トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:新聞

一週間ほど前から、日本経済新聞の電子版を利用しています。紙という殻から抜け出して、情報のみが仮想現実の中に存在する…。

いろいろと勝手が違いますから不便な点もあるかなと思ったのですが、4月分が無料になるというので、配達の方を止めて乗り換えてみました。

思ったより良いです。両手を広げて読む必要も無いし、ケータイでいつでもどこでもちょっと見れますし(しかも朝刊夕刊に関わらず最新のニュースを)、難しい言葉には解説がリンクされているし、新聞紙を捨てる必要も無くなるし、文字がでかくできるので読みやすいし。

従来のような新聞のレイアウトでも記事は見れるのですが、ケータイでばかり見ていたら、こっちの方が見やすくなってきました。

従来ですと見出しの大きさがいろいろありましたが、これは新聞社側で重要度を判断して大きさを決めています。これは必ずしも私の重要度とは一致しませんから、私にとって重要な記事が小さく扱われていたりすると、見落とす可能性も高かったわけです。

電子版では、私が閲覧した記事と関連ある記事をピックアップしてくれるので、従来の紙面ではスルーしていた記事も読むことができます。

新聞業界が新しいスタイルを模索しているということは先日書きましたが、これはこれで成功するんじゃないかなと思いました。

近所のスーパーの折り込みチラシは必要なので、そちらは地方紙購読で入手しています。いずれ折り込みチラシもバーチャルの世界に進出してくるんでしょうね。新聞配達店は困るでしょうけどね。
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IT革命に付随した波がいろんな業種に方向転換を迫っています。人々のライフスタイルも変わってしまいましたから、今までの商売のやり方が通用しなくなっている…。

ひと月ほど前の「クローズアップ現代」では、新聞業界の苦悩が取り上げられていました。新聞が無くなってしまうのではないか?という業界の不安に対して、ゲストの立花隆さんは、絶対に無くならないと断じました。「必要なものだから」というのが理由でしたが、未来を見据えた前向きな意見というよりは、新聞で育ったジャーナリストとしての過去を懐かしんだ祈りのように感じました。

新聞が全く無くなってしまうとは私も思いませんし、それを望みもしませんが、今のような形は維持できないだろうと思います。

数年前まではネットでニュースを見るというスタイルにはどうしても馴染めなかったし、ましてやどこのだれが書いたか分からないブログから情報を得るなんてことは考えてもみませんでした。でも、最近は違っている…。

紙の新聞の購読は止めて、ネットで流れるニュースだけでも何とかやっていけるんじゃないか?と最近考え始めています。一般人が書くブログのほうが、速くて説得力のある情報だったりすることもある…。

立花さんに言わせれば、新聞の情報は信頼性が高いし、結局ネットに流れている情報もおおもとを辿れば新聞のようなマスメディアでしょう?ということでした。だから新聞は無くならないという論法なんですが、新聞をおおもととする情報がネットに流れているんだとしたら、新聞の情報をアップするサイトさえ読めば新聞は読まなくてもいいということも言えます。

だから、新聞はある程度の部数は売れるでしょうから、全く無くなるということはないかもしれないけれど、今までのように売れるということもないでしょう。要は、新聞社の採算ラインを超えるだけの売り上げを確保できるかどうか…。

採算ラインを超えられないとなれば、いわゆる新聞という形態は成り立たなくなるわけで、新聞の絶滅もありえない話ではない。

そうなれば、新聞の記事を書いていたようなジャーナリストが有料のサイトやメールで情報発信するような形が多くなってくるかもしれません。

「○○新聞」という看板の下に囲われていたジャーナリストたちが、そういう看板無しで勝負することになるとしたら、それはむしろ良いことなんじゃないかな?というのが、今回言いたかったことです。

現状では、新聞社の意向で掲載されない記事もあるでしょう。「○○新聞」という形で束ねるためには、どうしてもある種の情報操作は避けられないと思うのです。そのふるいのお陰で高い信頼性も保たれるのでしょうが、弊害として必ず情報には偏りが生じるはずです。これは検閲と本質的には同じです。

いくつかの新聞社や放送局があって、それぞれが違った特色を出しているからいいじゃないか、という反論は有るでしょう。が、そういう点では、新聞社や放送局の数が十分多いとは思えないし、それぞれが自由な主張をしているようにも見えません。

ひとつの大事件が起こると、どこのチャンネルでもそればかり扱ってるというのが普通ですから…。

それぞれの新聞社が180度違う意見を発信するというケースも少ない。もっともっと無ければおかしいです。

社会を行き来する情報のすべてを集めたとき、その中にあらゆる方向の論説が含まれていなければ、健全な情報群とは言えないと思います。(敢えて言えば、「空」の状態ではない)

邪な情報が行き来することもありましょうが、発信者の邪な部分をそのまま伝えるのも情報の務め…尤も、正邪の判断は主観的なものであり、基本的には受け手の判断に委ねられます。邪と判断して途中で遮断(フィルタリング)してしまうのは検閲…尤も、ウイルス駆除も広い意味では検閲の一種ですから、検閲の是非もまた主観的なもの…。

質の低い情報に翻弄されることは増えるでしょうが、そうしなければ情報を見極める力は養われないし、それが情報化社会で洗練されるということでしょう。

社会のこの大きな流れは、いつかは平衡点を見つけて、落ち着くこともあるかもしれません。でも、その社会が、今までのマスメディア中心の情報化社会と比べて良いと言えるかどうか、もっと遡って、かわら版から情報を得ていた社会と比べて良いと言えるかどうか、それぞれ長所短所があって優劣はつけられないそんな程度のものなんじゃないかとは思います。

それでも、この流れは止められない…。

IT革命と言っても、結局はテクノロジー(「T」の部分)の革命だったわけですが、その革命がITの本丸たるインフォメイションそのもの(「I」の部分)まで、いよいよ波及してきたということなのかもしれません。
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「最後のパレード ディズニーランドで本当にあった心温まる話」という本の広告を新聞で見つけました。盗用疑惑もあるようですが、いろんな意味で話題性のある本だと思います。

私が見た新聞広告には、「立ち読みしない方がいいです。泣きますから。」という読者の声。そして、本に書いてあるエピソードがひとつ紹介してありました。

ひとり、茶の間で読んでいました。半分も読まないうちに涙がボロボロ…

そこに運悪く妻が現れました。「おい!何、泣いてんだ!?」

わけを説明して、大爆笑されました。

こんな本、絶対に買いません。妻に笑われますから…
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 最近は新聞を読めない日があって、いつの間にか新聞が1週間分くらいたまってしまいました。そんなわけで、毎日古い新聞を読んでいます。

 それで気付いたことがあります。まず、昨年秋に発表された長期予報では、今冬は暖冬で雪も少ないと言われていたこと。

 仙台の病院で起きた赤ちゃん連れ去り事件の犯人の似顔絵が全然似てなかったこと。

 米国産牛肉の輸入再開は、再び禁止されてから知りました。


 情報に疎いのも考えものですが、このめまぐるしい時代に、多くの情報に触れることは、随分無駄も多いのではないか?と思いました。

 定期購読のパソコンの雑誌も読む暇が無くて『ツン読』状態だったので、購読を止めてみました。読まずにただ捨てるのも勿体ないので1年も前のを読んで見ると、私にとっては十分新しいのです。なにしろ、使ってるパソコンが古いんだから、新しい情報なんて必要ないんです。

「うろん語」第二巻目次(その1)を見る
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