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NHK「爆笑問題のニッポンの教養成人の日スペシャル」(1月12日放送分)を見ました。

糸井重里さんのコメントが一番気に入りました。「自分が大人になったと感じた時」というテーマで、「嫌な仕事も引き受けるようになった時」とか「子どもがおいしいと言って食べているのを見て、自分もおいしいと思えた時」ということを話していました。私も同感ですね。

糸井さんの場合、「嫌な仕事も引き受けるようになった時」というのは、自分の事務所を構えて人を使うようになったタイミングでしたが、私の場合はどちらも自分の子供ができた時でした。

独りで自分の生活のためだけに仕事をしている時というのは、「いざ」となったら辞めてもいいや…という気持ちがどこかにありました。食えなくなったら、独りで死ねばいいんだし…というところがありました。

でも、妻ができて子供ができてということになると、「この人たちの人生は自分の頑張りにかかっている」という意識が出てきます。独りで勝手に死ぬわけにはいかない。大きな可能性を秘めた子供の人生を大きく制限してしまうことになります。これは、頑張りの源になります。

一方、年とともに、自分の時間が希薄になっているような感覚があります。自分の五感も希薄になっているような…。子供のときに感じたような強烈な感動は余り感じなくなる。だから、自分の大好物を目の前にしても、自分が「おいしい!」と思って食べるよりも、子供が「おいしい!」と思う方がいいんじゃないか?と考えたりする。

子供のおいしそうな顔を見て、今まで自分が経験した最もおいしい時の感覚を思い出し、擬似体験しているのかもしれない。実際に自分がそれを食べれば、「去年食べた物の方がおいしい」とか「もう少し味付けが…火加減が…」とか考えてしまって、素直に「おいしい!」と感動することはおそらくできない。「おいしい!」と言って喜んでいる子供の顔を見ていた方がずっと楽しい。

番組では、大人の感覚なんて誰にも分からないという結論でした。上に書いた大人の感覚も、これが結論とはとても言えないですけど…今のところの私の結論です。

子供を持つことで「大人の感覚」めいたものを意識することができた。これはあくまでも相対的な感覚ですね。絶対的なものではない…

《つづく》