の大弟子の一人で、厳粛生活において第一とされ、仏滅後は最高の長老として、仏典編纂会議座長となった人です。カッサパ三兄弟と区別するため、大カッサパ(大迦葉、摩迦迦葉)と呼ばれています。

教団はどんどん大きくなりました。生活が保証され、国王その他の権力が及ばない治外法権的な性格を帯びてきました。比丘になれば、一般人が到底望めないような良医にかかれるという特権をもつようになりました。そのために、特権目当てで入団する人も増えてきました。そこで、本当に求道が目的なのかをテストする出家受戒規定が設けられました。

布薩規定も設けられました。これは後に出家教団の粛清の儀式になったそうですが、当初は外教のやり方を模倣したもので、国王ビンビサーラの勧めに従ったものでした。

組織管理という仕事で、急に忙しくなったことでしょう。でも、釈尊は王家の出ですから、そんなに苦でもなかったかもしれませんね。

《つづく》


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「釈尊の生涯」(春秋社)
「13.ウルヴェーラーにおけるカッサパ兄弟の帰仏」を読みました。

釈尊はマガダ国のウルヴェーラーに向かいました。ここにカッサパという姓の高齢の三人兄弟のバラモンがいて、三人合わせて千人の弟子がおりました。釈尊は長兄を教化することで全員が仏弟子となり、千人の比丘を率いることになりました。

さらに国王ビンビサーラも帰依し、国王所有の竹林精舎が仏教教団に寄進されました。

比丘たちは、毎日規則的な生活を繰りかえし、一日の大部分を禅定思惟によってすごしました。世間的なむだ話は禁じられ(聖黙)、話し合うならば仏教の教理学説や実践修行に関することに限られました。

《以下引用》
比丘たちに禁ぜられている世間的むだ話には、国王の話、盗賊の話、大臣の話、軍隊の話、恐ろしい話、戦争の話、食物の話、飲物の話、衣服の話、乗物の話、床臥の話、華鬘の話、香料の話、親類の話、村落の話、町邑の話、都市の話、国土の話、女の話、男の話、英雄の話、路傍の世間話、井戸ばたの雑話、死者の話、うわさ話、俗哲学、宇宙開闢の話、有りや無しやの話などのものがあげられる。

比丘が話すことを奨められている法談には、少欲の話、知足の話、欲を遠離する話、烏合の集会をしない話、精進努力の話、戒律の話、禅定の話、智慧の話、解脱の話、解脱したとの智見自覚の話などの十種(十論事)があり、その他、修行、証果、涅槃などについても語るべきである。
《引用終わり》

結構、細かい人なんですね…

《つづく》


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「12.ベナレスにおけるヤサなどの教化」を読みました。

ミガダーヤ(鹿野苑)のあるベナレス(バーラーナシー)は釈尊時代の二三百年前から賑わっていたと考えられ、富裕な商人が数多く存在した。その豪商の子、ヤサに行われた説法が施論・戒論・生天論の三論と言われています。※三論宗の三論とは別です。

これは、仏教以前からウパニシャッドなどで説かれて来た業報因果の説です。釈尊当時のインド思想では最も健全穏当な学説でしたが、仏教の正しい教理学説を理解するために役立つものだったのでヤサに説いたと考えられます。

施論(施与慈善の話):常に慈悲の心がけをもって、困窮者や宗教家などに、衣食住などの施与をなすこと。

戒論(戒律道徳の話):生物を殺傷せず、他の金銭財物を盗まず、うそをつかず、よこしまな姦淫を犯さず、というような戒律を守り、常に道徳的な生活を続けること。

生天論(幸福な天国に生まれる話):上記の二つをを守っていれば、その応報として、来世には天国に生まれて、幸福な生活を送ることができる。逆に守らなければ、来世は必ず地獄に生まれて、苦難不幸の報いを受ける。

原始仏教の十善が大乗仏教で十善戒になったということですが、この戒論がルーツかも知れません。

仏教を知らない初歩の者には当時のインドでは常識的な上記の三論を説き、相手が業報思想を理解し因果の道理を正しく信ずるようになると四諦を説くという方法を、釈尊は取りました(次第説法)。

