トトガノート

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生命保険

4月最後の週はいろいろなことがありました。一週間が長く感じられました。二つ目の出来事は、セイホのおばちゃんに激怒したことです。

何十年前から入っている生命保険があります。担当のおばちゃんも何十年のお付き合い。実績も多いベテランでいらっしゃるんだと思います。だから、確固とした営業スタイルがある。それにそぐわない状況に世の中が変わってきたとしても、おばちゃんの営業スタイルの方がずっと前からこの世に存在していたのです。それは世の中が悪いのであって、おばちゃんが悪いのではない?

何日か前におばちゃんから電話がかかってきました。ずっと更新してないから、新しい医療特約などが付いたものに更新してはどうか?という内容。私は保険はギャンブルであるという考え方なので、賭けた内容を見直すなんて面倒なことはしたくない。「最後までこのままでいい。」と答えました。

ここで諦めないのが昔の営業スタイルです。「資料だけでも見て欲しい。説明にも伺うから。聞くだけでいいから。」と言って、しつこい。少しでも多くの詳しい資料を渡すこと、わざわざ訪問して説明すること、それが誠意だと思っている。

私は「資料は興味ないので見ませんから要りません。説明も時間がもったいないので聞きません。自営業ですから家は職場と同じなので、来訪は困ります。」と言いました。ところが28日夕方、仕事中で気づかなかった隙に、資料を玄関に置いていったのです。

こういうことは今までもありましたが、さらに世の中は進んでいますから、今回は怒ることにしました。

すぐに電話をかけて抗議して、翌29日(休日)にセイホの営業所の玄関に資料の入った紙袋を提げてきました。30日は営業日なので、フリーダイヤル(大阪につながるらしい)で事情を説明し、担当者の変更を要請しました。一時間後、29日に行った営業所の責任者から電話がかかってきました。

申し上げたことを要約すると…

1.来ないでくださいという客の家に突然訪問するのはマナー違反ではないか?

2.要らないという資料を他人の家の玄関に置いていくのは、ゴミを捨てていくのと同じではないか?

3.資料やダイレクトメールの送付は相手の承諾がなければ送ってはいけないことになっているはずで、どこの会社でも「送ってもいいですか?」と確認を取り、要らないと答えた人には絶対に送らないという習慣が浸透してきている。この時期に敢えてこんな行動を取る重要性を責任者として認識しておられるのか?

4.地球環境問題に対して全地球人が取り組もうとしているときに、何十ページの分厚い資料を何冊も置いていく行為を何とも思わないのか?機能満載のケータイでさえ、マニュアルは薄いものに変ってきている。一企業として、そういう取り組みをしようとは思わないのか?

5.近所の別の保険代理店は「事務所に来て下さい!」と言って、コーヒーを飲ませてくれたりしている。「家に来られるのは困る」と言うお客さんも多いからということらしい。自分の営業スタイルを押しつけるのではなく、客の都合に配慮することが、御社が始めた「ずっともっとサービス」の精神に合致するのではないか?

そんなとこでしょうか。

実績のある優秀なセールス・レディなのだと思います。彼女の営業スタイルはかつては当たり前でした。でも、今の時代にはマッチしていないと思います。プロであれば、時代にも対応していかなければいけないのではないでしょうか?と最後に言いました。

偉そうなことを言いました。我が事として、反省もしたいと思います。
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ブログネタ
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保険はギャンブルから派生したものであることは間違いないようです。こんな話があります。
三人の男がポーカーをしながら話し合った。「おれたちの中で誰が最後まで生き残るか賭けようぜ。」三人がお金を出し合って積み立てておき、最後まで生き残った男がそのお金をいただくということにした。
これが、生命保険のはじまりらしい(これも何十年か前に読んだものなので、細かいところは正しくないかもしれません)。

そこで、生命保険をギャンブルとして見てみましょう。最近は医療保険などと一緒になって生きていても保険が下りることがありますが、話がややこしくなるので、単純にある年齢にならないうちに死んだときだけ多額のお金が貰えるというもので考えましょう。

この場合、保険会社は「契約者がその年齢までは生きる」という方に賭けたことになります。契約者は「自分がその年齢までに死んでしまう」という方に賭けたわけです。

自動車保険はどうでしょう。保険会社は「契約者は事故を起こさない」という方に、契約者は「自分が事故を起こす」という方に賭けたことになります。

いずれの場合も、負ける契約者が多く、勝つ契約者はわずかでなければ成り立ちません。パチンコとか競馬でもこれは同じですね。

さて、ここからが実は本題なのですが、健康保険はどうでしょうか?保険組合は「契約者は病気にならない」という方に、契約者は「自分が病気になる」という方に賭けています。この賭け事、勝負になると思いますか?

