トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:介護

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NHK「ためしてガッテン」(4月15日放送分)を見ました。「断然ラク!自宅の介護」というタイトルでした。古武術研究家の甲野善紀さんもこういうのやってましたけど、心得のない人間が真似するのは難しい感じでした。でも、今回紹介されたものくらいなら真似できそう。少なくとも原理は理解できる。

登山家から聞いた話ですが、リュックに荷物を詰めるときは軽いものから詰めるのが鉄則。素人は重いものを下に詰めて、リュックを低重心にして安定を図ります。ところがこれが重い荷物を更に重く感じさせてしまうんですね。不安定なものほど運びやすいのです。

人間が直立歩行に切り替えたのも、この原理。重い頭を上に掲げて、二本足で立つのはとても不安定なのです。でも、だからこそ最もエネルギー効率の良い歩き方ができる。

人間の自然な動きはこの原理を常に利用しています。だから、自然の動きを誘導するような形での介護が最も効率がよいことになるわけです。

古武術関連で考えますと、合気道とか柔道というのも原理は同じなのでしょう。相手の重心の移動を計算し、バランスが崩れるように誘導して、自分から倒れるような形で投げ飛ばす。

介護は、心も体も柔らかくしないとできないんですね…

《つづく》
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介護保険制度が導入されて最初のうちは、ベッドや電動座椅子が安く借りられると喜んでいる方をよく見かけたのですが、その後の見直しでベッドや座椅子を取り上げられた人がかなりいたようです。「こんな制度で助かる人も少しは居るだろうけれど、かえって困る人の方が多いんじゃないかね」という不満をよく聞きました。

こういうことを言う人は再認識しなければいけません。。介護保険も保険ですから、ギャンブルなのです。「パチンコしても、儲かる人より損する人の方が多いんじゃないか?」とか「馬券を買っても、儲かる人より損する人の方が多いんじゃないか?」というようなものです。

この制度で一番助かったのは、年老いた親の面倒を絶対に見たくなかった人、どうやって言い逃れしようか?、誰に代わりにさせようか?と悩んでいた人たちです。「保険料は払ってます。国が面倒みてくれるんでしょう?私は保険料を払うために仕事をしなくちゃいけない。忙しいからそんな暇ないよ。」と言って逃げられるようになった。

少なくとも私が子供のころは、親の面倒を見ない息子・娘は親不孝呼ばわりされました。でも、健康保険・年金保険・介護保険の3点セットが揃った現在は「病気になっても医療機関がみてくれるでしょ。」「年寄りも結構年金持ってるから自分でなんとかできるでしょ。」「認知症になっても介護施設があるんでしょ。」と逃げられるようになった。

この社会保障制度の良くないところは、強制加入だから皆を面倒みてくれるように誤解しやすいことです。さらに、不必要な人件費と無駄遣いと着服と業績の悪い運用等のために、現在お年寄りに支給されているお金は今の若い世代が支払ったお金がそのまま使われているらしいということ。「俺は国を経由する形で、実質的には親に仕送りしてるんだぜ」と言える現状だということ。

これって、国策として家庭崩壊を推進していることにはなりませんかね〜。親と子の間に国(などの行政)が割り込んできて、家庭を解体しているように思えてなりません。

《つづく》
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 第3章を読み終わりました。人は皆「責任」なく自然に生まれてきて、成長と共に自我を獲得していきますが、体の衰えと共にこれを失って自然に還っていくのが『老い』なのではないか?というのは興味深い意見です。

 成長と共に自然から離れ、周囲との隔絶や違和感を感じながら、鮮明な喜怒哀楽に満ちた人生をおくる。老いるということは、その鮮明さを徐々に失うことであり、自然に還ることである。

 露と落ち露と消える我が身と辞世を詠んだ太閤秀吉も、そんな人生観を持っていたのでしょうか?

 自然から離れようとしている娘たちと、自然との隔絶に悩む自分と、自然に還ろうとしている両親と…その対比は面白くもあり、つらいものでもあります。
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 84ページに「夢と現のあいだに見る夢」という言葉が出てきます。認知症の方が見る幻覚(?)を指しています。

 私のお客様でも認知症の方がいらっしゃって、奥さんのことも誰だかわからなくなってしまっています。先日は、どこかよその家に来ていることになっていたようで、
「こんなに遅くまでお邪魔してすみません」と何度も頭を下げておられました。
「○○○○と言います。こんな怖い顔してますが、心は割と優しいんです。どうかよろしくお願いします。」とおっしゃるので、「こちらこそ」と言って私も会釈しました。

 隣で奥さんの方の施術を始めましたら、
「どこが苦しいの?大丈夫か?しっかりしろ!」と、うつ伏せに寝ている奥さんを励まし始めました。聞けば、この方は軍隊時代に衛生兵として働いていたそうです。

 やがて、彼は奥さんのところに来て、奥さんの方や手をさすり始めました。
「ここは痛いの?こうするといくらか楽ですか?本人の治そうという気持ちが大切だからね。ソラウデなんかは何人も治したんだよ。隣の村からも尋ねて来るんだから」これも、満州時代の本当の話だそうです。

 私がお灸をしようと線香に火をつけると、
「ロウソクの方がいいんだがな。ロウソクは持ってないの。それならこれでもいいや。貸しなさい。後は私がやるから。呪文も私がやるから」

