トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:爆笑問題

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科学 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#66」(3月31日放送分)を見ました。素粒子物理学の益川敏英先生でした。この方は世界の大舞台で英語教育の必要性を否定したきらいがあって、ちょっとどうかなという印象だったのですが、今回の放送を見て少し好きになりました。

対称性の破れについては以前も書きましたが、「全部の素粒子を足すと光を発して無に帰す」という宇宙観は空の概念に似ているようで興味をそそります。

「タイムマシンはできますか?」という問いに「できません!」と即答。相対論というと光速が時空を自在に越えるイメージがありますが、私もタイムマシン否定派なので安心しました。

益川先生の相対論の話よりも、太田さんの主観と客観の話の方が私には難しかった。でも、理系から文系に心が移りつつある今の私には、太田さんの話の方が面白かった。

数式が表わしていることを目の前の現実のようにイメージできる能力が、物理学を勉強する人には不可欠だと思います。数式は客観ですが、イメージは主観。

一方、心霊現象など非科学的とされていることにすっかりのめり込んで、幽霊をイメージできる人がいたとすると、やはりそれは主観。

もちろん益川先生はそのふたつの主観は全く違うと一蹴しましたが、私は最近、これは区別できないんじゃないか?という方に傾いています。イメージすることはすごいことなんじゃないかと

太田さんの影響かな…

《つづく》
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爆笑問題 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養スペシャル」(3月24日放送分)を見ました。約90分の番組。いつものように録画していたのですが、小沢代表続投の記者会見で放送時間がずれてしまいました。小沢さんの進退よりも、後ろ20分を見逃したことの方が、私には百倍ショックなことです。

2009年のニッポンを徹底解剖する!という主旨でしたが、なかなかまとまりのない仕上がりでしたね。ただ、散在するいろいろな内容が、ところどころ面白かったです。

山口仲美先生が紹介してくださった山中伸弥先生(万能細胞の発見者)の話は面白かった。

「先生の今回の成果は日本的な研究手法によるものですか?欧米的な手法によるものですか?」という山口先生の問いに、「日本的なものです。欧米的な手法ではできません。」と山中先生は即答したそうです。

欧米では成果が上がりそうでなければ研究をしないけれども、山中先生は考えられることをシラミ潰しに試していって今回の成果に行きついた、つまり日本的手法の賜物なのだそうです。

近藤一博先生の「科学は宗教である」という指摘も面白かった。多くの分野において、正しいか間違っているかの最終的な判断の根拠に、科学が使われる場合がとても多いと思います。これは、確かにかつては宗教がやっていたことです。

「技術としての宗教」という観点から、科学は素晴らしい宗教たり得ます。現代において圧倒的な信者数を得ているのは、それが理由でしょう。

しかし、「哲学としての宗教」としてみた時、これほど貧弱な宗教は類例がないかもしれない。倫理的な側面が、ほぼ完全に欠落しています。それを補うものが絶対に必要です。

《つづく》
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こどもの教育 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#65」(3月10日放送分)を見ました。教育社会学の広田照幸先生でした。「学校は何も教えてくれない?」というタイトルでしたが、期待したのとは違った面白さがありました。

まず、明治期の教育はどうだったか?という研究。婿養子に入って医者を目指して勉強するが、受験に何度も失敗し、家を追い出されてしまった人。田舎町での、のぞきや夜這いの事件を報じる当時の地方紙。今と比べて、同じところや違っているところなど、当時の記録を読むだけでも面白い。そして何より、追い出された婿さんも山形出身なら、田舎町というのも山形であるのは興味深い。

何で山形なの?

安倍政権発足時に、私が最初に失望したのは「美しい国」というスローガン。そこには何も具体的なメッセージが含まれず、当たり障りのない言葉でした。教育改革も目指しましたが、「その間違いは何だったか?」という問いには、「政治家は自分の考え方が正しいと思い込んでいる人が多くて、それと同じ考え方を皆がするようになれば国は丸く治まると思っている。」というような指摘で、納得しました。

全く幼稚な幻想ですね…いろいろな考え方を教えて、その良し悪しを一緒に考えてみるのが教育だと思います。ひとつの考え方だけを教え込むのは洗脳です。

太田さんが理想とする授業というのも面白いと思いました。その日にテレビで話題になったようなことからディスカッションを始めて、そこから生じた疑問をドンドンと勉強していく授業。興味が湧いた時に学ぶ、というのは理想ですね。

ただ、それでは体系的にバランスのとれた学習ができない、というのが広田先生の指摘でした。それも、なるほどです。

勉強もゲームも本質的には同じものだと私は思っています。だから、ゲームに取り組むみたいに、子どもが勉強に夢中になるように仕向けるにはどうしたらいいのか…今、毎日考えているところです。

広田先生が目指す教育を、もう少しはっきりと聞きたかったな。著書を読めってことかな?

