先週、複雑系科学の池上高志先生のことを書きました。
「一個の水の分子。一個だけでは水なのか氷なのか湯気なのか分からない。そして、どんどんマクロに見ていくと、我々の体の中で生物の一部になっていたりする。生物かどうかは、スケールで違うのか?」
このイメージ、「本当」の世界で書いたこと、「思い込み」の平野で書いたこと、「思い込み」の海で書いたこと、と似てます。
これって華厳経のイメージかもしれませんね。
こういうイメージで考えると、自分という存在自体が相対的で、あやふやなもののように思えてきます。「自分」に関しては、あの疑い深いデカルトでさえ疑わなかったんですけどね。
「一個の水の分子。一個だけでは水なのか氷なのか湯気なのか分からない。そして、どんどんマクロに見ていくと、我々の体の中で生物の一部になっていたりする。生物かどうかは、スケールで違うのか?」
このイメージ、「本当」の世界で書いたこと、「思い込み」の平野で書いたこと、「思い込み」の海で書いたこと、と似てます。
これって華厳経のイメージかもしれませんね。
こういうイメージで考えると、自分という存在自体が相対的で、あやふやなもののように思えてきます。「自分」に関しては、あの疑い深いデカルトでさえ疑わなかったんですけどね。