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「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の二十八」を読みました。

高校の時、芸術という授業がありまして、確か音楽と美術と書道のどれか一つを選択するものでした。私は書道を選びました。その時の講師の先生の口癖が「書は人なり」でした。

書の腕前は全然上達しませんでしたが、王義之と顔真卿の名前は覚えました。空海が、この二人のみならず、いろいろな書体を自由自在に操っていたということは、授業で触れられていたかどうか、記憶にありません。

「弘法も筆の誤り」という言葉は知っていましたが、書家としてこれほど凄かったとは、この章を読むまで知りませんでした。

《以下引用》
…空海は嵯峨の請いによって、狸毛の筆を作って献上した。真書用のもの一本、行書用のもの一本、草書用のもの一本、写書(写経)用のもの一本、計四本である。…このときに添えた空海の文章(啓)に、
「良工ハ先ヅノ刀ヲ利クシ、能書ハ必ズ好筆ヲ用フ」
とあり、さらに、文字によって筆を変えねばならぬ、…として、書における筆の重要さを説いている。瑣末なことのようだが、このことは、空海の論じたり行じたりすることが、つねに卒意に出ず、何事につけても体系をもっていることをよくあらわしている。
体系だけでなく、道具まで自分で製作するという徹底ぶりは、かれの思想者としての体質がどういうものかをよくあらわしているといえるだろう。
《引用終わり》

その場面や気分で、書体を自由に変えていたというのですから素晴らしい。クリック一つでフォントを変えられる時代でさえ、なかなかそこまでできません。最澄に書いた手紙は、最澄の手紙に合わせて王義之流で書かれているそうです。

《以下引用》
ともかくも空海の書は、型体にはまらないのである。
このことは、空海の生来の器質によるとはいえ、あるいは、自然そのものに無限の神性を見出すかれの密教と密接につながるものであるかもしれない。自然の本質と原理と機能が大日如来そのものであり、そのものは本来、数でいう零である。零とは宇宙のすべてが包含されているものだが、その零に自己を即身のまま同一化することが、空海のいう即身成仏ということであろう。空海において、すでに、かれ自身がいうように即身にして大日如来の境涯が成立しているとすれば、かれの書というのは、最澄のように律儀な王義之流を守りつづけているというのも、おかしいであろう。かれは、嵯峨にあたえるときには嵯峨にあわせ、最澄にあたえるときには最澄にあわせ、さらには額を書き、また碑文を書くときにはそれにあわせた。型体はときによってさまざまであり、多様なあまり、空海がどこにいるかも測り知れなくなる。
《引用終わり》

変幻自在、観音様のようでもあり、怪盗ルパンのようでもあります。

《つづく》