トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:介護保険

先日、男性のお客様が亡くなりました。7年ほどの間、ずっと通わせていただいておりました。93歳という年齢ではありましたが、重く心に残る最期でした。自ら死を選ばれたからです。

穏やかで優しい方でした。集金などの来客が来て、施術が中断してしまうと、
「時間が過ぎたから、もういいよ。」とおっしゃってくれました。
「気にしなくていいですよ。」と言って施術を続けますと、
「悪いな…」とおっしゃいました。

息子さんと二人暮らしでしたが、息子さんも足が不自由で、自分のことが精いっぱい。実質、ひとり暮らしのようなもの。一年以上前に、老人ホームへの希望を出したとおっしゃっていました。しかし、空きが無いということで、ずーっと回答待ち。

数ヶ月前から、排尿の感覚が無くなっていました。私は、別のお客様から使わなくなったオムツを少しいただいておりましたから、
「今はいいのがあるんですよ。」と言って、一袋だけ差し上げました。
「貰っていいのか?申し訳ないな。」とおっしゃっていました。

ひと月ほど前に、やっと介護保険の手続きをされたのか、ヘルパーさんが来てくれるようになりました。

それでも、
「若い者に迷惑をかけるな…」とおっしゃっていました。
「こういう時のために、保険料が取られているんですから、大きな顔して利用すればいいんですよ!」と申し上げましたが、
「皆に迷惑かけるな…」と繰り返していました。

そして半月ほど前に、近くに嫁いでいた妹さんが亡くなりました。それが引き金になったことは間違いありません。

もう少し図々しい人だったら。自分のことは棚に上げて、周囲に愚痴ばかりこぼすような人だったら。自分から人生を辞する事など選ばなかったことでしょう。

そういう人ではなかったから…こんなことになってしまったのだけれど…それだからこそ惜しまれる…それだからこそ寂しい…

例えば、行政を批判するのは簡単です。でも、そんな気にもなりません。もっと、どうであれば良かったのか、分からないから。

私自身、治療師として、もっとしてあげられることは無かったのか?その答えが分かっていて、しなかったのであれば、痛烈に自分を責めることもあるでしょうが、その答えは未だに分かりません。将来的にも見つかりそうな気がしません。でも、探し続けようと思います。

葬儀に出席して知りました。娘さんにも先立たれていたのです。奥さんに先立たれ、娘さんに先立たれ、妹さんに先立たれ、己の孤独な人生の長さを呪うこともあったかもしれません。

弔辞を読まれたお孫さん(娘さんの息子)は、既に結婚され、しっかりした方でした。それがせめてもの救いでした。

冥福をお祈り致します。
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社会保障費が増えていく。こんなに払ってるのに俺には何のメリットも無いぞ!という意見が増えれば、受給者の裾野を広げざるを得なくなるかもしれない。宝くじでさえ当選者を増やす傾向があります。そうなると、ますます社会保障費は膨らみます。

この諸悪の根源は、私たちの「国に頼る気持ち」だと思います。ギャンブルなんだからメリットが無いのが当たり前、メリットがある人はごくわずかなのです。保険なんだから、メリットが無いということは病気や介護という問題が起きていないということ!天に感謝しなければいけない。

国からの補助というのは大きいです。例えば農業。補助をすると一時的には良くなるかもしれない。でも、人間というのは弱いもので、補助をもらうとそればかり期待するようになる。畑に挑む気持ちが削がれる。政治の風向きばかり気にするようになる。日本の農業を弱めてしまったのは補助金なのだと私は思う。

景気が悪いと、国に何とかしてください!そして公共事業が始まる。道路が造られる。建設業というのは半ば公務員のようなものでした。かなりの雇用が創出されたことでしょう。この街づくりをするはずの人たちも、街に向かわないで、政治の風向きばかり気にするようになる。建築物の質は当然下がる。今では、道路は要らないと言われるほどに道路が増えてしまった。

私が住んでいるところは〇〇クリニックがどんどんオープンしていますが、全国的には医師は不足しているらしい。医者をこれから更に増やす方針らしい。また、介護保険をバックにした介護の仕事もかなり雇用創出に寄与していることでしょう。「食いっぱぐれがない」ということで、これらの業種を目指した人も多いのではないかと思います。そんな中で、社会保障費の削減が議論されている。倒産が相次いだ建設業のような憂き目を、こうした業界も見ることにはならないのか…ちょっと心配です。

道路は目に見えます。無駄かどうか疑問に思ったら、見に行けばいい。どのくらい車が走っているかも見ることができます。ところが、医療や介護は密室に近いところで行われます。いつどこで誰がどのくらいのサービスを受けたか、道路ほどオープンではありません。道路なら「もう要らない」と言いやすいのです。でも、医療や介護は「これで十分」とは(道路に比べて)言いにくい。強引にカットしようとすると、後期高齢者医療制度のように「人殺し」とか「人でなし」という批判を受けるのは必至。

だから、どんどんと出費は増えていくと思うのです。借金してまで通い続けるギャンブラーと同じように。

《つづく》
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介護保険制度が導入されて最初のうちは、ベッドや電動座椅子が安く借りられると喜んでいる方をよく見かけたのですが、その後の見直しでベッドや座椅子を取り上げられた人がかなりいたようです。「こんな制度で助かる人も少しは居るだろうけれど、かえって困る人の方が多いんじゃないかね」という不満をよく聞きました。

こういうことを言う人は再認識しなければいけません。。介護保険も保険ですから、ギャンブルなのです。「パチンコしても、儲かる人より損する人の方が多いんじゃないか?」とか「馬券を買っても、儲かる人より損する人の方が多いんじゃないか?」というようなものです。

この制度で一番助かったのは、年老いた親の面倒を絶対に見たくなかった人、どうやって言い逃れしようか?、誰に代わりにさせようか?と悩んでいた人たちです。「保険料は払ってます。国が面倒みてくれるんでしょう?私は保険料を払うために仕事をしなくちゃいけない。忙しいからそんな暇ないよ。」と言って逃げられるようになった。

少なくとも私が子供のころは、親の面倒を見ない息子・娘は親不孝呼ばわりされました。でも、健康保険・年金保険・介護保険の3点セットが揃った現在は「病気になっても医療機関がみてくれるでしょ。」「年寄りも結構年金持ってるから自分でなんとかできるでしょ。」「認知症になっても介護施設があるんでしょ。」と逃げられるようになった。

この社会保障制度の良くないところは、強制加入だから皆を面倒みてくれるように誤解しやすいことです。さらに、不必要な人件費と無駄遣いと着服と業績の悪い運用等のために、現在お年寄りに支給されているお金は今の若い世代が支払ったお金がそのまま使われているらしいということ。「俺は国を経由する形で、実質的には親に仕送りしてるんだぜ」と言える現状だということ。

これって、国策として家庭崩壊を推進していることにはなりませんかね〜。親と子の間に国(などの行政)が割り込んできて、家庭を解体しているように思えてなりません。

《つづく》
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 5章を読みました。原始社会から連綿とつながってきた家族というシステムが大きく変わろうとしているんだなと思いました。

 年金制度とは、働き盛りの子から年老いた親へのお金のやり取りです。家族という閉鎖系の中で行なわれていたことに国が介入したわけです。介護保険制度も、子や孫が行なっていたことに国が介入することです。いずれも家族の存在意義をぐらつかせる側面を持っています。

 今、子育てに直面している者としては、育児保険をどうして作らなかったのだろう?という疑問が湧いては来ます。でも、もちろん無くて良かったと思っていますけど。お金ばかり取られて、本当に喜ぶのは役人だけでしょうから。
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