トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:家族

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娘から叱られるようになりました。
「パパ、いただきます言いましたかぁ〜?ん?聞こえなかったな〜」
「ありがとう言いましたか?何かしてもらったときは言わないとダメなんだよ。」
「あ〜あ〜、バカって言った!そんなこと言うと頭から角が生えてくるんだよ。」

娘たちは、こういう基本事項習得の現役なので、相手かまわず注意をします。こういうことは卒業したと思い込んでいる我々にしてみたら、こんなを注意されるのは懐かしいというより新鮮ですらある。とはいえ、笑って「ゴメン」と済ませられるのは相手が子供だからでしょうね。大人からこんなことを注意されたら、「バカにすんな!」と怒ってしまうことでしょう。

こういう基本事項に卒業は無いのですが…果敢に注意してくれるのは子供だけ。大人には注意をしなくなる。言っても無駄だ、と疎んじられて遠ざかっていくだけ。まあ、これが大人の流儀というか、大人が大人に注意をするやり方なのかもしれない。だから、周囲の動向にも耳を傾けていなければならない。

「われ以外みなわが師」という言葉は、吉川英治の座右の銘ですね。同名の著書もあったようですが、それは読んでいないので、彼がこの言葉に抱いていた真意はわからない。けれども、ずっと前に耳にして気に入った言葉で、自分の中にはずっと温存されていて、人生のいろんな場面で自分なりの解釈を加えて来ました。

他人というのは、いわゆる「いい人」ばかりではありません。知り合ったばかりの頃は非の打ちどころのないように見える人でも、だんだん付き合っていくうちに一長一短がわかるようになって、結局「いい人」ではないことがわかる。最高に理想的な意味での「いい人」はいないんだと私は思います。「あの人はいい人だよね」というのは褒め言葉ではない場合が多いようです。

だから「わが師」というのも、若いころは「その人の一挙手一投足を見習いたいほど尊敬できる人」というとらえ方をし、そういう人を探していた時期もあります。でも、それは「青い鳥」なのかもしれない…といつか気付く。それ以降「わが師」は反面教師の意味に変わります。

今は、どんな人にもいいところとわるいところが必ずあるから、「いい人」に見える場合には、悪い面がまだ見えていないのだと考えて、むしろ警戒します。「悪い人」に見える場合には、いい面がまだ見えていないのだと考えて、探してみようと心がけます。

殺人を犯してしまったような人でも、その人と同じように生れ、同じように育ち、同じような経験を社会でしたならば、自分もそういう凶行に出るかもしれない。

「人のふり見てわがふり直せ」というように、他人の中に自分を見つけて、自分のいい面は伸ばそうとし、悪い面は抑えていきたい。逆に自分の中に他人を見つけて、優しすぎず厳しすぎず、その人と接していきたい。そのときに家族は良き相談相手であり、解説者であり、批判者であり、指南役であります。

そんなわけで、娘の指摘にも謙虚に耳を傾けて生きたいと思います。
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憂国 に参加中!
介護保険制度が導入されて最初のうちは、ベッドや電動座椅子が安く借りられると喜んでいる方をよく見かけたのですが、その後の見直しでベッドや座椅子を取り上げられた人がかなりいたようです。「こんな制度で助かる人も少しは居るだろうけれど、かえって困る人の方が多いんじゃないかね」という不満をよく聞きました。

こういうことを言う人は再認識しなければいけません。。介護保険も保険ですから、ギャンブルなのです。「パチンコしても、儲かる人より損する人の方が多いんじゃないか?」とか「馬券を買っても、儲かる人より損する人の方が多いんじゃないか?」というようなものです。

この制度で一番助かったのは、年老いた親の面倒を絶対に見たくなかった人、どうやって言い逃れしようか?、誰に代わりにさせようか?と悩んでいた人たちです。「保険料は払ってます。国が面倒みてくれるんでしょう?私は保険料を払うために仕事をしなくちゃいけない。忙しいからそんな暇ないよ。」と言って逃げられるようになった。

少なくとも私が子供のころは、親の面倒を見ない息子・娘は親不孝呼ばわりされました。でも、健康保険・年金保険・介護保険の3点セットが揃った現在は「病気になっても医療機関がみてくれるでしょ。」「年寄りも結構年金持ってるから自分でなんとかできるでしょ。」「認知症になっても介護施設があるんでしょ。」と逃げられるようになった。

