トトガノート

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「犀の角たち」(大蔵出版)
「第三章 数学」の後半を読みました。

この本の説明は分かりやすいというか、私好みです。科学史の本としても非常に優れていると思います。

そんなわけで、カオスとフラクタルについても書いてあるので、メモっておきます。いつか勉強したいと思って何年も前に本を買ってあったのですが、いまだに読めてません。それらの本を全て読んだところで、この本を読んだほどの理解ができるかどうか疑問です。

《以下引用》…
カオス理論は次のように言う。
「もし仮に世界の事象が因果関係によってすべて決定されているとしても、最初の状態に少しでも不明な情報があれば、そのせいで未来を予想することは絶対にできなくなる。自然界では、最初の状態がほんの少し違っていても、その結果は必ず恐るべき食い違いへと進展するからである。したがって、物事の最初の状態を完全に知ることのできない人間にとって、この自然界の事象の動きを予想することは絶対にできない。量子論とは全く違ったスケールで、人間には認識の限界が存在し、その不可知性は絶対に避けられないものなのだ。」
…《引用終わり》


バタフライ効果も、最初に知った時には驚きました。

《以下引用》…
フラクタル数学は次のように言う。
「我々はこの複雑な世界が、単純な要素の組み合わせによってできているという先入観を持っている。神が世界を創造なさったと考えるなら、それが妥当な考えである。神が素材を組み合わせることで世の中を作ったとすれば、それは、単純な素材で複雑なものを作るという作業であったに違いないからである。しかし実際の自然界はそうではない。現実を観察してみると、複雑なものをいくら分割して細かくしていっても、複雑さは変化しない。マトリョーシカ人形のように、中から同じ複雑さがいくらでも現われてくる。したがって自然界は単純な要素の組み合わせで作られているのではない。ある同じ複雑さがスケールを様々に変えて、大きくなったり小さくなったり、全にして一、一にして全、そういう捉えがたい不可思議さで存在しているのだ」。
…《引用終わり》


仏教の説明のように見えるのは、著者が仏教学者だからでしょうか?

《つづく》
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「犀の角たち」(大蔵出版)
「第三章 数学」の前半を読みました。

《以下引用》…
数学という学問は外部からの情報とは無関係に、人間の思考だけで成り立っている分野だと考えられているから、「直覚の想定する世界が、外部情報によって訂正されていく」という人間化のパターンが当てはまらないように思える…《引用終わり》


まさにそこ、気になります。でも、一緒だよ!著者は言います。

《以下引用》…
物理学の場合、直覚が承認する神の視点を否定するのは、観察や実験によって得られる、外部世界からの情報だというのだが、情報そのものが神の視点を否定するわけではない。その情報を受け取り、解釈し、その結果「従来の世界観では、この情報を合理的に解釈することができない。だから世界観は変更されねばならない」と考える、我々自身の論理思考が、神の視点を否定するのである。
…《引用終わり》


数学史はほとんど今まで知らなかったので、とても新鮮でした。ピタゴラスが神秘宗教教団の教祖というのも興味深い。「霊魂の輪廻転生を認め、宇宙の基本原理は数、特に自然数で成り立っている」という教義を持った教団。ニュートンもオカルト錬金術師でしたが、「ピタゴラスよ、おまえもか」。

物理の勉強をしていたときに思っていたことなのですが、なぜ歴史の流れに沿って教科書を作らないのでしょう?朝永振一郎の著書「量子力学」は歴史の流れに沿って書いてあったので、面白くて夢中になりました。残念ながら、この本と出会ったのは就職した会社の近くの書店ででした。もう少し早かったら…という思いがあります。

著者も同じことを書いていて「私だって今頃は立派な集合論学者になっていたはず」というのは笑えました。

無理数、虚数などは非日常的概念なので、「何でこんなことしないといけないの?」という疑問が学なり難き少年時代の言い訳になりやすいのです。でも、こういった概念も歴史的要請があって、必要だったから考え出されたわけです。その過程に沿って、名を残した数学者がぶつかった壁を一緒に体験しながら勉強を進めていけたら、数学の時間もみんなワクワクドキドキだと思うんですが。

《つづく》
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