トトガノート

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デジタル

教科書のデジタル化について書いてから、ばんやり考え続けていたのですが、「デジタル」という革命がどういうことなのか、現段階で自分なりに整理がついたので書いておこうと思います。

産業革命と比較してみました。産業革命は内燃機関の発明と普及が世の中を変えていきました。汽船、汽車、さらに発展形として自動車。人間はそれまでには考えられない速度で移動し、大量の物資を輸送することができるようになりました。輸送にだけ着目すれば「足」の機能を代替する画期的な手段ができたという革命です。

「江戸に行く」ということは、一歩一歩、ミクロの積み重ねでした。道端の花に目を止めたり、湧水を飲んだり、いろんな宿に泊まったり…「江戸に行く」ということの中には、それによって派生する様々なことが含まれていました。でも、現在では東京出張は日帰りです。ひとつのマクロ処理になってしまいました。東京に行くということで派生する様々なことはほとんど無くなりました。味気なくなったと言えますが、格段に効率的になったということでもあります。

IT革命はコンピュータの普及が世の中を変えました。コンピュータと言ってもパソコンだけではありません。CPUとかDSPとか、小さいコンピュータがほとんどの工業製品に入っていると言っていい状況だと思います。これは機械の制御信号をデジタル化したことに起因します。デジタル化すれば、電卓をポンポンと叩く要領でいかなる制御信号でも作り出すことができます。

これは「脳」の機能の一部を代替する手段の革命と言えるかと思います。データを探し出したり、並べ替えたり、集計したり、記憶したり…というコツコツとミクロの積み重ねでやらなければいけない作業が、ほとんど自動化できるようになりました。自動化のプログラム(エクセルならばマクロ)さえ作っておけば、かつて膨大な時間を要した作業はほとんど要らず、ただ最初の生データさえ入力すればよくなった。

先の革命は肉体的作業の自動化、今回の革命は知的作業の自動化。自動化することによって、何年もかかっていた大仕事(大プロジェクト)の一部が一足飛びに処理できるようになり、小さな仕事になっていく。それが文明が進むということなのかもしれません。

ただ、古典的な手段が無くなってしまうわけではありません。基礎的な運動能力は健康のためにも必要ですし、スポーツという形で運動能力を競い合い高め合うことは重要です。

モーター・スポーツという言葉には少し違和感を感じます。体をほとんど動かさないのにスポーツなのですから。産業革命を踏まえたスポーツといえるかもしれません。私は弓道部でしたが、「あれは運動部なのか?」とよく言われたものです。でも、体をほとんど動かさないスポーツがあるんですから、体をほとんど動かさない運動部があってもいいわけです。

最近、テレビゲームで競い合う競技大会が海外で盛り上がっているそうで、これもスポーツとみなされているようです。これはIT革命を踏まえたスポーツと言えるかもしれません。

こんなふうに考えていきますと、IT革命を踏まえた教育というのも何となくイメージが湧いてくるような気がします。つまり、読んだり書いたり計算したりという基礎的能力は、やはり必要でしょう。そういうコツコツ作業の要領や意味をしっかりと踏まえた上で、そういった作業群をひとつのマクロとし、複数のマクロを組み上げて大きなプロジェクトを構想し、遂行する能力が新たに求められるようになってくる…ということなのかなと思います。

調べものも楽になります。もちろん、重たい書物をひっくり返してページをめくりながらのコツコツ作業も必要です。そうしなければ調べられないことは必ずあるはずですから。でも、クリックひとつで分かることは、可能かつ適切な範囲で活用していくのもこれからの能力と言えます。

考えてみれば、このトトガ・ノート。自分のノートの中をクリックひとつで行ったり来たりしながら復習できるノート…というコンセプトで作り始めたものです。しかも、ケータイでいつでも見返すことができる。

筋肉や経穴に関する情報も、訪問治療の出先で、ケータイで確認することができ、治療の質を高めることができます。

この方法を使ったから自分は仏教の勉強が続いているんだと思います。いろんな本を引っ張り出して読み比べたりするのは、面倒くさがりでできないんです…

やっぱり、デジタルって便利かも。
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テレビ地上波の次は、学校の教科書がデジタルになるようです…。

情報革命に関するNHKの「大人ドリル」を見ました。デジタル教科書の全面導入を10年後に設定し、文科省が検討に入っているというのは驚きました。うちの娘はギリギリで中学校を卒業するかどうかくらいですから、関係ないと言えば関係ないのですが、その世の中の動きに無関係ではいられません。

公文の塾は続けているでしょうから、どんなふうに対応していくかという問題もあります。

ナンセンスな冗談を笑うためには、常識的なセンスが前提にあります。常識が無ければ非常識は分からない。バーチャルとリアルもそんな関係にあると思います。現実社会(リアル)に充分馴れ親しんでいない小学生が、いきなり仮想社会(バーチャル)に入り込んでしまっていいのか?という不安はどうしてもぬぐえません。仮想空間の中だけで生きていくことはできないですからね…。

しかし、技術の進歩は、仮想空間に全く関わらずに生きていくことをも難しくしています。

お年寄りに言わせれば、パソコンでいろいろなことができるようになることは、むしろ世の中が厄介でややこしいものになるだけのようです。薪でお風呂を沸かすしかない時代の方が、簡単で分かりやすかった…。

新しい技術への対応を考えるときに、いつも思い出すことがあります。会社勤めしていたころに聞いた話ですが、「マシン語が分かる人の方が、高級なプログラミング言語しか知らない人よりも良いプログラミングをする」ということ。私はハードウェアの設計をしていましたから、「トランジスタ・レベルで設計したことがある人の方が、論理回路しか分からない人よりも良い設計をする」というふうに置き換えて、納得していました。

これをヒントに考えれば、現実社会での積み重ねの多い人の方が、仮想社会でも活躍できる可能性があると言えそうです。NHK趣味悠々のパソコン講座を担当されている中谷日出解説委員によれば、高齢の方のブログの方が読み応えがあるとのこと。

しかしながら、回路設計業界がそうであるように、昔の技術ばかりではもうやってられない。トランジスタレベルから人手でLSI設計をしていたら、一生かかっても一つも仕事が終わらないことでしょう。

仮想社会はどんどん膨れ上がり、そこにかかわる時間がどんどん増えていくのがこれからの時代の趨勢であることは間違いありません。

そうなると、やはり教科書もデジタルでなければいけないんでしょうかね…。
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