この社会保障制度の良くないところは、強制加入だから皆を面倒みてくれるように誤解しやすいことです。さらに、不必要な人件費と無駄遣いと着服と業績の悪い運用等のために、現在お年寄りに支給されているお金は今の若い世代が支払ったお金がそのまま使われているらしいということ。「俺は国を経由する形で、実質的には親に仕送りしてるんだぜ」と言える現状だということ。

これって、国策として家庭崩壊を推進していることにはなりませんかね〜。親と子の間に国(などの行政)が割り込んできて、家庭を解体しているように思えてなりません。

《つづく》
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パパの子育て日記 に参加中!
最近、次女が私の名前を呼びます。「トシミツくん」

周りが大ウケするので、娘もすっかりいい気になって使うようになりました。私も可愛い友達ができたような気分で、つまり自分も子供に帰ったみたいで、まんざらでもありませんでした。

でも、これってどうなんだろうな…と思っていたのですが、何だか流行っているらしいですね。

新聞に書いてました。「ママ」と呼ばせないで「○○ちゃん」と母親の名前を呼ばせる人が増えているらしい。家族の一員としての意識を持たせるとかいうねらいがあるらしい。スウェーデンでもそうだ!という川上麻衣子さんの言葉も載っていました。

だから私は、「トシミツくん」でいいらしい。
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薄型テレビ、だいぶ普及してきましたね。とてもきれいですが、細かいところまでよく見えるので映像の後ろの方が気になります。

相撲だったら、観客の顔とか服装とかを観察してしまいます。「この人また来てる」とか「このファッションはどうかな〜」とか。肝心の相撲を見るのを忘れてしまって「今の取組、どっちが勝ったの?」となることもあります。

こんなことを書くと、うちのテレビは薄型のように聞こえますが、実は分厚いブラウン管を見てます。上の体験は、全てお客様の家で薄型テレビを見ての話です。

薄型を買わないのはケチで貧乏だということもありますが、子供がいることも理由のひとつです。画面に向かって思いきり走って行って、ド〜ンと体当たりすることがあるからです。硬くて重いブラウン管だから事なきを得ていますが、薄型だったらと想像するとゾッとします。

そんなわけで、もうしばらくブラウン管です。
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 5章を読みました。原始社会から連綿とつながってきた家族というシステムが大きく変わろうとしているんだなと思いました。

 年金制度とは、働き盛りの子から年老いた親へのお金のやり取りです。家族という閉鎖系の中で行なわれていたことに国が介入したわけです。介護保険制度も、子や孫が行なっていたことに国が介入することです。いずれも家族の存在意義をぐらつかせる側面を持っています。

 今、子育てに直面している者としては、育児保険をどうして作らなかったのだろう?という疑問が湧いては来ます。でも、もちろん無くて良かったと思っていますけど。お金ばかり取られて、本当に喜ぶのは役人だけでしょうから。
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 NHKの大河ドラマ「徳川家康」の総集編(2年ほど前にビデオ録画したもの)を、何年ぶりかで見てみました。録画した時には見ませんでしたし、本放送は私が大学生の頃だったと思いますから、本当に何年ぶりかです。

 印象に残ったシーンがありました。私なりの言葉で紹介させていただきます。雪斎(今川義元の軍師で、幼少の家康を教育した)が今死のうという時に、竹千代(家康)を枕元に呼び出し、「情勢の変化で、自分の家族を犠牲にしなければいけないような命令を義元から命じられた時、お前ならどうする?」と問いました。「大局を睨んで判断します。必要とあらば家族を犠牲にしますし、その逆と見ればたとえ義元の命であろうと・・・」と言いかけたところで、雪斎は「親子の情愛をなんと心得る!まだ、わからないことをそんなに簡単に答えるものではない!」と激怒しました。

 答えとしては正解なのだと思いますが、それを実行することはとてもつらいから覚悟しておけよ!という、雪斎最期の教えです。その時、竹千代には妻も子もなく、それを見ていた私も同じでした。結婚すること、父親になることは大変な覚悟がいるのだな、と思ったものです。石橋を叩いて渡るタイプの私が、このせいで結婚に対して慎重になったのは事実ですが、この世に生を受けたからにはこの究極の難題に自分もいつか必ず挑戦しなければと思いました。

 そして今、改めてこの覚悟を、夫として父として再確認したしだいです。ハイ。

その2を見る
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