トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:マスコミ

先月、『「メディアについてのおたずね」ご協力のお願い』というのをお願いされました。全国から7000人を無作為抽出した中に選ばれたということで、図書カード500円もいただきました。宝くじで300円当たったよりもラッキーです、買ってもいないのですから。

それはさておき…

いつも見ているメディアは何か?とか、信用できるメディアはどれか?とか、偏っていないメディアはどれか?という設問がありました。新聞、テレビ、ラジオ、インターネットなどをそれぞれ5段階くらいで評価していきます。それに答える中で、自分でも驚いたのですが、新聞、テレビ、ラジオに対して「信用できる」とか「偏っていない」という評価ができない自分に気付いたのです。

逆に、インターネットについては「信用できる」「偏りがない」を高評価にしました。

これに対しては、奇異に感じる方が多いかもしれません。自分の中で、これだけ極端に評価が変わってしまったのは震災がきっかけであることは間違いありません。

3月〜4月ごろにマスコミで流されていた原発の情報が、自分の理科の知識ではどうしても納得できなかったので、ネットで情報を探してみました。確かに、ネットの中には、マスコミの情報よりも納得できない情報、つまり「信用できない」「偏った」情報がたくさんありました。でも、「信用できる」「偏っていない」情報もまたネット上にしか無かったのです。

いまでこそこういった情報は、マスコミでも流されるようになってきましたし、本当のことを言う専門家も以前よりは出てくるようになりましたが、当時のマスコミは大本営発表しかしませんでした。

そういう目でメディアをもう一度見直してみますと、ネットでは結構見かけるのにマスコミでは全くみかけない情報というのが未だにたくさんあることに気付きます。

全国紙の新聞社、全国に放送網を持つ放送局などのサイトに一度掲載されていたニュースが数時間後に消えていたりすることがあります。SNSやブログなどにリンクが張ってあるのに、クリックしてみると「記事がありません」と表示されたりします。海上保安官がYoutubeに映像を公開して下さった時もそうでした。

これが、マスコミによる情報操作(隠蔽)の痕跡であります。マスコミが「信用できない」「偏っている」というのは、こういうことなのです。そして、それを知り得る手段は今のところネットしかない。それでも、そういう手段が無かった今までよりは良いことですけど。

マスコミが不要だとは思いませんが、「信用できる」「偏っていない」という評価は全く値しない。大本営がどんな情報を望んでいるかを知るのに必要な情報ソースとしては、まだ盤石の地位にあります。

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

わたしが子どもの頃は、情報は一本の大きな木でした(あくまでもイメージです)。新聞なら、朝○とか読○とか毎○とか産○とかいう名前の大きな木。テレビとかラジオもそんな感じ。血統書が付いているような情報が、限られた所から発信されていました。

しだいに形が変わっていったのは、情報のソースが増えたということかもしれません。マスコミからミニコミへと移行していったということでしょうか。小さい木がいっぱい生えている森のようなイメージになっていきました。

森はジャングルのようになり、インターネットが普及した今となっては、ひとつひとつのソースを木として認識できなくなってしまった。小さな分子となって洪水になり、海が出来上がってしまった。というのが、私の勝手なイメージです。

それととも情報の質が落ちてしまったと嘆く人は多いですね。でも、混沌の中からいろいろな生命を産み出したのも海。今までと違う新しいものがどんどん産まれてくるんじゃないかな〜と私は期待しています。

そんなわけで、海の藻屑のような文章を毎日投稿しております。それが何かと関わり合いを持って、新しい秩序だったもの(生命のようなもの)に変わっていくことを祈って。どうか、しばらくおつきあいを。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 もう20年近く前になると思いますが、西部邁さんの講演(だったと思います)を聴きました。「いまや日本においてマスコミこそが最大の野党であり、世論形成に大きな影響を及ぼしている。むしろ与党よりも強大な権力と言え、大いに警戒すべきである。」という内容だったと記憶しています。この状態に変化が起こったのではないかと私が感じるようになったのは、小泉首相が出現してからです。

 小泉さんという人は誰に何と言われても自分の信念を曲げません。総理になること、そしてその地位を守ることが永田町の常識です。だから、それよりも自分の信念を大切にする人は変人になってしまうわけです。「やると言ったら必ずやる」はリーダーとして大切なことです。いざという時に腰砕けになる大将では、部下は安心してついていけません。こういう人を「変わっている」と言うべきか、変人呼ばわりする価値観が「変わっている」のか?

 拉致問題など政治家やマスコミにとってタブーとされてきたことにも取り組みました。政治記者という人たちも永田町の論理に毒されているようで、最初は小泉首相の批判を行いました。しかし、世論調査を行って国民の小泉支持が明らかになると、急に論調が変わりました。その度に私は、マスコミやそれに出演していた専門家の方々の信念の弱さを感じました。と共に、世論の強さを感じました。そう言えば日本国憲法の原則は国民主権であった…マスコミ主権でも専門家主権でもなかった…。

 そんな矢先、新聞社や放送局での記事捏造事件や不正事件も起きて、マスコミに対する信頼も無くなりました。以前は、「この放送局のキャスターがこう言ってるんだから、そう考えるのが本当なのだろう」とか「この新聞がこう書いているんだから…」というのがあり、マスコミを通してオピニオン・リーダーたる有識者の意見に接し、自分の意見を矯正する必要を感じていました。しかし今は、どんな報道機関であろうが、どんなに立派な専門家であろうが、自分と同じ一億分の一の重みしか感じません。

 今回の総選挙の後に、筑紫哲也さんが「今回の選挙結果は我々の考えにそぐわないものであり、我々もこの選挙の敗北者のであることを認めざるを得ない」というようなコメントをされていました。「やっと気付いて下さったか」と思いました。私の一票には、マスコミに対する反対票という意味合いも強く込められていましたから。

目次(その1)を見る
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