トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:世界平和

ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
「何のために勉強するの?」
「世界中の人と理解し合い、仲良くして、平和で幸せな社会を作るためだよ」

「喧嘩ばかりのこの世の中で本当にそんなことができるの?」
「宇宙から見たら地球なんて点に過ぎない。そのひとつの点の中にみんながいるんだから、いつかはできるさ。みんなが同じひとつの点なんだから、できないはずがないだろう?」

「でも、本当に本当?大人のウソでしょ?」
「…」


「できる」という確証のあることしか、してはいけないんだろうか?
「できる」という確証のあることしかしない生き方って、楽しいだろうか?
「できる」という確証のあることって、この世にどれだけあるんだろうか?
「できる」という確証のあることしかしない生き方って、生きていることになるんだろうか?

そんな生き方ばかり目指すから、生きたくなくなるんじゃないだろうか?
自分をも、他人をも、生かしておきたくなくなるんじゃないだろうか?

「生きる」とは、誰かが描いた線をなぞることではない。
「生きる」とは、誰も描かなかった線を描くことである。

到達できる目標に向かって、自分の線を描き、達成感を得る。
それを繰り返して、人は少しずつ力を蓄え、少しずつ目標を遠くに置いていく。

届かない目標でもいいじゃないか?その目標が素敵なものならば。

無限に遠い目標でも、それを目指して走り続ければいい。

「そんなとこまで、行けると思ってるのかい?」と嘲る人もいるかもしれない。
「進んでさえいれば、いつか辿りつくさ。」と平然と答えればいい。

それが、大人のウソ…

娘よ…早く…いや、早くなくていい。
でも、いつの日か、必ず、こんな「大人のウソ」が分かる人になって欲しい。
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クリスマスケーキを食べたかと思うと、一週間後にはお寺で除夜の鐘を聞き、その翌日から神社に初詣にでかける…と揶揄されますが、これが典型的な日本人です。でも、これってダメなことですか?

「これだから日本人はダメなんだよ!」という人に言いたい。「こうじゃないから世界平和が訪れないんだ!」と。

宗教はその教団内部に平和をもたらすかもしれませんが、排他的な側面もあるので、逆に他宗教との争いの種にもなります。であるならば、日本人のこのやり方はとってもいいんじゃないでしょうか?

教義に厳格な真面目な人たちが、他宗教と溶け合っていくのは難しいと思います。だから、たとえばキリスト教ならば聖書からではなくケーキから入っていって、みんなでおいしいものを一緒に食べているうちに仲良くなる…

いっそのこと、この年末年始の期間に世界のいろいろな宗教のおいしいところだけ取り入れて、日本の新しい習慣にしてしまえばいいんじゃないでしょうか。それに必要なものが売れるから景気も良くなるし、おいしいことはいいことです。

これが世界平和実現の唯一の方法だと、私は思っています!
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