トトガノート

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真理

科学に興味を持ち始めたダライ・ラマに、あるアメリカ人女性がした忠告は私も面白いと思いました。「科学が宗教を殺す」ということ。神は死んだそうですが、殺したのは科学なのかな…と私も思っています。

ただ、だからと言って科学に近づくのを恐れてはいけないと思います。科学をこれ以上野放し状態にしておくことは全人類にとっても危機です。「科学は人類をも殺す」だろうから。ダライ・ラマの勇気をたたえたいです。

私見ですが、科学とは客観性(あるいは再現性)のある事象から帰納的に真理を探究していくもの。宗教とは、人を幸せにする真理を示すもの(あるいは探究すべきもの)。そして真理とは絶対普遍のものなどあり得なくて、時代とともにあるいは人とともに相対的にあるものです。昔と現代で違うし、科学者と宗教者でも違う。だからこそ、歴史を振り返り、いろいろな分野の人と影響を及ぼしあいながら、永遠に追及し続けなければいけない。

さてさて、先が楽しみです。

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ダライ・ラマ科学への旅―原子の中の宇宙
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悟りとは何か?究極の真理とは何か?そこに到達するとどんなふうになるのか?悟ってしまったら、それを忘れたり、堕落したりすることはないのか?

何かの免許みたいに取得したら、ずっと大丈夫なのか?更新試験とかないのか?ミスを犯すことは無くなるのか?ミスを犯したら、停止とか剥奪とか処分されるのか?

火星でも金星でも太陽系の外でも銀河系の外でも、通用するものなのか?

悟りを得るにはどうしたらいいか?とか、成仏するにはどうしたらいいか?とかしきりに尋ねる人がいるんですが、そんなこと言う前に、こういう疑問を解決しなければいけないんじゃないでしょうかね。

自動車が何かもわからないで、運転免許を欲しがるようなものですね。

こんなことを言うと怒る方がいっぱいいらっしゃるかとは思いますが、お釈迦様は何から何まで悟っていらしたのだろうか?と私は疑問に思っています。人間には、この世のすべてのことを(ましてあの世を含めたことまで)理解する能力は備わっていないと思うから。

しかしながら…

法華経を読んでいると「真理はフツーの人には到底信じられないようなことだから、何かわかったとしても、もっと深い理解のしかたがあるんだから思い上がるなよ」と言われているような気がします。

この一事だけでも、思想家としての釈迦はすごいと思うんですね。ソクラテスの「無知の知」に似てますね。

自分を永遠の未完成品あるいは失敗作(オシャカ)と自覚して、昨日の自分よりも今日の自分をよくしようという心、それが大事だと思います。
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