「釈尊の生涯」(春秋社)
「10.成道後の坐禅思惟」の前半を読みました。
縁起説は「此あれば彼あり、此生ずるがゆえに彼生ず、此なければ彼なし、此滅するがゆえに彼滅す。」という基本命題で表される。
精神的なものも物質的なものも、全ては生滅変化するものである。何もない所に突如として生じたり、存在するものが全くの虚無になったりすることはない。すべては、因(直接原因)と多くの縁(間接原因・条件)との関係によって変化しているだけである。生とは他のものが形を変えて姿を現すことであり、滅とはそのものの姿がなくなって他のものへと形を変えることである。
「此生ずるがゆえに彼生ず、此滅するがゆえに彼滅す。」「諸行無常」は時間的因果関係を示す。
「此あれば彼あり、此なければ彼なし。」「諸法無我」は論理的相関関係を示す。
釈尊は、この縁起の道理が複雑難解であるため、世人に説くことを断念しかけた。
《つづく》
「10.成道後の坐禅思惟」の前半を読みました。
縁起説は「此あれば彼あり、此生ずるがゆえに彼生ず、此なければ彼なし、此滅するがゆえに彼滅す。」という基本命題で表される。
精神的なものも物質的なものも、全ては生滅変化するものである。何もない所に突如として生じたり、存在するものが全くの虚無になったりすることはない。すべては、因(直接原因)と多くの縁(間接原因・条件)との関係によって変化しているだけである。生とは他のものが形を変えて姿を現すことであり、滅とはそのものの姿がなくなって他のものへと形を変えることである。
「此生ずるがゆえに彼生ず、此滅するがゆえに彼滅す。」「諸行無常」は時間的因果関係を示す。
「此あれば彼あり、此なければ彼なし。」「諸法無我」は論理的相関関係を示す。
釈尊は、この縁起の道理が複雑難解であるため、世人に説くことを断念しかけた。
《つづく》