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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#75」(6月16日放送分)を見ました。複雑系科学の池上高志先生でした。今回の先生は爆笑問題のファンということで、なかなか示唆に富んだ内容でした。

醤油に浮かんだラー油、餃子を食べる時必ず見かけます。その動きから「生命」を解明する…

一個の水の分子。一個だけでは水なのか氷なのか湯気なのか分からない。そして、どんどんマクロに見ていくと、我々の体の中で生物の一部になっていたりする。生物かどうかは、スケールで違うのか?

地球は生き物なのか?銀河系は?宇宙は?

DNAというところから始まるお決まりの生物学ではなくて、生き物のような動きをするものから生き物を研究するという手法。生きるとは、「何(what)をしたか?」ではなくて、「いかに(how)生きたか?」ではないだろうか?という私の人生観にも似たアプローチの仕方ですね。

「生きる」とはダイナミクスである。DNAだから生き物と言っていいのか?生き生きしてたら「生き物」でいいんじゃないか?DNAという主語から始めるのではなく、状態(述語)から生き物を見つめる…

アリの例えも面白かった。アリには我々人間という存在は大きくて理解できないんじゃないか?いたずらされてても分からないんじゃないか?だから、我々人間も自分の上にいるとてつもなく大きな存在には全然気づいていないんじゃないか?そして絶対に理解することはできないんじゃないか?僕も以前そんなことを影絵に例えて書いたことがあります。

だから、まだ気づいていないものを解明するときに、DNAなんて既存の概念からスタートしたのでは行きつく先には自ずと限界が生じてしまうんじゃないですか?というのが先生の考えです。例えば、「イヌ」という既存の概念からスタートしたら、「イヌ」以上のものには行きつかないんじゃないか?

「ある程度のものができてしまうと守りに入っちゃいますよね?そこでぶち壊して行かないと更なる展開はないんじゃないですかね?そこんとこ爆笑問題さんはどうなんですか?」というような逆質問がありました。

既存の形式にとらわれないやり方、素敵ですね…

《つづく》