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「空海の夢」(春秋社)
「6.遊山慕仙」を読みました。

《以下引用》
…空海というコスモポリタンを見るには、鼻をくっつけてタオイズムの残香をかぐ必要がある。日本宗教史上、また日本思想史上、空海の『三教指帰』こそはタオイズムの本質を論じた最初の大成果であったからである。

…ともかくも空海は虚亡隠士にはなりきらず、そのかわりタオの要所をかっさらった。しかしここで興味深いことは、空海のように神仙タオイストの道を捨てることなく山にとどまり、なおかつ空海の死後に空海の密教を受け入れた一群の者たちが陸続とあらわれたということだ。空海の密教がひとり高野山に伝法を守る真言教者たちのみによって守られたのではなく、こうした奇怪な一群によって流布され伝承されたという意味で、この山林に跳梁する者たちの来歴の一端をここに記しておきたい。かれらの名を、のちに山伏という。

…古代山伏が特殊な時間と特殊な情報と特殊な交通を、異次元的なネットワークで匿秘していたことはひじょうに重要だ。
《引用終わり》

神仙タオイズムの詳しい意味や、山伏については本書をご覧ください。空海はこの異次元世界をしっかりと踏まえた上で、仏教をそして渡海を決意したようです。

《以下引用》
…奈良時代を通じた日本の山嶽山中における山伏たちの活躍は、さらにすさまじい開発技術者としての姿を見せていたにちがいない。

しかも山に伏す者とはいえ、そこには神仙および陰陽のタオイズムはもとより、各種の雑密や民間呪術、神祇の呪禁がほとんど区別なく習合集中していたのだから、これは古代における開発技術と観念技術の一大陰秘ネットワークの担い手ともいいうる者たちだったのである。かれらは土地を熟知し、その山相水脈を読む古代観相学者であって、また鉱物や薬草の分析に長じた古代化学者でもあった。のちに即身仏(ミイラ)の信仰を各地にもたらすのもかれらであり、聖山巡礼の構想を実現するのもかれらであった。

南都仏教の衰微を眼のあたりにしていた青年空海が、こうしたいまだ全貌の見えざる陰秘のネットワークに強烈に吸引されたとしてもけっして不思議ではなかった。ヤマは魔の山であり、かつまた聖の山であったのである。
《引用終わり》

山には、そういった裏社会が形成されていたようで、その思想・文化・技術といったものが歴史の表舞台に出てきていないのは残念です。後に義経の逃亡を手助けしたのもこのネットワークだと思われます。

私の住む地域でも、法印さまと呼ばれる方が居て、祈祷をお願いしたりします(神社の神主さんとかにお願いすることもありますが)。羽黒山辺りで修行されたようで、お経とも違う呪文を唱えていたように記憶しています。

《つづく》