トトガノート

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「犀の角たち」(大蔵出版)
「第四章 釈尊、仏教」の前半を読みました。

まず、脳科学についての指摘。

《以下引用》…
脳科学は、様々な領域で科学理論が成立していく、その成立機構を解明するにすぎない。脳科学自身が主役となって、そこにすべての科学理論が収束するなどということはあり得ない。科学というものは、あくまで外界からの情報が材料となって作られるものであるから、それと無関係に脳が勝手に科学的世界を構築できるはずなどないのである。
最近は脳科学が過大評価されて、「すべての科学理論は、社会状況に応じて脳が作り上げる仮想の体系だ」と主張する人たちもいるが、それは違う。外界からの情報は確実な実在であり、それをもとに、脳が人間独自の解釈法で作り上げるのが科学理論なのである。
…《引用終わり》


私は外界の存在に懐疑的な気持ちも少しあります。が、外界くらいは実在と認めなければ科学自体がナンセンスなものになりますね…。「脳」は体の一器官に過ぎませんし、人体の中には潜在的(automatically)に動いている部分がたくさんある。「腸」は自律神経の支配も受けますが、結構独立した存在らしい。『腸は考える』(藤田恒夫著・岩波新書)という本があるくらいだから、「腸科学」というのがあってもいい(笑)。

《以下引用》…
仏教と科学の違いは、仏教とキリスト教の違いよりも小さい。科学の人間化を一本のベクトルとした場合、出発点にはキリスト教をはじめとした一神教世界があり、反対側の到着点に仏教がある。もちろん科学が最終的に仏教になるなどと言うのではない。両者はそもそも求める目的が違う。しかし、その目的を求めて我々が活動する、その活動の場が、仏教と科学では同次元なのである。
…《引用終わり》


この指摘は面白いですね。理学部に仏教学科があってもいいかもしれない…

《以下引用》…
仏教とは、そういう言葉のパレードをことごとく許容してしまう恐るべき寛容さ、もっと率直に言えば恐るべきいい加減さを含んだ宗教である。…「こだわらないこと」が仏教なら、仏教徒は脳天気な阿呆の集団になってしまうではないか。
まず大切なのは、仏教のそういったいい加減さというものは、仏教が本来持っていた特性ではないということを認識することである。…
ではなぜ、本来は「ある特定の教義を主張する一個の宗教」だったはずの仏教が、今のような「なんでもあり」の宗教になったのか。それは、そうならざるを得なかった歴史があるのである。
…《引用終わり》


確かに、矛盾する言葉をくっ付けて文を作ると、仏教的に聞こえます。

《以下引用》…
仏教という宗教は、二千五百年間にわたって東アジア全域で展開してきた宗教運動であるが、それは多様化の歴史でもあった。その中にはおよそありとあらゆる形の思想、アイデアが含まれている。
どんなことでもよいから好きな思想やアイデアをひとつ挙げてみてほしい。それと似たものは必ず仏教の中に見つかる。…華厳経フラクタルを見たり、法華経量子論をくっつけたり、宇宙論にマンダラを持ち込んできてもなんの意味もない。面白いかもしれないが、そこから何が生まれるわけでもない。ただの思考のお遊びにすぎない。むしろ驚くべきことは、なんでも見つかるその仏教の幅の広さである。これは…仏教が常に分化分裂を続けた結果、きわめて多様な形態を含み込んだ複合的宗教になったことが原因である。
…《引用終わり》


その多様さは、思想的な部分だけにとどまりませんね…

《以下引用》…
その多様な仏教のそれぞれの要素は、長い時間を経て生まれてきたものであるから、それぞれが独自の歴史的背景を持っている。…
たとえば釈尊時代の仏教の要素と後期密教時代の教義は、千年近くのずれがある。それをひとつにまとめて考えても実際は意味がない。ありもしない架空の仏教を想定することになるし、下手をすればとんでもない邪説を生み出してしまうことにもなる。
…《引用終わり》


イギリスによるインド植民地政策の話もとても面白いのですが、ここではパスします。

《つづく》
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 第6章まで読みました。元素は人工的には(原則として)作れないということを聞いた時に、「原子核を変えればいいんじゃないの?」と、小学生の頃だったでしょうか、思ったことがあります。そんな突飛なことを安易に考えるから自分はダメなんだ、そうはいかない難しい理由があるんだ、それを自分は知らないだけなんだ、とその時は片付けていました。

