トトガノート

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Tag:ホロニック

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「空海の夢」(春秋社)
「27.マンダラ・ホロニクス」を読みました。

《以下引用》
ホロニクスとは、科学哲学者のアルフレッド・ホワイトヘッドや理論生物学者のフォン・ベルタランフィの有機体理論から派生したもので、その理論の継承者でもあるアーサー・ケストラーらによって命名された「ホロン」(holon 全体子)にもとづいてつくられた言葉である。だからホロニクスとは、どんな部分にも全体の動向が含まれているような部分=全体系のことをさしている。…

ただし、ホワイトヘッドはホロニックという言葉をつかわなかった。私が勝手にホワイトヘッドの考え方はホロニックなシステムに到達していたのではないかとおもっているだけだ。しかし、たとえば次のような言葉を見ると、ホワイトヘッドこそ有機体のためのホロニクスを最初に構想した科学者だったとおもえるのである。それは「一個の有機体はそれが存在するためには全宇宙を必要とする」という目のくらむような一行である。
《引用終わり》

ホワイトヘッドさんもスゴイんでしょうけど、これは華厳の中に含まれているし、空海がこれに着目していますから、こっちの方が気絶するほどスゴイことですよね…。目がくらむどころの話ではない。

《以下引用》
密教はあえて空想の場所を儀軌に導入し、直観がその宮殿に立入ることを指示したのだった。いやむしろ、人々が想像もつかないような場所や場面を導入することによって、想像力と直観力を試したといったほうがいい。このことを指摘した研究者はまだいないけれど、私は密教とはそういうものだとおもっている。そして、こうした超越的な観念場面の導入をはたしたことこそが、密教を独立させたと考えたい。

…空海が気がづいたことはこのことだったのだ。密教の奥では、正体のわからないもののためのクライマックスが出入りするということがおこるようになっていなければならないと気がついたのである。そしてマンダラとは、まさにそういうものであろうと直観したのである。そうだとすれば、マンダラのイコンたちは、そのひとつずつがホロンだったのである。
《引用終わり》

空想の場所を想定することによって、直観をフリーな状態に持っていき、直観に無限の可能性を持たせることによって、果分を説いてしまおうということでしょうか。

《つづく》
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「空海の夢」(春秋社)
「26.華厳から密教に出る」を読みました。

華厳の教理は主として法蔵と澄観によって大成されたとのこと。

法蔵は華厳宗第三祖で、第二祖までの断片的な華厳性をほぼ独力で一挙にまとめて華厳思想とした。

法蔵の思想で重要なポイントは、第一に華厳別教の一乗思想を確立したこと、第二は「五教判」と「華厳の十心」という観点。

本書に思想体系が整理してあるので見ていただくとして、法蔵の「十玄縁起」の7、因陀羅網法界門のイメージが面白いのでメモっておきます。
《以下引用》
まず、互いに映しあう主体がすでに鏡球(宝珠)になっている。したがってこの鏡球には十万四周のあらゆる光景が映りこむ。そういう互いに互いを映しあう鏡球が一定の間隔でびっしりと世界をうめつくす。ということは一個の鏡球には原則的にはほかのすべての鏡球が包映されていることになり、その一個の姿はまたほかのどの鏡球の表面にも認められることになる。
《引用終わり》
これを「部分が全体を包括しあうようなホロニックな関係」と言っています。

さて、澄観の方ですが、空海の総合主義はむしろ澄観に近いとのこと。澄観からは四種の法界縁起をメモっておきます。

《以下引用》
最初の「(1)事法界」は事象に個性を認めている段階である。個性の共存段階というべきか。それが次の「(2)理法界」になると理が事のほうに近づいて精神優位となり、なんとか意識のうちでは事象の差が薄くなってきているのだが、事態のほうにはまだ事物の相互性がこだわっている。

ついで「(3)理事無礙法界」になると、事法と理法とはちょうどよいぐあいに溶けこんできてライプニッツのモナドが充ち、互いを隔てるいっさいの障害がなくなってくる。認識世界と現象世界の区別がまったくないという超越状態なのである。ユンクやパウリのシンクロニシティがあまねく充ちている状態ともいえる。ところが華厳世界ではこれが終点ではない。もう一度、精神世界が脱落しなければならなかった。完全なる「物質の自由」という極地であり、意識の微粒子はおろか、彼方からの情報の来臨もない。いったいそんな世界がありうるのかどうか、まったく保証のかぎりではないけれど、それが華厳の相即相入の「(4)事事無礙法界」というものである。
《引用終わり》

空海については『秘密曼荼羅十住心論』の略本、『秘蔵宝鑰』に関する記述をメモっておきます。
《以下引用》
空海は略本ではそれぞれの段階に密教的発端があるはずだという確信を吐露したのである。10の「秘密荘厳心」(密教心)を1から9までの段階からひとり隔絶した超越点におくだけではなく、1から9までのそれぞれに10の萌芽を含ませたいという意図になっている。
《引用終わり》

これも重重帝網のような、ホロニックな構成ということのようです。

《つづく》
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「空海の夢」(春秋社)
「4.意識の進化」を読みました。

この章は、生物の進化について書かれています。意識の発生とか言語の発生までの進化の歴史がサラッと。声が言語に及ぼす影響などを後述するための布石のようです。

《以下引用》
…大脳生理学の研究によって、これまで左脳に管理されているとばかりおもわれていた言語記憶が、実は両脳にホロニックな散華のごとくにばらまかれていて、それがある種のイヴォケーター(evocator喚起子)によって一挙に再生されるのではないかという仮説になってきた。つまり、言語記憶の再生は、ローカル(局所的)ではなくノンローカル(非局所的)なものの連動的な協同現象なのではないかということである。ところが、イヴォケーターによって一気呵成に再生がされるとはいっても、そこにはひとつの条件が付加される。それは、かつてその言語が発現された場所を想定しなければならないという条件である。…
つまり、言語記憶の再生は大脳の皮質の上ではノンローカルでありながら、その再生のためにはあえてローカルな場所を外部に設定して、それを脳のどこかに想定したほうが有効だったことになる。つまり言語記憶とその再生にはつねに「場面」が必要だったのである。
…《引用終わり》

言語記憶は、記録されるときにバラバラに記録されるため、再生するときは多少違った形になってしまう、という大脳生理学の仮説があるとのこと。

記憶が変質してしまうということは経験的によくあることです。それが元で仏説の解釈に違いが出てきて解釈分派闘争が勃発したということなのですが…。

仏教を論ずるのに、大脳生理学にまで行ってメカニズムを論ずることもないと思うのですが…。これも後述する章の布石のようなので、後を楽しみに致しましょう。

《つづく》
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