 私はすっかりお株を取られた形になったのですが、「夢と現のあいだに見る夢」につき合わせていただきました。戦時中の満州に研修に行ったようで私は楽しさ半分でしたが、奥さんの目には涙がありました。
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 45ページに「病気して死ぬだけのじぶん」という言葉が出てきます。病気して死ぬのを待つだけの人生に何の意味があるのか?非常に重い疑問だと思います。

 そもそも、人生に意味があるのか?という疑問の答えを私は知りません。漫画『浮浪雲』の中で、「人生に何の意味もなし!ただ生きるのみ」という一節を見つけた時に、ホッとした記憶があります。人生には、もともと意味が無いのでしょう。意味があるにしても私たち人間には理解できない次元の問題だと思います。

 それは老若男女で事情は同じなのですが、若いといろいろやりたいことがあり、恋人がいたり、子供がいたりで、ゆっくり考える暇が無いし、体の衰えも自覚されないので、悲嘆することは余りありません。しかし老いてくると、友達もひとりひとり去って行き、日々からだの衰えも感じざるを得ず、この重い疑問が毎日のしかかって来るのでしょう。

 だからこそ、老いた身で生きていくことは大きな意味があります。この疑問の重さに耐え続けているということだから。でも、こんなことを言ってもお年寄りの慰めにはなりません。「どんな言葉をかけてあげればいいのか・・・」そんな疑問に悩みながら、そして答えなど見つかりそうもないことに半ば気付きながら、私たちも老いに一歩づつ近づいていきます。
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 42ページに「何で死ねばいいんだい」という言葉が出てきます。健康教室では「こうしてはいけません。こんなの食べてはいけません。やめないとこうなります」ということばかり教えてくれますが、どんなに健康を心がけても、誰でもいつかは死ぬわけです。死に方は教えてくれないのかい?という疑問が生じます。

 高齢になって、しだいに機能が衰えて、トイレに行くことも大変になって、ちょっと休養を取るつもりで病院に入院したお爺さんが、そのまま帰ってきませんでした。病院で肺炎になって(院内感染だ!)衰弱して、ベッドに縛り付けられたまま、酸素吸入や強心剤で長生きさせられる。家族も本人もつらそうで見ていられませんでした。病気らしい病気をせずに健康で長生きし、老衰で亡くなることが理想とされているのだと思うのですが、この理想的なプロセスを通った筈のこのお爺さんがいい死に方をしたとは思えないのです。

 積極的に戦略を立てて死ぬ、ということがあってもいいのではないかと私は思っています。社会的に責任のある立場を退いたら、苦しまずに死ねる病気を選ぶ。定期的に健康診断を行い、自分が志望する病気になれるように意図的に不健康な部分を作り、その病気に関しては一切治療を行わない。死ぬまで治療を拒否すれば、健康保険を使わないから社会に迷惑をかけることも少ない。そんな都合の良い病気はないものか、探しているところである。
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 28ページ付近に、子供と同様にお年寄りも言葉とか論理とか理屈の通じない世界なのに専門家は枠にはめてしまおうとする、という指摘があります。子供とお年寄りだけを理屈の通らない別格の存在とするのは、私はどうかと思うのですが、専門家にはそういう性癖があるということはスゴクうなづけることです。

 論文発表とか資格試験の受験勉強とか、専門家になるためにはまず机の上で頑張らなければいけないわけです。そして何事も、『これは教科書の何ページに書いてある○○に該当する!』的な分析を行い、同じく教科書の何ページに書いてある対策を参考に対処する、ということになります。それを速やかにできる人が、よく勉強しよく訓練している人と評価されるのでしょう。

 でも、そんなマニュアル通りでいいのなら誰も苦労はしません。マニュアルがあるがために、そしてそれをきちんと頭に入れている優秀な専門家であるがために、全てのケースをマニュアルにある項目のどれかに強引に該当させて、不適切な対処をしているということはないのかなぁと私は思います。

 子供とお年寄りには理屈の通じないという三好さんの意見には首を傾げますが(理屈が通じないのは大人も同じだと思います)、子供とお年寄りには強引な対応がしやすいと思います。だから、それが横行しているということをおっしゃりたいのではないかと思います。
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 著者の三好春樹さんは理学療法士として、老人介護の仕事に携わって来た方です。日経新聞で紹介されていた記事を読んで興味を持ち、ネットで検索して、この本を買いました。

 老人介護については、自立支援というスタンスが以前から奨励されていまして、私も自分の仕事にその方向性を取り入れられないか模索してきました。介護保険の出費を抑える必要性から、行政の方では更に自立支援に力を入れることが表明されています。そんな中、異を唱える人として記事で紹介されていましたので、興味を持ちました。

 私は、健康保険や介護保険の下に入らないことを自分の仕事の目標にしています。そうすることで、御役所が打ち出した方向性と違う方向で自分の仕事を行い、相補的な役割を担いたいからです。代替医療のひとつと位置づけられる鍼灸は、そうあるべきだと思います。

 また、実際問題、介護保険で行われている介護サービスに、全ての老人が順応できているとは思えません。「介護保険で助かっている人もいるんだろうねぇ?」と、私に問いかけるお客さんは少なくありません。介護予防のための筋トレにしても、「そんなことまでして長生きしたくない。いつ死んでもいいんだけど、病気になれば医者に行くよ。」という考えの方も多いのです。御役所の机上で考えた計画通りには、なかなか行きそうもありません。

 こういった様々な問題の解答を得られるとは思いませんが、多くの示唆を含んだ本だと期待しています。
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