トトガノート

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Tag:大河ドラマ

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大河ドラマ 天地人 に参加中!
個人的に原作が淡白な大河ドラマは面白いという経験則があるので、「天地人」は期待しています。今のところ、まずまずの滑り出しではないでしょうか。

ただ、兜に「愛」の文字を掲げて戦った武将がいる!という取り上げ方はいかがなものかな…と気になってました。現代における「愛」と当時の「愛」では意味が全然違うのではないかと思っていたので。

昨年末に、仙台の愛宕神社に初詣に行くのもいいな…と思った時に、手元の「日本の神々神徳・由来事典」で愛宕大権現を調べましたところ、武家の守護神として崇敬されていたとのこと。京都愛宕山の愛宕権現の本地仏は勝軍地蔵で、馬に乗り甲冑を身に付けている出で立ち。坂上田村麻呂が蝦夷を討伐した時に示現したことになっているそうです。何となく、直江兼続の「愛」の意味が納得できました。

7日のその時歴史が動いたでも、愛宕権現の「愛」であるというのが最も有力な説のようでした。もしくは、戦の守り神「愛染明王」の「愛」という説。第三の「慈愛・愛民」とする説は、兜が不要になった後世に考えられたものじゃないかな…

毘沙門天の「毘」を掲げていた謙信に心酔していた兼続ですから、同様に愛宕権現か愛染明王の名を掲げたのだと考えるのが自然です。「慈愛」の心で戦に赴いたら、絶対勝てないよね…

兜に「愛」の文字を掲げて戦った武将がいる!という紹介の仕方は、そういう事情に疎い人が勘違いするように、半ば確信犯的に考え出したキャッチコピーという感じがして、詐欺に近いような気がします。

「義」を重んじた直江兼続には、そぐわないような気がするんですけどね…

日本の神々神徳・由来事典
日本の神々神徳・由来事典
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私は戦国時代の大河が好きなので、幕末でしかも大奥関係というと…ちょっとな〜。ということで、全然見ていませんでした。でも私がテレビを見るのはお客様の家での方が多く、しかも仕事中が一番じっくり見れるというトンデモナイ状況です。だから、見るつもりもない篤姫をじっくり見てしまいました。結構視聴率もいいらしいな、と思いながら。

幼なじみとして篤姫と仲が良かった男。心を寄せてはいたが言い出せずにいるうちに、篤姫は殿様の養女になってしまった。篤姫はその男の気持には全然気づいていない。そんな中で、半年ぶりにお城の中で再会することをお殿様がお許しになりました。

自分の気持ちを押し通せば、相手の幸せを妨げることになる。巡り合わせの中で、押し通すことがお互いの幸せにつながる恋と、そうでない恋があります。残念ながら、後者の方が圧倒的に多いですよね。

俺も結構つらい思いしてきたかな〜
男の側にすっかり感情移入してしまって、声がつまりそうになりながら施術でした。

これ、大河ドラマというより恋愛コメディなんじゃないか?
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 NHKの大河ドラマ「徳川家康」で、印象に残っているシーンをまたひとつ思い出しました。今川義元のところに人質になっている家康が、岡崎への帰郷を許された時のことです。でも、あくまでも人質ですから岡崎城への入城は許されません。

 長老格の家臣が、自分の屋敷の倉庫に家康を連れて行きました。そこには、たくさんの軍資金と兵器が隠されていました。「いずれ殿が岡崎の城主となる時が来て、戦をすることになった時の備えです。その時になって、民衆から急に取り立ててれば反発を招きますから」と家臣が説明します。

 そこで家康は、その家臣に尋ねます。「ひとつだけ聴くぞ。これが今川に見つかった時には、爺がその罪をかぶるつもりなのだろう?」それを聞いたこの家臣が目を細めて答えます。「そこまでお察し下さる殿になられましたか」

 この場面を最初に見たのは学生の頃でしたが、こんなふうに褒められてみたいものだと思いました。今振り返ってみて、こういう察しの良さというか、状況を見極める能力が実社会ではとても大切だと思います。しかし、これは学歴には全く関係ありません。そこが世の中の面白いところかもしれません。

その2を見る
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 NHKの大河ドラマ「徳川家康」の総集編(2年ほど前にビデオ録画したもの)を、何年ぶりかで見てみました。録画した時には見ませんでしたし、本放送は私が大学生の頃だったと思いますから、本当に何年ぶりかです。

 印象に残ったシーンがありました。私なりの言葉で紹介させていただきます。雪斎(今川義元の軍師で、幼少の家康を教育した)が今死のうという時に、竹千代(家康)を枕元に呼び出し、「情勢の変化で、自分の家族を犠牲にしなければいけないような命令を義元から命じられた時、お前ならどうする?」と問いました。「大局を睨んで判断します。必要とあらば家族を犠牲にしますし、その逆と見ればたとえ義元の命であろうと・・・」と言いかけたところで、雪斎は「親子の情愛をなんと心得る!まだ、わからないことをそんなに簡単に答えるものではない!」と激怒しました。

 答えとしては正解なのだと思いますが、それを実行することはとてもつらいから覚悟しておけよ!という、雪斎最期の教えです。その時、竹千代には妻も子もなく、それを見ていた私も同じでした。結婚すること、父親になることは大変な覚悟がいるのだな、と思ったものです。石橋を叩いて渡るタイプの私が、このせいで結婚に対して慎重になったのは事実ですが、この世に生を受けたからにはこの究極の難題に自分もいつか必ず挑戦しなければと思いました。

 そして今、改めてこの覚悟を、夫として父として再確認したしだいです。ハイ。

その2を見る
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