「瞑想の心理学」(法蔵館)
「エピローグ」を読みました。
《以下引用》
…生と死の境が曖昧になるだけでなく、そのいずれにもリアリティが感じられなくなった現代に、私は改めて意味を与えようとしたのではない。むしろ、生と死は本来われわれが考えているほど確かなリアリティを持ってはいないという立場に私は立っている。そして、このリアリティのなさが一体どこから生じてくるかを私は明らかにしようとしたのかもしれない。何よりも時代は(いつの時代もそうなのだが)、生きる意味や理由ではなく、生(死)そのものを根本的に問い糺すことを求めているように私には思えるからだ。自らの実存に深く根を下ろすためにも、こういう問題に対して真摯に向かい合う勇気ある人が、一人でも多く現れてくることを私は密かに願っている。…
《引用終わり》
仕事柄、死について考えさせられることは多いです。「老」とは、「病」と「死」を毎日見つめることかもしれません。その苦しみに、ずっと昔に着目したブッダはやはり偉大です。
日々生きることに哲学は余り必要ではありません。忙しい今日、底の見えない深い穴に足を突っ込んでいる暇はありません。そんな、準備が全くない現代人は、青天の霹靂のように突如として、この深い穴に放り込まれます。
毎日覗いていたからといって、底が見えてくるような穴では決してありません。それでも、暇を見つけて覗いておきたいのです。真摯に向かい合う勇気を持ち続けたいと思うのです。
《最初から読む》
「エピローグ」を読みました。
《以下引用》
…生と死の境が曖昧になるだけでなく、そのいずれにもリアリティが感じられなくなった現代に、私は改めて意味を与えようとしたのではない。むしろ、生と死は本来われわれが考えているほど確かなリアリティを持ってはいないという立場に私は立っている。そして、このリアリティのなさが一体どこから生じてくるかを私は明らかにしようとしたのかもしれない。何よりも時代は(いつの時代もそうなのだが)、生きる意味や理由ではなく、生(死)そのものを根本的に問い糺すことを求めているように私には思えるからだ。自らの実存に深く根を下ろすためにも、こういう問題に対して真摯に向かい合う勇気ある人が、一人でも多く現れてくることを私は密かに願っている。…
《引用終わり》
仕事柄、死について考えさせられることは多いです。「老」とは、「病」と「死」を毎日見つめることかもしれません。その苦しみに、ずっと昔に着目したブッダはやはり偉大です。
日々生きることに哲学は余り必要ではありません。忙しい今日、底の見えない深い穴に足を突っ込んでいる暇はありません。そんな、準備が全くない現代人は、青天の霹靂のように突如として、この深い穴に放り込まれます。
毎日覗いていたからといって、底が見えてくるような穴では決してありません。それでも、暇を見つけて覗いておきたいのです。真摯に向かい合う勇気を持ち続けたいと思うのです。
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