「一度も医者にかかったことがない」という人も結構いらっしゃるのですが、風邪を含めた病気に一切罹らない人っているんでしょうか?これは賭けてもいいけど、いないはず。

「病気になっても医者に掛からない」ということなのでしょう。でも、最近はテレビなどで盛んに重大な病気の兆候を教えているので、「自分もこの病気じゃないか?」という心当たりは誰しもあるはずです。「心配だから、(違うとは思うけど)診てもらいましょう。」と思うはずだし、私もお客様から相談を受けた場合には医師の診断を受けることをお薦めしています。

「どうせ保険が効くんだし、保険料取られているんだから、使わなかったら損だ」と、考えるのが当たり前。現役世代ならば医者に行く時間が無い!という抑制因子があるからまだいいのですが、お年寄りは病気になることも多いし、治るのにも時間がかかるし、医者にかかる時間もあります。医者の待合室がサロン化するのは当たり前だし、賭け事が成立する可能性など全くありえない。

「強制的に払わされているんだから、払っただけ使うのが当たり前」と考えるのは普通ですね。でも繰り返しますが、多くの契約者が負ける(損をする)ようでなければ、保険という制度も、ギャンブルという遊びも成り立たないのです。

自動車保険を参考に、健康保険が成立するための改善点を考えてみます。例えば、自動車保険はどんな事故にでも使えるわけではありません。免責事項などもあります。健康保険も適用されない病気(あるいは適用される病気)というのを決めて、適用されない病気だと診断された場合には下りない(全額負担)にする。

また自動車保険の場合、保険を使わないと翌年安くなります。健康保険も、最初は所得で金額を決めるにしても、医者にかからなければ金額を安くしていくというやり方はあると思います。

もちろん、そんなことをしたら医者に行く人が減って医療の質がドータラコータラという批判はあるでしょう。でも、これはあくまでも採算が合うかどうかという話なのです。人道的道義的に立派である事業・制度であるということと、採算がとれるということは全く別問題です。

高齢者医療制度をどうするかに関わらず、現行の健康保険制度は、病気の妻の医者代を稼ぐためと称して、絶対に儲からない賭け事に夢中になっているダメ亭主(時代劇に出てきそうですね)と同じような気がします。国家規模で行っているので、なおさら始末が悪い。

「医療に全く無関心なサラリーマンだった十数年前の私でさえ破綻を予想していた」という意味、わかっていただけたでしょうか?

《つづき》
年金とギャンブル
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生命保険会社はほとんどが相互会社の形を取っていますが、第一生命が株式会社に転換するということで、生保の歴史のような記事が日経に出ていました。

福沢諭吉の門下生が開いた(有)明治生命(1881〜)が生保の第一号だったようです。その後にできた日本生命の勤務医の矢野恒太という人が経営陣と喧嘩して退職し、相互会社形式の生保を設立すべく渡欧して調査。帰国後に農商務省に入省して保険業法の制定に尽力し、相互会社を制度化。初代保険課長を務めた後に退職し、1902年に設立した日本初の相互会社が第一生命なのだそうです。他の多くの生保が相互会社となるのは戦後のことだそうです。

で何が言いたいかといいますと、こんなふうにひとつのテーマを持った人が公務員になって制度を作って、ひとつの産業を創設できた時代っていいな〜ということです。矢野さんのようなことをしたいと思っても、今は無理だと思うのです。

本当に無理なのか?最初から諦めているからなのか?社会が悪いのか、人間に情熱が無くなったのか?当時と今では事情がかなり違うとは思いますが、昔の方が良かったんじゃないか?と思えてなりません。

相互会社の生保第一号の会社が株式会社転換第一号になる…時代がガラリと変わる兆しであればいいんだが。
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