ヤサの友人たちなどに教えは広まり、阿羅漢が約60人になりました。この人たちが布教活動を始めることになります。

《以下引用》
…仏教の目的は、社会全体が平和で幸福になることであって、単に出家者のみのものでない…。むしろ出家者は在家者のためにあるのであり、世間の大部分を占める在家者を全体的に向上発展させるのが仏教の目的である。この関係は、医者と民衆との関係にも似ている。…医学や医術は医者のためにあるのではなくして、一般民衆のためにあるのである。これと同じく、民衆の精神的病気を治療すべき出家者は、民衆指導のために仏教を学び仏道の修行をするのであって、仏教は僧侶のためにあるのではなく、一般民衆のために存在するのである。
《引用終わり》

出家は当時のインドの習慣のようなものなので、仏教教団も自然とそれに倣ったということでしょう。

ですから布教形態は、時代や場所に応じて、変化していいと、私は思います。

《つづく》


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「11.最初の説法」を読みました。

釈尊が苦行をしていた頃釈尊を見守り、苦行を放棄した釈尊を見限って釈尊の下を去った五人の比丘がいたのですが、さとりを開いた釈尊はこの五人に四諦について初めて説き(初転法輪)、三転という三段階があることを述べます。

第一段:示転:見道の位:四諦の理論を正しく把握する。
第二段:勧転:修道の位:四諦に対する実践修道。
第三段:証転:無学の位:理論と実践とが一致し、体得される。

五比丘は四諦の教えを聞き、法眼を得ました。つまり、四諦や縁起の理論を理解し、仏教的世界観・人生観が確立しました。異教の説に迷わされない信仰確定の状態。

参考文献「仏教要語の基礎知識」

《つづく》


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「10.成道後の坐禅思惟」の後半を読みました。

縁起関係はマイナスの面(苦悩とその原因理由)とプラスの面(浄福とその原因理由)があります。

十二縁起を「無明によって行あり…生によって老死愁悲苦憂悩生ず」というように順方向にたどる関係が苦悩の生起するマイナスの面で、流転縁起といいます。無明や業のために流転輪廻して、苦悩を受ける場合です。四諦では、苦とその原因理由としての集とが、これにあたります。

「無明の滅ゆえに行の滅あり…生の滅ゆえに老死愁悲苦憂悩滅す」というように逆方向にたどる関係が苦悩の滅するプラスの面で、還滅縁起といいます。輪廻を断じ苦を滅して、理想の状態に還る場合です。四諦では、滅(理想)とそれへの手段方法としての道とが、これにあたります。

転法輪経で説かれている四諦説は…

苦:生は苦である。老は苦である。病は苦である。憎む者と会うのは苦である。愛する者と別れるのは苦である。求めて得ないのは苦である。要するに執着による身心環境は苦である。

集:性的な官能の欲、幸福な世界に生まれたいという欲、虚無の状態を願う欲、など。これらは輪廻的存在を継起させ、いたずらな喜びやむさぼりを伴い、いたるところで満足を得ようとする誤った欲求である。

滅:上記の誤った欲求を残りなく滅し捨て去り、それを解脱して無執着となること。

道:八正道

《以下引用》
われわれは種々の誤った欲求をもち、それがけっして十分に満足されないところから、あるいは満足されたとしても、誤った行為となって悪い結果を招くことから、苦悩を受けるのである。ゆえに苦悩を受けないためには、誤った欲求を除くようにしなければならない。…心の病気である苦悩を滅するためにも、苦の直接原因としての誤った考えや誤った欲求を除くだけでは不十分であって、その精神生活全体を誤りない健全なものに向上発展させなければ、理想を達成することはできないのである。この意味での身心の全体的な向上発展を計り、人格を完成させていくために八正道という種々の修行の方法が要求される。
《引用終わり》

《つづく》
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「釈尊の生涯」(春秋社)
「10.成道後の坐禅思惟」の前半を読みました。

