トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:ポテンシャル

ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
空の剪定…あらゆる方向に根を伸ばし幹を伸ばし枝葉を伸ばし得る私たちが、この世に生まれ、人として育つ中で、空から離れ、アンバランスな存在性を獲得していく。

教育も、この剪定作業のひとつなのかもしれない。今の時代をより良く生きるために、子供の頭や心を、「良かれと思う形」に整えていく作業。

この「良かれと思う形」は、時が経てば変わるし、場所が違っても変わる、「一時的な価値観」。例えば、この国の「ゆとり教育」が方向転換を迫られるのに数年しかかからなかった。国の教育方針なんて、この程度のもの。紛れもない「虚構」

切断したはずの指が痛むことがあるらしい。もう切り落とされたはずなのに、確かにその場所が「痛い」。煩悩とは、剪定で切り落とされた枝葉の叫びではないだろうか…。

例えば、多細胞生物であるがために切り落とされるポテンシャルならまだしも、国の教育方針なんかで切り落とされるポテンシャルはたまったものではない。そこに溜まった煩悩を、単に不浄のものとして片付けていいものなのか…。

ゆえに、真の教育者とは、子供の全てのポテンシャルが見えなければいけないのだと思う。その子を空なる存在として見通した上で、その子のポテンシャルの何が切り落とされたのか、あるいは何が健在なのかに気づかなければいけないのだと思う。

そして、煩悩の疼きをも、受けとめてあげなければいけないのだと思う。

それでもやはり、教育とは剪定であるから、子供が「なるべき形」を示し、その形に近づいていくことを促すために競争を仕向けることもあるだろう。

でも、その「なるべき形」とは「一時的な価値観」であることも教えるべきである。そうすれば、競争に負けたとしても、不必要に過剰な劣等感は持たないだろう。また、勝ったとしても、過剰な優越感を持って敗者を差別することもないだろう。

つまり、教育者はその心を空に保ち、子供の心を空に導かねばならない…。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ブログネタ
NHK に参加中!
山一証券のドキュメントだったと思います。ある日、突然、社長が叫ぶ。「これは倒産ということなのか?」…あのような大会社が、いつの間にか倒産していたというのです。日本を揺るがす大事件が、社長も気づかないほど静かにやってくる。

先月、昨年8月のNHKスペシャル「海軍反省会」を再び取り上げた番組を見ました。戦争さえも静かに(さりげなく!)やってくることが示されていました。海軍と陸軍の張り合い。組織の中でそれぞれの思惑を通すための策略の積み重ね。個々の策略は全てが戦争を志向していたわけではありません。むしろ勝てる見込みはないということで、反戦の動きさえも少なくなかった。それなのに…

策略の積み重ねは、今日、どこの組織でも日常的に普通に繰り広げられています。勢力争いとか、面子とか、意地の張り合いとか、そんな人間のちっぽけな感情も、つもりつもって思いもよらぬ方向に転がっていくことがあるようです。

反戦運動さえも、戦争への引き金になるポテンシャルを孕んでいる…

戦争を志向しないベクトルだけを集めたのに、全部足し合わせたら、バッチリ戦争を指し示していた!なんてことが有り得るようで、とっても怖い話です。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
これを「」と呼ぶのが正しいのか、少し迷いはあるのですが、強引にそう呼ばせていただきまして、今日も書きたいと思います。すなわち、すべてのポテンシャルを含む状態、これを「空」とします。

すべてを含んでいるとき、それは最もバランスがいい状態ですから、この世に存在することはできません。何かを捨て去ってバランスが崩れた状態、つまり対称性が破れたとき、おそらく物質としてこの世に現れます。

ウイルスでさえ、モラルのようなものがあるらしい。そのために捨て去るべきポテンシャルというのもあるでしょう。

さらに多細胞生物として生まれた場合、反社会的ポテンシャルを捨て去るほうがいい。より社会的な方向にバランスを崩したほうが、多細胞生物という自分の立場との整合性が良くなります。

そのうえ人間である、ということになると、捨て去るべきものが多分にあるのだろうと思います。その時代や国・地域での社会的制約、風習とか思想とか…いろいろなものが複合する中で、いろいろなものを捨て去っていかなければならなくなる。

そんなふうに勝手な「空」想をしたとき、それは植物の剪定みたいなものだなと思いました。

あらゆる方向に伸びていこうとする植物。最初に、天と地の制約に出くわします。地に根を張り、天に向かって芽を出す。天にも根を伸ばそうというポテンシャルは捨て去らなければいけません。

芽を出し、順調に育っているようでも、日当たりや雨風の影響で何らかのポテンシャルは捨て去って、成長していきます。

そして、実をたくさんならせようとしたとき、その作物ごとに剪定の仕方は異なります。

本当はあらゆるポテンシャルが、ポテンシャルとしては「有り」なんだけれども、現実世界の制約と突き合わせたときに、相克関係になってしまうものがある。つまり、捨て去った方がいいポテンシャルがある…

雪が解け始めると、東北の果樹畑では剪定作業が始まります。
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ブログネタ
悟りへの道 に参加中!
ウィルス性の病気を考えた時、「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉を思い出します。ウィルスに対して免疫が何も言わなければ(鳴かなければ)、病気にはならないのではないか?と思うことがあるからです。

もちろん全てのウィルスがそうだとは言いませんが、細菌のように積極的に戦う病原体というよりも、免疫系を攪乱させて病気(内乱)を起こさせる病原体が少なくないようなのです。戦争で言ったら兵隊さんではなくて、秘密工作隊のようなもの。

ヘルペスウィルスは、ずっと潜伏しているらしい。「いざ」という時に出てくる。昔風に言うと間者というのかな。「お前、内通しているな?」と問いただされるまでは良い奴だけど、発覚すると急に暴れだす…。

ウィルスは不幸な例ですけど、「幸せ」もそうかもしれない…とふと思いました。

不幸の法則と同じように、幸せの法則も、その他のすべての法則も、私たちの中に潜伏している…

高い所で空中に身を投げ出せば、たちまち重力の法則が私たちの体を支配するように…

「いざ」という瞬間に、そのポテンシャルは動き出す…

そのポテンシャルは、全てのひとに平等に潜伏しているのだけれど…

「いざ」を体験しない限り、それを感じ取ることはできない…

だから、しばしば人は…

自分の不幸のポテンシャルを呪い…

他人の幸せのポテンシャルを羨む…

しかし、ポテンシャルは平等に内在し、潜伏している…

あなたが気づいてくれるのを、じっと待っている…
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