「唯識入門」(春秋社)
「第四章.識と縁起」の「四.識とアートマン」を読みました。
『中辺分別論』第一章「虚妄分別」の第十一偈後半が出てきます。
(1.11cd)〔この十二支の縁起はまた〕三種、二種、および七種の汚染の存在であり、(それらはいずれも)虚妄なる分別に由来する。
これは世親の注釈に基づいた一覧表がありますので、本書を参照して下さい。
《以下要約》
「汚染の存在」は玄奘訳では「雑染」とされるもので、輪廻の全過程をさす名。
識とよばれているものは、過去世から未来世へと一貫して存在する外教のアートマンと同じに見えます。が、この識は十二支第三項であり、縁起した法のひとつです。そして全ての法は刹那滅、すなわちなんらの持続性をもたず、生ずるや否や滅する現象ということになっています。これは唯識説も同じ立場です。
刹那滅ということで、識が縁起したものであることは自明であり、最初に虚妄分別が有ると言われたのはこういう意味だということになります。
《以上要約…詳しくは本書参照》
《つづく》
「第四章.識と縁起」の「四.識とアートマン」を読みました。
『中辺分別論』第一章「虚妄分別」の第十一偈後半が出てきます。
(1.11cd)〔この十二支の縁起はまた〕三種、二種、および七種の汚染の存在であり、(それらはいずれも)虚妄なる分別に由来する。
これは世親の注釈に基づいた一覧表がありますので、本書を参照して下さい。
《以下要約》
「汚染の存在」は玄奘訳では「雑染」とされるもので、輪廻の全過程をさす名。
識とよばれているものは、過去世から未来世へと一貫して存在する外教のアートマンと同じに見えます。が、この識は十二支第三項であり、縁起した法のひとつです。そして全ての法は刹那滅、すなわちなんらの持続性をもたず、生ずるや否や滅する現象ということになっています。これは唯識説も同じ立場です。
刹那滅ということで、識が縁起したものであることは自明であり、最初に虚妄分別が有ると言われたのはこういう意味だということになります。
《以上要約…詳しくは本書参照》
《つづく》