縁起説は「此あれば彼あり、此生ずるがゆえに彼生ず、此なければ彼なし、此滅するがゆえに彼滅す。」という基本命題で表される。

精神的なものも物質的なものも、全ては生滅変化するものである。何もない所に突如として生じたり、存在するものが全くの虚無になったりすることはない。すべては、因(直接原因)と多くの縁(間接原因・条件)との関係によって変化しているだけである。生とは他のものが形を変えて姿を現すことであり、滅とはそのものの姿がなくなって他のものへと形を変えることである。

「此生ずるがゆえに彼生ず、此滅するがゆえに彼滅す。」「諸行無常」は時間的因果関係を示す。

「此あれば彼あり、此なければ彼なし。」「諸法無我」は論理的相関関係を示す。

釈尊は、この縁起の道理が複雑難解であるため、世人に説くことを断念しかけた。

《つづく》


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「9.さとりの内容」の後の方を読みました。

外教の実践論に対する批判が書いてあります。

前出の神意論・宿命論・偶然論は、いずれの理論も、修行をしたところでどうしようもないという気持ちにさせてしまうもので、実践のしようがない。

禅定については…
《以下引用》
人生の最高最大の目的はすぐれた智慧を活躍させて、自己および周囲の社会の平和と幸福のために役立たせることである。釈尊時代の禅定主義は、精神の統一と肉体の束縛からの精神の解放とを問題とし、それをもって直ちに理想の状態としたけれども、実はそれは単なる理想の精神状態を作り出すという形式手段にすぎず、その形式のうちに含めらるべき内容としての智慧については、まったく触れることがなかった。釈尊は内容的の智慧こそが最も大切であり、この智慧が仏教の根本教理としての前人未説のものであったのである。
《引用終わり》

理想とする境地については…
《以下引用》
釈尊当時の宗教家たちの間では、来世に天国に生まれて幸福となることを、最高の理想とした者が少なくなかった。また無活動の絶対静寂を理想とした者もあった。釈尊によれば、これらはいずれも誤った欲求であって、前者は幸福なる存在への欲求(有愛)といわれ、後者は非存在への欲求(無有愛)とせられた。また一部の哲学者や一般の人々の間には、現世で官能の満足を求めることをもって、人生の最高理想であると主張する者もあったが、仏教ではこれを欲愛としてしりぞけた。真の理想は死後の来世においてではなく、現在のこの世において、しかも日常生活の間に到達されるものでなければ、理想としての意味も価値もないことになる。
《引用終わり》

これは後世も、現在の新興宗教でも見られるような気がします。浄土教を曲解すれば有愛、禅宗を曲解すれば無有愛、真言宗を曲解すれば欲愛、となりそうな感じですね。

仏教の理想とは…
《以下引用》
単なる苦悩の解決だけでなく、個人の人格の完成であり、社会の融和浄化である。そして釈尊の菩提樹下におけるさとりの内容としての智慧(漏尽智)は、このような究極の目的を達成する体験的知識であったのである。この段階では、個人自身の幸福よりも、社会全体の平和幸福を念願するようになって、宗教の出発点としての個人の幸福は眼中になく、個を犠牲にしても全体のために貢献し奉仕するということになる。それは釈尊の四十五年の活躍によって示されている。
《引用終わり》

《つづく》



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「釈尊の生涯」(春秋社)
「9.さとりの内容」の中ほどを読みました。

釈尊当時のインド思想界で、本体論に次いで問題となったのが現象論だそうです。現象界がいかにして発生し、いかに変化するかということです。当時のシャモン、バラモンの主張は…

1.神意論(自在化作因説)
最高神を立てる正統バラモンの主張。現象世界の発生・持続・消滅すべては全知全能の神(自在天とか梵天)によって支配されており、人間の幸・不幸の運命も神の意志によって決まるとする。

この理論では人間の自由意志が全く認められず、我々は自身で自分の運命を開拓することが許されない。責任もなく、自分の意志による修養努力もなくなってしまう。

2.宿命論
我々の運命は、前世の行い(宿業説)や、生まれながらの階級(階級因説)や、地水火風などの要素の結合状態の良否(結合因説)によって、あらかじめ定まっているという考え方。

