トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:宇宙の起源

古代ギリシャのソフィストたちや中国の諸子百家など、いろいろな知恵が湧き出た時代・場所というのがあるものです。古代インドもそういう時代に恵まれていたようです。

ダルマキールティの指摘は非常に的を射たものです。宇宙の起源という最初のポイントを設けるということは因果関係に縛られないポイントを作ることになる。宇宙はビッグバンで始まるということになっているのですが、ビッグバンが起きる前は何だったの?という疑問がすぐに湧いてきてキリがありません。

因果律というと、カオス理論のバタフライ効果なんかも気になります。ダライ・ラマはどうとらえているのでしょうか。

華厳経の中に、宇宙をお互いに(無数の)網で結びつきあった(無数の)宝石に喩えている一節があるそうです。現代的な比喩としてデヴィッド・ボームはホログラムに喩えています。数式としては畳み込み積分を用いているので、物理学者のみならずエレクトロニクス関係の技術者にも、彼の説明は受け入れやすいものだと思います。

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恥ずかしながら十無記という言葉を初めて知りました。お釈迦様が答えなかった問題(わからなかったのか、敢えて答えなかったのか)です。ウェブ上から拾ってきました。

(1)世有常(この世は永遠か)
(2)世無有常(この世は永遠でないか)
(3)世有底(この世は有限か)
(4)世無底(この世は無限か)
(5)命即是身(魂と身体は同じか)
(6)命異身異(魂と身体は別物か)
(7)如来終(如来は死後存在しないか)
(8)如来不終(如来は死後存在するか)
(9)如来終不終(如来は死後存在し、かつ存在しないのか)
(10)如来亦非終非不終(如来は死後存在せず、かつしないでもないか)

という内容らしいです。

私が宗教に求めるものは、人々が平和の中でストレスなく生きていく考え方を示すこと、です。宇宙の起源などという問題は、わからなければ「わからない」でいいと思います。「この教えを信じれば何もわからないことはありません!」というような人が、私がこれまで会った新興宗教に夢中になっている人に多いのですが、こういう宗教は無条件で×ですね。

宗教に求められるのは、答えの得られない問題に当てずっぽうの答えを用意して無理に信じさせることではなくて、答えが得られなくてもストレスにならない心(考え方)を養うことだと思います。

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