トトガノート

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Tag:医療制度

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保険はギャンブルから派生したものであることは間違いないようです。こんな話があります。
三人の男がポーカーをしながら話し合った。「おれたちの中で誰が最後まで生き残るか賭けようぜ。」三人がお金を出し合って積み立てておき、最後まで生き残った男がそのお金をいただくということにした。
これが、生命保険のはじまりらしい(これも何十年か前に読んだものなので、細かいところは正しくないかもしれません)。

そこで、生命保険をギャンブルとして見てみましょう。最近は医療保険などと一緒になって生きていても保険が下りることがありますが、話がややこしくなるので、単純にある年齢にならないうちに死んだときだけ多額のお金が貰えるというもので考えましょう。

この場合、保険会社は「契約者がその年齢までは生きる」という方に賭けたことになります。契約者は「自分がその年齢までに死んでしまう」という方に賭けたわけです。

自動車保険はどうでしょう。保険会社は「契約者は事故を起こさない」という方に、契約者は「自分が事故を起こす」という方に賭けたことになります。

いずれの場合も、負ける契約者が多く、勝つ契約者はわずかでなければ成り立ちません。パチンコとか競馬でもこれは同じですね。

さて、ここからが実は本題なのですが、健康保険はどうでしょうか?保険組合は「契約者は病気にならない」という方に、契約者は「自分が病気になる」という方に賭けています。この賭け事、勝負になると思いますか?

「一度も医者にかかったことがない」という人も結構いらっしゃるのですが、風邪を含めた病気に一切罹らない人っているんでしょうか?これは賭けてもいいけど、いないはず。

「病気になっても医者に掛からない」ということなのでしょう。でも、最近はテレビなどで盛んに重大な病気の兆候を教えているので、「自分もこの病気じゃないか?」という心当たりは誰しもあるはずです。「心配だから、(違うとは思うけど)診てもらいましょう。」と思うはずだし、私もお客様から相談を受けた場合には医師の診断を受けることをお薦めしています。

「どうせ保険が効くんだし、保険料取られているんだから、使わなかったら損だ」と、考えるのが当たり前。現役世代ならば医者に行く時間が無い!という抑制因子があるからまだいいのですが、お年寄りは病気になることも多いし、治るのにも時間がかかるし、医者にかかる時間もあります。医者の待合室がサロン化するのは当たり前だし、賭け事が成立する可能性など全くありえない。

「強制的に払わされているんだから、払っただけ使うのが当たり前」と考えるのは普通ですね。でも繰り返しますが、多くの契約者が負ける(損をする)ようでなければ、保険という制度も、ギャンブルという遊びも成り立たないのです。

自動車保険を参考に、健康保険が成立するための改善点を考えてみます。例えば、自動車保険はどんな事故にでも使えるわけではありません。免責事項などもあります。健康保険も適用されない病気(あるいは適用される病気)というのを決めて、適用されない病気だと診断された場合には下りない(全額負担)にする。

また自動車保険の場合、保険を使わないと翌年安くなります。健康保険も、最初は所得で金額を決めるにしても、医者にかからなければ金額を安くしていくというやり方はあると思います。

もちろん、そんなことをしたら医者に行く人が減って医療の質がドータラコータラという批判はあるでしょう。でも、これはあくまでも採算が合うかどうかという話なのです。人道的道義的に立派である事業・制度であるということと、採算がとれるということは全く別問題です。

高齢者医療制度をどうするかに関わらず、現行の健康保険制度は、病気の妻の医者代を稼ぐためと称して、絶対に儲からない賭け事に夢中になっているダメ亭主(時代劇に出てきそうですね)と同じような気がします。国家規模で行っているので、なおさら始末が悪い。

「医療に全く無関心なサラリーマンだった十数年前の私でさえ破綻を予想していた」という意味、わかっていただけたでしょうか?

《つづき》
年金とギャンブル
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後期高齢者医療制度。「年寄りいじめ」「老人差別」「姥捨て制度」などいろいろな表現が飛び交っています。その中で気になったのが
「年寄りは死ねというのか?」
これに対して、若い世代からは秘かにこんな反論も聞かれました。
「年寄りは死なないつもりなのか?」

ここで思い起こしたいのが、一休さんの作と言われるこの歌です。
親死んで 子死んで 孫死んで ひ孫死に 葬式千口 あらめでたや

これは十年以上前に講演で聞いたのをネットで検索してそのまま引用しているので、若干正確ではないかもしれませんが、ご了承ください。何代も続く名家から、「我が家のことを歌っためでたい歌を作って欲しい」と言われて、一休さんが詠んだ歌だそうです。

「こんな縁起の悪い歌は聞いたことがない!」と激怒する名家の主人に、一休さんが説明します。「親→子→孫→ひ孫と順番に死ぬのは何よりのことです。順番が逆になったらそれこそ大変な悲劇。そして、葬式が千口も挙げられるのは何代も続いている家だということです。こんなめでたいことがありましょうか?」

この話は、名家の主人のように「死ななければめでたい」という単純なことでいいのでしょうか?と問いかけているようにも見えます。長寿は誠に結構なことですが、人間は絶対に死ぬのですから、生き方(それは裏を返せば死に方)をもう少し考えるべきではないかと思います。

年寄りの側には、以前も書きましたが、「何で死ねばいいのか?」という問題があります。若者の側には、硫化水素や練炭を使いたがるという問題もあります。

一休さん、何かいい知恵ありませんか?
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