神意論と同じく、我々の自由意志の介入する余地が全くない。

3.偶然論(無因無縁説)

因とは直接原因、縁とは間接原因をいう。我々の運命は、最高神やその他のものに左右されることはない。

運命は偶然に起こるから、偶然の好機を捉えることだけが必要であり、機会が到来した時に直ちに把握し享受すべきであるという、刹那的享楽主義になってしまう。

***

真理はいずれにあるか、という問題なのかもしれないのですが、真理であることを証明することも難しい問題です。ですから、前掲の三つの論の問題点を考慮し、自分の運命に対する考え方としてどんな理論が哲学的・宗教的に意義深いか、という思索を釈尊は巡らしたのではないかと思います。

自分の運命に対してどんな捉え方をすれば、人々は生老病死の苦悩から解放され、元気に生きていくことができるのか…それが釈尊の、宗教デザインのコンセプトのようです。

《つづく》


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「9.さとりの内容」の最初の方を読みました。

釈尊がさとった漏尽通は、存在するものはすべて生滅変化するものであり(諸行無常)、そこに絶対不変の本体というような存在を認めない(諸法無我)ということが出発点になっています。ところが当時のシャモン、バラモンたちの主張は全く逆でした。

到底わかってもらえないだろうから人に説くのはやめようとしますが、梵天勧請によって説く決心をします。

釈尊の主張は…
1.実体界は苦の解脱に関係のないことだから、たとえ本体の問題が解決されても、それは人生問題の解決には役に立たない。
2.このような実在は時空のうちになく、時空のみに関係するわれわれの経験をこえたものであるから、われわれの経験的知識によっては絶対に解決されない。

1.は、ソクラテスが、当時のソフィストたちが、単なる議論のための議論(詭弁論)に終始しているのを批判したのに似ている。
2.は、カントが、彼以前の唯心論や唯物論が問題とした実体は、われわれの経験をこえた形而上学的存在であるから、その解決はわれわれの経験的知識では不可能である、としたのに似ている。

釈尊は当時の形而上学的問題を十無記または十四無記の名でまとめている。箭喩経の毒矢(毒箭)の喩えが有名である。

《以下引用》
仏教外の一般の宗教や哲学では哲学問題として、「何があるか」、「何であるか」という本体そのものを取り扱ったが、仏教では、「いかにあるか」、「いかにあるべきか」という現象の考察およびそれへの対処方法を取り扱ったのである。換言すれば、仏教では、ものが存在するか否かではなく、ものの存在はいちおう通俗的立場で現象としてこれを認め、その存在がいかなるあり方をし、いかに生滅変化するか、そして理想としてはそれはいかなるあり方をすべきであるかということを探求し考察したのである。もののあり方は理論的には無常であり無我であり、さらに実践的には無我――他と矛盾衝突することのない、正しい法にかなった無執着にして自由自在なあり方――の態度を取るべきであるというのが、仏教の根本的立場であった。
《引用終わり》

《つづく》


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「8.菩提樹下の思惟と成道」を読みました。

苦行をやめて体力が回復した太子は、菩提樹(アッサッタ樹という一種の無花果)の下で思念をこらしました。悪魔の来襲(修行の妨げとなる一切のものを例えたんでしょうね)を受けながらも、ついに悟りを開きます。このとき悟ったとされるのが…

・宿命通(宿命明):自分および他人の過去を知る能力。
・死生智通(天眼明):人々の未来の運命を予知する能力。
・漏尽智通(漏尽明):後述。
・神変通:空を飛んだり水上を歩いたり体を大小にしたり…ウーム、忍術のようなものでしょうか。
・他心智通:他人の心を見抜く力。
・天耳通:聴力が敏感であること。

で、先の3つを三明、後の3つを加えて六通あるいは六神通、または三明六通と言います。
釈尊は全てを身につけたということですが、漏尽智通のみが仏教者の悟りとされています。

《つづく》



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