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私が子どもの頃は珍しかった学習塾。今は当たり前のように、多くの子どもが通っています。

何のために塾に行くのだろう?当然、勉強ができるようになるため…

どうして、勉強ができなきゃいけないんだろう?いい大学に入って、いい仕事に就くため…

もちろん、そこで終わりではないんでしょうけど、取りあえず、そこで論理が一時停止するような気がします。

お金を儲けて幸せになる、というのが大抵の人の取りあえずの目標ではないでしょうか。そこから先はそうなってから考えて遅くはない。学習塾に収めた多額の月謝も、高収入の仕事に就いてペイすればいい。

かつての、たとえば幕末の松下村塾のような「塾」は全然性格が違います。先立つもの、つまりお金よりも、別のものを優先させていました。「夢」とか「志」とか。「生き方」というものに真っ向から取り組んでいます。

釈尊時代のインドには四時期という考え方があって、人生の中で「生き方」について考える時期をもうけるのが当たり前とされていたようです。

今はお金を「先立つもの」と呼んで全てに優先させ、人生問題を後回しにし、タブーとするような雰囲気さえある。だから、生きることが辛いのではないでしょうか?

やはり、学力向上だけを目標としたとき、学習塾経営は虚しいものに感じるのです。「別に東大に入らなくても生きていけるし…」と言われると、そっちの方が正しいような気がしてくるのです。

だから、かつての「塾」としての側面をそれとなく加味できないかな…と秘かに思っています。それが、塾として熟していくことかな…と。