ambivalent…この言葉、最も好きな言葉のひとつです。宇宙の本質を言い当てているような気がするから。

光は波なのか粒子なのか…小学生の時、百科事典で調べました。どちらも本当とのこと。実験によって波の性質が観測できるものと粒子の性質が観測できるものとがある。つまり、答えは尋ね方によって違う。光とは気難しいものだなあ。

私は波なのか粒子なのか…同級生に光君がいました。私の名前にも光が付く。そして私も含めてこの世のものは全て原子という粒子でできているらしい。でも、これも実験のやり方で波の性質が出てくると習った。私も尋ね方によって、波になったり粒子になったりするらしい。そもそもそんな実験をしなくても、私は気難しいらしいが(家内談)。

おそらく、宇宙というのは何も無いのだ。有るとも無いともおぼつかない媒質くらいは有るだろう。それが振動している。振動が止まれば、私たちは宇宙ごと雲散霧消してしまう。そんな空しい存在。まして、そこに境目など無い。同じものが振動しているだけの波に境目などあるわけがない。

でも、生まれ落ちるとは境目をつけること。境目をつけることによって、自分という存在を確認できる。私たちは必死になって境目をつける。これは私、それはあなた。これは私のもの、それはあなたのもの。これは私がしたこと、それはあなたがしたこと。私たちは必死になって妄想を創り上げていく。

それは、境目のないものを区別する空しい作業。全ての苦しみはそこから生まれる。波と知りつつも、時として粒として生きなければいけない。でも、それがこの世の掟。この世に生まれ落ちるということ。

波としての自分と、粒としての自分。アンビバレントなまま、人は揺れ動く。それがこの世を生きるということ…

露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