トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:人生

ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
私が子どもの頃は珍しかった学習塾。今は当たり前のように、多くの子どもが通っています。

何のために塾に行くのだろう?当然、勉強ができるようになるため…

どうして、勉強ができなきゃいけないんだろう?いい大学に入って、いい仕事に就くため…

もちろん、そこで終わりではないんでしょうけど、取りあえず、そこで論理が一時停止するような気がします。

お金を儲けて幸せになる、というのが大抵の人の取りあえずの目標ではないでしょうか。そこから先はそうなってから考えて遅くはない。学習塾に収めた多額の月謝も、高収入の仕事に就いてペイすればいい。

かつての、たとえば幕末の松下村塾のような「塾」は全然性格が違います。先立つもの、つまりお金よりも、別のものを優先させていました。「夢」とか「志」とか。「生き方」というものに真っ向から取り組んでいます。

釈尊時代のインドには四時期という考え方があって、人生の中で「生き方」について考える時期をもうけるのが当たり前とされていたようです。

今はお金を「先立つもの」と呼んで全てに優先させ、人生問題を後回しにし、タブーとするような雰囲気さえある。だから、生きることが辛いのではないでしょうか?

やはり、学力向上だけを目標としたとき、学習塾経営は虚しいものに感じるのです。「別に東大に入らなくても生きていけるし…」と言われると、そっちの方が正しいような気がしてくるのです。

だから、かつての「塾」としての側面をそれとなく加味できないかな…と秘かに思っています。それが、塾として熟していくことかな…と。
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ブログネタ
死なない理由 に参加中!
私たちに与えられているのは、限られた波長の光しか感じない目と、これまた限られた周波数の音しか感じない耳。犬より格段に劣る嗅覚。ちっぽけな脳細胞がいろんな機械を発明して、もともとの能力以上のことができるようになっているけど、全知全能には程遠い。

宇宙というのは複雑多岐。何次元かわからない。3次元空間に時間を足して4次元まで、我々はかろうじて認識できることになっている。だから、それ以上の次元はわからない。

認識能力を超えた次元を見ようとすると、どういうことになるか。これには影絵の喩えがよく使われる。影絵は3次元の物を2次元のスクリーンで捉えるもの。つまり、2次元しか認識できない目で3次元の物を見ること。

角度を変えれば、いろんな形になる。こういうことは大宇宙なんて大風呂敷を広げなくても、日常的に体験できることなんじゃないだろうか。身近な出来事、身近な人、見方を変えると全然違ったものに見える。

たとえば、目の前にいる私の奥さん。一人の人間は60兆を超える細胞でできているとのこと。そして、1個の細胞を構成している原子の数は…と考えたら、これは立派な小宇宙。こういった構成要素それぞれの都合を総合して、一人の人間が動いている。ずっと一緒にいても謎が尽きない。

そんな謎めいた奥さんと、謎めいた私と、その謎を引き継いだ娘たちが影響を与えあっている。我が家の中を見ただけでも何次元かわからない多次元の宇宙。

つゆと落ち つゆと消えにしわが身かな なにわのことも夢のまた夢…

生まれるとは、何か大きな全体からポツンと一滴、しずくが落ちるようなものじゃないかと思う。葉っぱの上を転がるしずくのように、表面張力をもって、なにわの中をコロコロ転がる。

限られた窓からしか他を見ることはできないし、聞くこともできないし、嗅ぐこともできない。そんな窮屈な表面張力が用意されているのは、何か意図があるのではないか?と思う。

見えないようにできているんだから、見えるところだけ精一杯に見ればいいと思う。聞こえないようにできているんだから、聞こえるところだけ精一杯に聞けばいいと。嗅げないようにできているんだから、嗅げるところだけ精一杯に。そして、生きているんだから…

生きる意味がわからない?死なない理由がわからない?じゃあ、死ぬ意味って何なんだ?わかるのかい?

《つづく》
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 ちょっと筋トレ休んでいます。それなのに、足の親指が痛くなってきました。何もしていないのに。靴を履くととにかくジンジン痛い。そのうち治るだろうと思っているうちに、かなりひどくなっていました。ドックの結果、尿酸値が高めだったので、痛風だろうか?とか、いろいろ悩みましたが、ずっとサンダル履きにしてみたら、痛みは治まってきました。

 ところで、サンダル履きっていいなと、ふと思いました。気取らない、何気ない、肩に力の入らない状態。サンダル履きのような人生に自分はあこがれ続けているんじゃないかな〜と、自分の人生を振り返ってしまいました。

 サラリーマンは、革靴の人生ですね。しかも、普通の企業は副業を禁止していますから、2足の革靴を履くことはありません。2足のわらじと言いますが、わらじだから2足なんですね。でも、わらじだと江戸時代みたいだから、サンダル。2足目のサンダルを今探しているところです。
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