 ところが、そんな突飛なことを長岡半太郎も考えていた!というのは大変な驚きでした。ドイツと日本で、実際に人工金の製造に成功していたそうです。10年ほど続けられたこの研究は、金の採取量が一向に増えなかったために立ち消えになったそうです。それこそ30年間の私の疑問が、この本のおかげで解決しました。

 と同時に、世が世であれば(長岡半太郎よりも早くさえ産まれていれば)、という変な悔しさと自信が生まれました。よく考えれば、長岡半太郎よりも後に産まれた人みんなに言えることなのですが…。

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 やっと第5章まで読みました。量子力学が成立していく過程を概観することができました。大学時代に量子力学の講義で、こういった歴史的背景にも触れて欲しかったと再び思いました。今、振り返ってみると「なんでこの学者さんの理論が重要なのだろう?」「なんでこの学者さんはこんな面倒な方法を考えたんだろう?」という疑問を常に抱きながら、なんだかわからないうちに大学時代が終わってしまいました。まあ、卒業できたから、担当教官の寛大さには感謝していますが…。

 この「なんで」は歴史的な要素だと思うのです。純粋に理論的な部分ばかりが講義されるのですが、歴史的背景,歴史的意義がわからないと理論の必然性を十分に理解したとは言えないのではないでしょうか?

 この本が大学時代に座右にあったら…と思います。そうしたら、勉強ができなかったまた別の理由を考え出したでしょうけど。

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 長い生命の歴史をずっと見続けてきた人はどこにもいる筈がないので、進化論もひとつの仮説に過ぎないのですが、それが正しいとして話を進めます。そうすると、私たちの血液は、35億年前に細菌やらん藻の姿をしていた祖先の血液が基になっています。背骨は、5億4千万年前に魚の姿をしていた祖先の背骨をモデルチェンジしたもの。腎臓は5億年前、歯は4億5千万年前の魚の時代に原形ができたそうです。は3億7千万年前、5本指の手足は3億6千万年前の両生類の時代。は2億3千万年前、体毛は2億2千万年前、胎盤は1億年前の哺乳類の時代に原形ができたものを継承しています。

 背骨が一番わかりやすいかもしれませんが、水中用に設計したものを陸に上げて、しかも横向きに使っていたものを縦向きにして使っているわけです。これって、5億4千万年前から想定内のことだったんでしょうか?進化の歴史をみると、「ダメでモトモト、結果オーライ」のようなので、想定内だとはとても思えないのです。ですから、うまく動かなくて当たり前のように思うのですが、それでも私たちはうまく活動できているわけで、これは奇跡のようなスゴイことに思えてきます。

 よくお客様から「何もしていないのに、肩が凝る!腰が痛い!どうして?」という質問を頂きます。「何もしていないからではないでしょうか?」というのが、私の率直な意見です。細菌の姿をしていた進化の出発点で、4億5千万年後には陸上で二足歩行するという前提があったら、私たちの骨格や筋肉の造りはかなり違ったものになっていたことでしょう。私たちの体は自動車で例えるなら、最初から陸上を走る乗り物として設計されたものではなく、まず潜水艦を造り、その部品変更を繰り返しながら少しずつ陸上にあがってきた自動車なのです。肩凝りや腰痛は、横向きに使っていた体を縦向きにしたための弊害であり、構造的な問題です。「何か」をしなければ、肩凝りや腰痛になるのは、むしろ自然なことのように思います。
 ただ、誤解が無いように申し添えますが、「何か」というのは鍼灸のことではありません。ストレッチや筋力トレーニングを行ったり、良い姿勢や腰を痛めない動作を心がけたりすることです。それが至らなくて痛くなってしまった場合には、鍼灸は有効な選択肢のひとつですから、是非連絡を頂きたいわけですが・・・。

 そういう意味で、「体の使い方」を学び習得することは、人として必要なことだと思います。「体の使い方」の研究は最近盛んに行われておりまして、昔の人の立ち居振る舞いもかなり参考になるようです。研究の進展が待たれます。
 更に付け加えますと、私たちは今日のような高度な社会生活を営むことを前提に生まれてきたのでもないだろう、ということです。だから「体の使い方」と同じように、「心の使い方」とか「頭の使い方」とかを皆が心がけないと、世の中はまとまらないのがむしろ自然なのでしょう。長い時間の中で祖先の努力の積み重ねがあり、そのおかげで今日の私たちの生活が営まれているようなのですが、それが当たり前になって自覚されないでいるため、何が必要で何が必要でないか、取捨選択が非常に難しく厄介です。そんな中で、私たちは新しい社会システムの構築を迫られています。そちらの方の研究も進展が待たれるところです。

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