トトガノート

All about TOTOGA

結婚

ブログネタ
結婚 に参加中!


ちょうどひと月前のことです。親戚の結婚式に行ってきました。親戚と言っても本人と顔を合わせたことはありませんでしたし、自分の結婚式は済み、友人の予定もなく…特に深い感慨も無く参加しましたが、逆にくつろいだ感じで心地よいひと時でありました。ただ、ズボンがきつかった、ホック外してるのに!

特に気づいたこととしましては、「幸せ!幸せ!」と余り言わなくなったような気がしました。スピーチでは、むしろ「結婚生活はいろいろなことがありますが…」的な内容が多く、祝賀会というよりは壮行式という感じさえする。

驚いたのは、天童市長が「選挙に出馬すると妻に言いましたら、すぐに離婚すると言われました」とおっしゃったこと。もちろん、「何度も自分の気持ちを説明して理解してもらって離婚はしなかったから、お互いに話し合うことが大事だよ」という話でしたので、これからのスタートを前に二人の気持ちを引き締めるという意味では良い話なのですが…。披露宴のスピーチで「離婚」という言葉は絶対禁忌だと思っていたので、驚きました。

それだけ、結婚の厳しい現実に触れずにはいられない時代だということでしょう。

さて、前置きが長くなりましたが、先日の3Dの話が結婚のスピーチのネタになるんじゃないかと思いましたので、書いてみます。


立体感は、右目と左目で違った見え方をすることで生まれます。右目と左目が全く同じに見えていたのでは、立体感は生まれません。右目の見え方も左目の見え方も尊重し、見え方の違いを大切にすることによって、一つの目では見えなかったものが見えてくるのです。

だから、相手の考えが自分と違うからといって封じ込めてはいけないのです。違うからこそ大切にしなければいけない。性格の不一致、価値観の不一致、人生観の不一致…etc.があればこそ一緒にいる意味があるのであって、別れる理由にはなりません。毎日毎日、小さなことも話し合って、お互いの違いを見つけ合い、指摘し合い、尊重し合うことこそ重要なのです。

長い人生の中には、片方の目が病気で働けなくなることもあるでしょう。あるいは視野が狭くなって、大切なことを見落としたりすることもあるでしょう。それでも両目が補い合えば、大抵のことは乗り越えられるのです。


いかがでしょう。ちなみに、耳でもいけそうですね。とか手とか足とかも、できないこともないでしょう…良かったら、お使い下さい。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ブログネタ
結婚 に参加中!
以前、出産した妻が男か女かを証明する書類を提出して欲しいと郵便局に言われてビックリした話を書きました。男が出産する例も、世界中探せばあるのかもしれません。ただ、うちの妻が男なのに出産したということになれば、取りあえずニュースになると思うんですけどね。

数年前、同性愛者同士の結婚を法的に認めて欲しいという動きがあって、話題になりました。男が子供を産んだということか?と思ったのですが、そうでもないようでした。

だとすると、男同士あるいは女同士が結婚する意味って何だ?と、そのとき考えました。お互いの性別を超えて愛を貫いた人たちが、法律を超えられない理由って何?

結局、財産とか所得税(配偶者控除とか、その国にあるのか分からないけど)とか、お金のことしか思い浮かびませんでした。結局、愛はお金を超えられなかったんだな…ということになって、一見「純愛」の話のように見えてたものが、ガラガラと音を立てて俗っぽい話になってしまった。

さて、夫婦同性に比べたら、夫婦別姓は小さな問題なのかもしれません。強制ではなく、選択の自由が認められるということですし。結婚のハードルが一段低くなるかもしれません。名字を変える手続きが面倒だ!というのが、要望してきた人たちの主な理由でしょう。結婚する人が増えることにはつながるかもしれない。

ただ、離婚へのハードルが低くなることでもありますけどね。

結婚という形が、どんどんと変容してきています。

離婚して母子手当を貰っているけど、別れた旦那さんは夜な夜な毎晩訪れるというカップルもいるそうです。事実婚なのに毎晩密会ですから、恋愛感情は燃え続けるでしょうね…しかも、わが子にも会えて、お金も貰えるということですから、幸せなことです。

夫婦別姓が認められれば、そんな新しい結婚の形(?)もやりやすくなることでしょう。

ただ、個人的意見を言えば、結婚というのはそれなりの覚悟が必要なわけで、名字を変えることを面倒くさいと思うようでは、その先どうなのかな…と思ってしまいます。もっと面倒くさいことにならなきゃいいけど。

私の場合「僕の名字をなのってくれますか?」というのが妻に対する結婚の意思確認でして、事実上のプロポーズになったような気がします。だから、別姓が認められると、ちょっとさびしいな…
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
結婚前に妻と議論したことを思い出しました。相手を信じるとはどういうことなのか。細かい内容は忘れました。でも、そのとき自分が自問し、決心したことがあります。

相手に疑念を抱かざるを得ない状況になったとき、そして疑念を深めざるを得ない状況が重なったとき、更には疑念が事実であるということが分かってしまっても…

その事実が自分を完全に裏切ることであろうとも…

信じることができるか?と自問しました。実際にその事態にならなければ分からないけれど、少なくとも仮定の中ででも「Yes」と答えられなければ結婚してはいけないのではないか、と。

人を信じるとはそういうことではないか?

それは、信用とか信頼の「信」というよりは信仰の「信」なのかもしれません。

その人を諦めるということはあります。結婚ならば離婚です。親子関係を諦める。友人関係を諦める。信用とか信頼をやめるという選択肢は常にあります。

でも、血のつながった実の子(を信じること)を諦めるのはとてもとても悲しいことです。「本当はいい子なのに…」という捉え方をすれば、どんなに自分の意に反した形で育った我が子をも諦めない道が開けるかもしれない。

であるならば、「本当はいい人なのに…」と捉えることによって、夫婦関係を、あるいは友人関係を、そして全ての人間関係を諦めない道もあるのかもしれない…

それはそれこそ悟りの道。遠く険しい道でしょうね…

《つづく》
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

生物学では常識なのでしょうけど、オスは一度にたくさん子供が作れる、メスは間違いない自分の子供を作れる、これがそれぞれのメリットだそうです。以前ドーキンスの本を読んで、なるほどそういう捉え方ができるなと感心したものです。

結婚の起こりというのは所有・私有という概念がもとになっていると思います、私見ですが。自分の財産みたいなものが残せるようになると、自分の子供に残したいと考える。

「自分の子供」にこだわることは、本来オスにはできません。オスというのは「自分の子か分らない子供をそこらじゅうに作ることで自分のDNAを残す」という戦略を取りますから。だから、母系社会が最初に出来上がるのが理にかなっていると思います。日本でも最初は母系社会でした。結婚の始まりが通い婚の形式だったのも理にかなっています。所有という概念を戦略上重視しているのはメスですから。

男女の力関係がつりあってくると、一夫一婦制となり、貞節が美徳とされるのでしょう。オスは同時に子どもをたくさんつくるというメリットを捨てる代わりに、(ほぼ間違いない)自分の子供を得ることができます。メスもいろいろな遺伝的素質を持った子供を得るというメリットを捨てることになりますが、オスからのサポートを期待できるということでしょう。

ここまでまとめて気付きました。やはり、育児は男も手伝わないといけないんだなあ。

《つづく》
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