年に何回かに分けて児童手当というお金が振り込まれます。多額ではないにしても助かります。子育て家庭を支援するのであれば、こういう使途を限定しない現金支給が一番いいと思います。

公費で保育園などを建てて運営したり、補助金を出したりするのであれば、その予算を全て子育て家庭にばら撒けばいいと思う。そのお金で、働きに行かなくてもよくなるお母さんもいるだろうし、あるいは延長保育を頼んで働けるお母さんが増えるでしょう。そうすれば、必要に応じた数だけ、必要に応じた形式の民間の託児施設ができてくると思います。経営が苦しい施設が多いと聞きますが、子育て家庭が潤えば利用料の値上げも可能だと思います。託児施設に対する補助金の不正受給の問題も無くなる。

介護保険も含めて、原則として現金支給にするという方向性はないのでしょうか。納税者に返すだけなのだから、簡単だと思うのですが。

ところが現実は現物支給が多いし、検討するにしてもバウチャー制というのが多いですよね。なかなか現金支給という方向に議論がいかないのは、「子育て」なり「介護」なりの名目で支給されたお金が別の目的で使われるかもしれないと疑っているからでしょう。

だけど、何度も言うけど、税金払ったのは我々なんだからね!と言いたいのです。民間人は、自分で稼ぎ出したお金の一部を差し出しているんだぜ!と。お役所ってのは自分では一円も稼ぎだしていないで、税金として転がり込んできたお金を使うだけだろ!と。だったら、納税者を疑うのは失礼というもんじゃないでしょうかねえ?

で、今日はここからが本題なんですけれど、「○○が絶対必要だから、それ買うためにお金ちょうだい!」と子供に言われてお金を渡した。ところが、○○も買ったけれども、それ以外の物もこっそり買っていた。さらに○○はそれほど必要なものでもなかった。ということが分かったら、どうですか?

こんなふうにねだられて「今回だけだよ」と暫定的にお金を渡したことがこれまで何度かあったとしましょう。子供がまた同じ手を使ってねだってきたら、親はお金を渡すべきなのでしょうか?今度こそ本当に○○が必要だとわかったとしても「今まで渡したお金が余ってたでしょう?無くて困るのなら、せいぜい困りなさい」と言って、困らせます、私なら。これを許してしまったら、まっとうな人間に育たなくなると思うから。

この理屈でいけば、たとえ地方に道路が必要な地域があったとしても、「暫定」を自動的に延長するのには賛成できません。一般財源化という方向はあるにしても、このまま自動継続はおかしい。

これは予算通り現金支給しているから、こういうことになるんじゃないだろうか?道路を作ったら道路の請求書、マッサージチェアを買ったらその請求書、旅行したらその請求書を、別な機関(たとえば財務省)に渡し、その機関が業者にお金を支払うというシステムにしてはどうか?支払いに際しては必要かどうかの審査が行われ、認められないものは支払わない。マッサージチェアとか旅行は自腹になる。

道路特定財源というのであれば、道路バウチャーチケットというのを発行して、本当にそれ以外の用途では使えないようにするのもいいと思います。

とにかく改革が必要なのですが、あのオジイチャン内閣では無理でしょうね。敵前逃亡したお坊ちゃま内閣を、落し物を拾うようにして始まった暫定政権だから、「暫定」とつくものは「自動継続」にしないと自分が危ういということなのでしょう。