《つづく》
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科学 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#64」(3月3日放送分)を見ました。脳神経学の中田力先生でした。今回も「人間と他の生物の違い」という話題に興味を持ちました。

大脳構造を持つ動物は全て意識とか心を持っているだろうと思うけれども、人間は情報処理が抜群に上手い。前頭前野が発達しているから。…というのが先生の意見。

他の哺乳類も自分の経験から学び、それを子供に教えたりして情報を共有することはあるだろう。しかし、今生きている誰も経験していないことまで学びとれるのは人間だけだ。人間は種が獲得した情報を共有することができる…という指摘は素晴らしいと思いました。

「結論から言うと…」と最初から結論を言って下さる先生なのですが、言葉がシンプルで、もう少しグチャグチャ喋って欲しいなあと思いました。研究されている内容をもっと知りたかった。

「中田力」で検索して見つけた記事がこれまた興味深く、いずれ著書を読んでみたいと思います。

外界を認識するのも脳であるし、「人間とは何か」という問題のポイントとなるのも脳です。やはり、脳は全ての交差点です。

《つづく》
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日々の戯れ言 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#63」(2月24日放送分)を見ました。ロボット工学の三浦宏文先生でした。

今回の哲学的対話は、ロケット開発(NASAで!)から二足歩行ロボットの開発に転向して、人間の動きを模写することに虚しさを覚えた、という先生の述懐から。そこに太田さんが噛みつきました。

ゴキブリに意志があるかないか、ハチやアリが構成する社会と人間が構成する文明社会との間に差があるのか、なかなか面白い問いかけでした。果たして人間だけが特別なのだろうか…?

真っ向から斬りつける太田さんですが、しっかり受け止めながらもさらりと穏やかに包み込むところは、先生の人柄なのか年の功なのか。若い先生の時のようなスリリングなところが無かったのは少し物足りなかったけど、70歳くらいにはこんな雰囲気の人になりたいなあ…と思いました。

《つづく》
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アート、芸術全般 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#62」(2月17日放送分)を見ました。美術解剖学の布施英利先生でした。太田さん、結構仕掛けてました。布施先生の防戦もなかなかいい感じ。

私も等身大の人体骨格模型を一体持ってますが、自分の体と見比べながらいじっていると、どんどん時間が過ぎて行きます。確かに、人体は美しい。膨大な時間をかけて進化していく中で形作られた物だと思うと、ますます引き込まれていく…そんな(少しコワい)魅力があります。

芸術は死んでいる!テレビのように多くの人に瞬間的に強烈なメッセージを送れなければダメだ!と攻める太田さん。

見た瞬間はピンと来なくて退屈な物であっても、時間が経ってからジワリジワリと伝わっていくものが芸術である。百年経っても風化せずに、人々にメッセージが伝わる物の方がいいじゃないか?という布施先生。

太田:「そんなものに人生を懸けられますか?」
布施:「そういうものに人生を懸けている人たちが芸術家だと思います。」

田中:「その人たちは今すぐ伝わらない方がいいんですか?今すぐ伝わったからといって必ずしもすぐに消えてしまうとは限らない…」
という田中さんの質問もいいなと思いました。
※引用した言葉は、忠実に書き留めたものではありません。念のため。

芸術に限らず、仕事は何でもそういう傾向があると思うのですが、すぐに認められてしまう(成功してしまう)と、忙しくもなりますし、これでいいんだなという自己評価にもつながって、仕事師としての成長はそこで止まってしまうんじゃないかと思います。

そうなってしまえば、その人の仕事はその時代には華々しい評価を得られるでしょうが、百年先に残る可能性は少ない。一方、不遇な人生で終わるとしても、百年後に認められる仕事というのもあるでしょう。

考え方はいろいろだし、好みもあるでしょうし…自分が望む生き方を選べないのも事実ですけどね。それが人生というものだな…

《つづく》
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爆笑問題 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#61」(2月10日放送分)を見ました。音文化学の藤枝守先生でした。これも無茶苦茶私好みの話でした。太田流哲学的対話が少なかったのですが、藤枝先生のお話がとても面白かった。

