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「釈尊の生涯」(春秋社)
「19.比丘尼教団の成立と長老尼たち」を読みました。

叔母(養母)マハーパジャーパティーが八敬重法の遵守を誓い、随従の釈迦族女たちと共に出家を許され、比丘尼教団が成立します。

悩む女性たちの話がいろいろ紹介されておりますが、面白い(というのは不謹慎か…)と思ったのはキサーゴータミーの話です。

《以下引用》
…キサーゴータミーはサーワッティの貧者の娘であり、やせていたのでキサー(やせた)と呼ばれた。彼女は年ごろになって、ある家にとつぎ、そこでも貧しい家の娘であるとて軽蔑されたが、男の子を生むと、敬意をはらわれるようになった。しかしこの子はかわいい盛りのころに、突然に死んでしまった。彼女は死児を抱いて、「この子に薬をください。」と家ごとに乞い歩いた。人人は、「死者の薬はどこにも見たことがない。」と手を打って笑ったが、それにもいっこうに気づかずに、歩き続けた。…釈尊は、「ゴータミーよ、よくぞ来た。薬を求めるために、町の端から始めて、家ごとに回り、死者を出したことのない家から、白芥子をもらって来るがよい。」と。彼女は満足して町に入り、芥子を乞い歩くけれども、死人がなかった家は一軒もない。そこで世の中は無常であること、生まれた者は必ず死ぬべきであること、を自然に会得し、無常観を懐いて墓場にわが子を葬り、釈尊のもとにもどると、仏は、「ゴータミーよ、芥子は得られたか。」「もう芥子の件は済みました。私に安心立命を与えてください。」そこで仏は説法をなし、…
《引用終わり》

かくして、彼女も比丘尼教団に入ることになります。釈尊はおそらく超能力のようなものを持っていたとは思いますが、この逸話では何も特殊なことはしていません。つまり、真似をする気なら誰でもできます。

死んだ子を生き返らせたわけでもないし、魔法の薬を渡したわけでもない…何も解決してはいないのです。

少しだけ違う方向を向かせただけで、彼女は自然に自分の間違いに気付き、袋小路から抜け出すことができました。

老病死という避けられない問題に対して、それを魔法を使って解決するのではなく、発想を変えることで苦しみを軽減するという手法。仏教の基本形がここにあるような気がします。

《つづく》