私が住んでおりますところ周辺のゴミ焼却施設の灰から放射性セシウムが検出されたとのこと。国の基準は1キログラム当たり8000ベクレルであるのに対し、7800ベクレルも検出されているにもかかわらず、ことさら基準を下回っていることを強調する滑稽さにも慣れてきたところですが、先日、児玉龍彦先生が「総量」で議論しなければ意味が無いとおっしゃったことを改めて思い出しました。

屋外に放置されていた剪定枝に放射性セシウムが付着したとして、「剪定枝」のキログラム当たりのセシウムの量は問題が無かったのでしょう。でも、これを燃やしてしまうと問題になる。含まれるセシウムの量は焼却の前後で余り変わっていないはず。飛灰となって煙突から出て行った分を考えれば、「総量」としてはむしろ減っているはずなのです。ですが、燃焼という形でセシウム以外の成分が目減りしてしまうと、簡単にほぼ基準値くらいのヤバい代物になってしまう。

燃焼が放射性物質を濃縮したことになります。同じく、下水処理施設の汚泥からもセシウムが検出されたということで、基準値を下回るとは言っていましたが、これは汚泥をどれほど濃縮するかで決まることですから、基準値にこだわることが如何に無意味であるかがわかります。

この機械的な濃縮でさえ、こんなに簡単にセシウムが集まるのですから、生体内ではどうなのでしょう。生命活動とは体内に取り込んだ物質を分解し、成分ごとに選択的に処理していくことです。ヨウ素に対する甲状腺のように、セシウムを選択的に取り込む臓器はないのか、あるいは私たちの生態系の循環の中で、セシウムに限らず、放射性物質を選択的に取り込む生物はないのか、その生物は食物連鎖の中で最終的に私たちの体の中におさまる可能性はないのか…

と考えていきますと、濃縮するプロセスは私たちの身の回りに(焼却施設や下水処理施設を含めて)散在しているわけで、キログラム当たりの基準値をかざすことが如何に愚かであるかは、ちょっと考えればわかることなのです。

例えば、アルコールの摂取制限を度数で行うのに似ています。ウイスキーは一滴たりとも飲んでは駄目だが、ビールなら無制限に飲んでもいいというようなもの。全く意味がありません。

政府やマスコミの中にこれに気づく人がいないのか、特に児玉先生の説明を聞いて「あ、そうか」と気づく人がいないのか、不思議でなりません。

今回のように焼却施設で放射性セシウムが見つかったとして、濃度が基準値を超えていないからというので普通に廃棄されたら、いずれは漏出し、生態系の中に取り込まれて循環することでしょう。キログラム当たり7800ベクレルの灰が何トン発生したから、総量としては何ベクレルのセシウムが回収できたという考え方をして、その都度このセシウムを絶対に漏出しない方法で保管すべきではないのでしょうか?

福島の原発から放出された放射性物質が天文学的規模のベクレル数であれ、地道にコツコツ回収して行くのが責任というものではないかと思うのです。捕らえては放し捕らえては放しを繰り返したところで埒はあきません。

昨日、セシウムを含む牛肉を他の牛肉に混ぜて出荷した業者が摘発されたというニュースを聞いたような気がします。確かにこれは道義上許されることではないのですが、濃度だけで管理している愚かしい現状に対する皮肉と捉えれば、なかなかのものです。少なくとも、「国の基準値を下回っているから安全」と発表している御役所の方やマスコミの方に比べたら、この業者のほうがずっと科学的なセンスは有ると思います。

ウイスキーは度数が高いから駄目だというのなら、ビールと同じくらいの水割りにすればOKなはずです。これが科学というものです。

同様に、キロ当たり500ベクレルを下回る牛肉が「安全」だと言うのであれば、1000ベクレル含む牛肉なら0ベクレルの牛肉を同量以上混ぜれば「安全」になるはずです。これが科学というものです。牛が出荷できなくて自殺する人までいるのですから、この方法で希釈して、全部の牛肉を出荷しないのはなぜなのでしょうか?それはキロ当たり500ベクレルを下回る牛肉が「安全」だと言えないことを知っているからにほかなりません。

無意味な基準値を基準にして現状を看過しているのは、放射性物質が世界中に拡散して希釈されるのを待っているのでしょうか?だとしたら、上記の業者と同類であり、規模の上ではそれよりもずっとずっと大きな犯罪だと思うのですが、どうなんでしょうか?

私の考え、間違ってますでしょうか?