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「釈尊の生涯」(春秋社)
「17.祗園精舎の建立とコーサラへの仏教の進出」を読みました。

《以下引用》
ラージャガハで釈尊に会って、その説法に感激した給孤独長者は、自分の故郷コーサラにも釈尊の来遊を仰ぎ、その教化を懇願した。しかし仏教教団には千人二千人という多くの比丘たちがあるので、彼らの衣食住の問題が解決されなければならない。釈尊を招待しても、教団の居住する場所が必要であり、また彼らに托鉢の不安があってもいけない。
《引用終わり》

当時のインドでは、このような形で招請されたりしたようですね。現代であれば、釈尊も違った方法で活動しただろうことが分かります。仏教もまた、その時節に合った形があるということだと思います。

《以下引用》
…サーリプッタの監督の下に、仏教教団第一の精舎が建立された。建物としては、香室(仏の居室)、控室、寮舎(僧房)、門屋、物置小屋、火屋、温室、台所、便所、経行堂、病室などが備わっていたとされるが、しかし雨期以外には比丘たちは、普通は樹下石上などの野外で過ごすことも少なくなかった。
《引用終わり》

平家物語の一節からとても小さな建物を想像していたのですが、全然違っていたようです。

《つづく》