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「釈尊の生涯」(春秋社)
「4.釈尊の出生から出家」を読みました。

釈尊の生母マーヤー(摩耶)夫人は35歳前後で懐妊され、臨月に里のコーリヤ国に向かう途中、両国の中間のルンビニー園で急に産気を催し、お産をしました。シッダッタ(悉達多)、サンスクリットではシッダールタ(Siddhartha)という名前は「一切の目的を完成している者」という意味。当時は珍しくない名前だそうです。

マーヤー夫人は産後の経過が思わしくなく、一週間目に他界。その末妹が新しい夫人となります。つまり、二十歳くらいの若い叔母が、継母となり、シッダッタを育てることになります。ナンダ(難陀)という弟は、この継母の子。

シッダッタ王子は沈思黙考を好む性格で、ある考えが浮かぶと解決するまで徹底的に追及しなければ気が済まない人でした。瞑想を習慣とし、禅定による精神統一が得意でした。また、生来、優れた霊能力者であったようです。

そして、老、病、死について悩むようになります。他人が老いさらばえ、または病気で苦しみ悩んでも、あるいは亡くなっても、一般の人々は他人事として気に留めない。しかしシッダッタ王子は、自分の身に引き当てて悩み、慚じ、きらい、そして自分の現在の壮年に対するおごり、健康に対するおごり、生命に対するおごりに気づき、断ち切りました。

結婚後10年して子どもが授かりますが、この子に対する愛着が出家の決意を鈍らすだろうと考え、男児出生の報を聞くと、「困ったことだ、障碍が生まれた。」と言ったので、障碍(障害?)という意味のラーフラ(羅睺羅:らごら)と名づけられたそうです。

何て親だ!全く!

《つづく》