トトガノート

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生物

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遺伝子というか、DNAというか…

「自分」とは何か?と聞かれた時に、医学的には一番間違いのないもの。

「自分」を指し示す最も純粋な情報かもしれない。

でも、こいつらは、次の世代に乗り移ろうという時に、半分しか自己主張しない。

「自分」を半分に分けて、もうひとつの半分になった別の「自分」と組になり、新しい「自分」になる。

半分は自己主張し、半分は相手に委ねる。

「自分」を半分にしない生物たちより、「自分」を半分にする生物たちの方が、複雑な生を営み、地球上で繁栄している。

だから…ということでもないんだが…

半分は「自分」に固執するのもいいかもしれない。

でも、半分は相手にゆずるべきだ。

それが、「自分」を本当に生かす道なのかもしれない…

《つづく》
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ブログネタ
科学 に参加中!
エントロピーは熱力学の用語ですが、「乱雑さ」とも言ったかもしれません。「放っておくと私の部屋は汚くなる傾向にある」と例えられたりします。自然界は乱雑さが増えていく傾向にある…

その点、生物はどうなんだろう?というのは科学の中で興味深い話題のひとつです。「生物はエネルギーを使ってエントロピーと戦っているんだ」とか「エントロピーで崩れる前に自分で破壊して新生しているんだ」とか生物学では説明されています。生体内ではエントロピーに抗した働きがあるらしい。

生体内だけなのでしょうか?例えば部屋が散らかるというのは、きれいに整頓されて立ててあったり積んであったりした物が崩れること。これは位置エネルギーが放出され発散した状態と言えます。相対論的によれば、質量を持つ物は全て莫大なエネルギーを内包していることになります。このエネルギーが放出された一例が原子爆弾などの核爆発です。物が物として存在するためには、核爆発を起こさないようにしようというエネルギー放出(エントロピー?)に抗した働きがあるにちがいない。

生物の性質として群れたがる傾向があるらしい。多細胞生物はひとつひとつの細胞が寄り集まって協力し合っていますが、進化の流れの中に単細胞生物から多細胞生物への方向性があるようです。それと同じように、私たちも家族とかコミュニティとか国家という形で群れて、協力し合い、機能的な組織を作ろうとしたりします。この社会的衝動も、抗エントロピーのひとつなんじゃないだろうか…

道端の石ころから、生き物、そして人間と、乱雑さとは反対の方向を目指す傾向があるように見えなくもない。そのひとつとして社会性というものがあるとしたら、それはやはり大事なことなんじゃないだろうか?社会を保つためにはモラルのようなものが必要だから、やはりそれも大事なことなんじゃないだろうか?

そんなことを考えながら、その一環として、さしあたり部屋をきれいにしなくちゃなあ…と思っているところです。

《つづく》
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「近代生物学は競争だけを根本的な活動原理として認め、生きものの根本的な習性として攻撃性だけしか認めようとしない」というダライ・ラマの指摘は理解に苦しみます。ダーウィンはそうだったかもしれないけれど、今は違うと思います。近代と現代の違いなのでしょうか?

ダーウィニズムは、「競争」という要素を取り除くととても面白い考え方になると思っています。経験論的というか、結果重視というか…。現存する種が(現存しているという事実・結果を尊重して)適者だったのだと言い切ってしまうのは、私にはとても画期的に感じるのです。

例えば、「殺人はなぜ悪いか?」という問いに対する答えを私は知りません。「当り前じゃないか!」としか答えられない。「法律で禁じられているから」も根本的な答えにはなっていない。「神や仏が禁じているから」くらいが関の山です。

未だに私はダーウィン的手法でしか答えを見つけられません。つまり「殺人を禁じた文化だけが生き残ったのだ」ということです。

※※※

生物と無生物の違いは何か?エントロピーがひとつのポイントだと思います。無生物はエントロピーが増える傾向があります。簡単に言うと、ほおっておけば部屋はどんどん乱雑になっていくということ。しかし、生物は逆の方向性を持っています。日々の代謝活動でも見られますが、私は進化の流れの中にも見られると思います。

単細胞生物から、個々の細胞がきちんと組織立って機能する多細胞生物に進化している。多細胞生物も更に進化を遂げて知能を身に付けると、社会を構築して大きな組織を作ろうとする。

無生物が生み出したエントロピーを、生物が消し去る役目を負っているようにも見えます。まるで、酸素を生み出す生き物と酸素を消費する生き物とがバランスを取らなければいけないように。

利他主義は、より大きな社会を構築する上で必要なものです。エントロピーを消し去るのに効果的なもの。生物進化の延長線上に位置づけられないものかとも思います。

※※※

ともかく、この章の内容に関してはダライ・ラマと私の意見は正反対のようです。

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