平均律の話は以前にもどこかで聞いたことがあります。バッハやベートーベンの曲(平均律普及以前の曲)は、作曲者が意図した音と違う音を現在聴いている。それ以前の古典調律で演奏した方が、モーツァルトなどもより癒される…というような話。

楽器の演奏が苦手だったところから音楽が大嫌いになってしまった私ですが、レコード鑑賞の時間は大好きでした。だから、本当は音楽嫌いではないはず。社会人になってから、物理の周波数という観点から音楽を見つめ直したら、楽譜も数学的な記号であることがわかって、興味を覚えました。もっとも、未だに譜面は読めませんけどピタゴラスが音楽にハマったのもうなづける気がする。

「絶対音感なんて、あれはまさに信仰、あれはまさにフリークですよ、あの感覚は。」という先生の言葉は痛快でした。

バッハが意図したと思われる音階で演奏したものを、機会があればいつか聴いてみたいと思っています。

《つづく》
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爆笑問題 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#60」(2月3日放送分)を見ました。言語脳科学の酒井邦嘉先生でした。こういうの大好きです。文章を理解する中枢が脳の中にどのように分布しているか、という研究をされている方のようです。

種の間には境目が有ってそれぞれ別物だという捉え方が絶対的であったキリスト教圏において、進化論は大きな衝撃でした。それからというもの、人間は、自分たちと他の動物との間に境目を作ろうと躍起になっているような気がします。その境目として最も説得力があるのが言語です。酒井先生は「文法である」とおっしゃっていました。

他の動物にも言語らしきものがあるけれども、文法の有無が人間の言葉との決定的な違いであるというのが学界の定説のようです。でも、人間と動物との間に境目は無いんじゃないか?という太田さんの意見に、私も実は賛成なのです。文法を理解する能力の有無も、程度の違いであって本質的な違いではないのではないか?と。

高級言語で結びついている人間とコンピュータの関係よりも、ほとんど言葉を介しない動物との関係の方が深いんじゃないか?サイレントの頃のチャップリンの方がトーキーになってからよりも心に響くものがある!という太田さんの指摘は、なかなか面白い。

もともと物理専攻だった酒井先生ですが、なぜか言語学に興味を持った。でもそれはチョムスキーが物理学を意識して言語学を体系づけたからだと後からわかった、ということでした。この話も興味深い。今後の活躍が期待される先生の一人です。

《つづく》
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爆笑問題 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#59」(1月27日放送分)を見ました。建築設計の西沢立衛先生でした。

番組で紹介されていた森山邸。隣家や道路との境界が区切られていないオープンな設計。昇ったり降りたりする通路が家の内外にあり、子供の遊び場にあるアスレチックにも似ていて、行ったり来たりするのが楽しそうです。

新しいというよりは、懐かしいような感じさえしました。私が子供のころは、都市整備がされていなくて、車が通れない狭い道が通学路でした。公道なのか私道、屋敷の庭なのか畑なのか空地なのか、小学校の頃は全く気にしないで通学路にしていました。

だから、あまりいい設計だとも思いませんでしたね…

ただ、まっすぐな道路が碁盤の目のように切られ、立ち並ぶ家の色や形まで統一されたヨーロッパの街というのも、きれいだとは思いますが、「いい街だ」とか「住んでみたい」とか私は全然思わなくて、それに比べたら西沢さんの設計も悪くないかな…とは思いましたが。

西沢さんの設計がヨーロッパで認められているというのは、ちょっと違和感を感じます。

録画して翌28日に見ましたが、この日は楳図かずおさんの「まことちゃんハウス」の判決が出た日でした。いろんな家があるものだと感心させられる一日でした。

《つづく》
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爆笑問題 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#58」(1月20日放送分)を見ました。環境化学の田辺信介先生でした。今回も太田さん特有の哲学的問題が有りませんでした。この番組本来の面白さが無い。

#58のタイトルは「万物は汚れている」で、「万物は流転する」をもじっているんでしょう。でも、これは仏教に対する挑戦状のようにも見えました。仏教の考え方は「一切皆清浄」ですから。

「汚れる」とはどういうことなのか…自分なりに考えてみました。環境問題で「汚れる」とは混入するということですね。「化学物質による汚染」とは「化学物質が混入する」こと。化学物質が純粋な状態で存在すれば、どんな猛毒であっても汚染とは言わない。瓶の中に猛毒が入っていても、それが純粋な状態であれば、「瓶の中が汚染されている」とは言わない。

環境問題とは純粋主義の問題なのだろうか…。

《つづく》
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