トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:寺子屋

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その昔、江戸では、数学ブームがあったという。現代人がクイズに夢中になるように、みんなで難しい問題に取り組んで、力を競い合ったという。

現代では、数学嫌いが当たり前なのに、どうして和算は違っていたのだろうか?

明治政府が近代教育を導入する段階では、富国強兵が国の至上命題であり、欧米に追い付くことが当面の目標でしたから、当然西洋の数学を取り入れたわけです。

その時に問題になったことが、すなわち和算と洋算の違いということになるでしょう。

ひとつは教え方ですが、寺子屋では各自が自分のレベルに合った教科書に取り組み、分からないところを先生に聞きに行く、というやり方。先生もその子に合ったアドバイスをする。公文式と一緒です。

これが、講義形式の授業に変わりました。皆が一緒に同じ話を聞き、同じ問題を解き、同じ解説を聞く。今となっては寺子屋方式の方が優れているようにさえ思うのですが、明治期には当然西洋に右ならえでした。

もうひとつは、生活に密着しているということ。和算は、上級者は難解な幾何学問題に取り組みますが(実にカラフルな綺麗な図解がしてあったようです)、そこに至るまでは生活に密着した問題ばかりを取り扱ったようです。

例えば「蔵に俵がいくつ入るかを計算する方法」というようなワクワクするタイトルが付いています。「体積の計算」という無味乾燥な命名ではありません。

鶴亀算と言われると、すぐにやってみたくなりますね。二元一次連立方程式と言われると後回しにしたくなります。

「数学なんて何の役に立つか分からない」という弁解をよく聞きますが、和算にはこういう言い訳はできないのかもしれません。どういう時に使うかがタイトルなのですから。

娘が小学校に上がるにあたり、公文式の説明会を聞いてきました。日常会話の中で、「1000ミリリットルの牛乳を取ってきて」とか「トマトを2分の1するよ」とか、算数に出てくる言葉を今のうちから使っておきましょう!というアドバイスをいただきました。

こんなアドバイスが必要なくらい、いまだに西洋数学は馴染んでいないということなのでしょう。
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第三章「私が選んだ教育法「公文式」」の中ほどを読みました。

公文式の創始者である公文公さんが、この教育法を生み出す過程が書かれています。それについては以前も書きました。

公文さんがいちいち息子さんの勉強を見てやれないからという理由で、たまたま出来上がった教育法のような気もするのですが、この偶然が奇跡を生んだという感じがします。

以下は私の憶測ですが、公文式の勉強法は寺子屋に似ているんじゃないかという気がしています。学年とかカリキュラムという概念がなく、年令の違う子どもが一緒に、一人の先生から習う。おそらく、それぞれが課題に取り組み、出来たら先生に見てもらうという形式だったと思います。読み書き算盤(国語・数学)が中心。

とすると、江戸時代の勉強方法、近代以前の学習方法ということになるのですが、江戸時代の日本の教育水準というのは高かった。庶民がパズル感覚で、計算問題に取り組んでいたらしい。今の脳力トレーニングなんかよりずっとレベルの高い問題。

明治以降に導入した西洋式のやり方のほうが優れているという根拠は無いのではないでしょうか?少なくとも、一斉にクラスの皆が同じ講義を聴くというやり方が、良い方法だとはとても思えない。

その欠点を補う方法として、公文式は必要なものなのかもしれない!と思うようになりました。

《つづく》
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