トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Tag:あそびあランド

あそびあランドのコンセプトは熟知しているつもりなのですが、なかなか行く機会がありません。娘たちが親に似てインドア派だからでしょうか。

この日は用事がありまして、あそびあランドに行くことになりました。ちょうど、娘の友達が遊びに来ていて、天気が良いにも関わらず家の中で遊びそうな雰囲気だったので、誘ってみました。




娘たちを解放してみると、まず行ったのが大けやきもどき↑(正式名称が分かりません)。




次にふわふわドーム↑

まだまだ、あそびあの醍醐味が分かっていない遊び方だ…。

私は駒回しに挑戦してみましたが、駒に紐を巻くのさえ、なかなかできなくなっていました。

暖かかったので、川に裸足で入ったり、噴水を浴びたりしてビショビショになって遊んでいる子がいっぱいいました。

こんな子供らしい子供、最近はなかなか見られないな…。
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11月25日に、関戸博樹さんの講演を聴いてきました。その中で、「生業(なりわい)と仕事」という言葉が出てきました。

生業(なりわい)とは収入を得るためにすること、仕事とは地域のためにすること、という定義です。最近は、生業の意味で「仕事」という言葉を使いますから、仕事をする人がいなくなってきているわけです。そういう人がいないとコミュニティは立ち行かなくなるわけですが、それを担おうとする使命感とか義務感を持つ人が激減しているというのが現状。

関戸さんがおっしゃるのだから、全国的な傾向なのですね。

さて、最近の私のバイブル「スタンフォードのストレスを力に変える教室」では、ストレスを受けた時、利己的な行動に出る人がいる反面、利他的な行動に出る人いる、と述べてあります。「ストレスを感じているときは、仲間を強く信頼し、寛大になり、自分のためを思うよりも仲間を守ろうとします。(p217)」

で、これは「思いやり・絆反応」と呼ばれ、ストレスホルモン(ストレスを感じた時に分泌されるホルモン)のひとつ、オキシトシンによることが分かっています。他にもドーパミン、セロトニンが分泌され、信頼、勇気、やる気、自信、知覚、直感、自制心などがアップし、恐怖は感じなくなります(p220)。

オキシトシンは、特に心臓細胞の再生や微小損傷の修復に役立ちます(p114)。そして、最後の章では以下のようにまとめてあります。

ストレスは健康問題のリスクを高めますが、周りの人の手助けをしたり、仲間やコミュニティのために定期的にボランティア活動を行ったりしている場合には、そのようなリスクは見られません。(p331)
Stress increases the risk of health problems, except when people regularly give back to their communities.

つまり、地域のための仕事をすると、健康になる(可能性がある)のです。まさに「情けは人の為ならず」と言ったところでしょうか。
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11月25日に、関戸博樹さんの講演を聴いてきました。その中で、自己肯定感という言葉が出てきました。国際比較した時に、日本の子どもたちは著しく低いという調査結果が紹介されました。

この調査、最近、何度か目にしています。自己有用感と共に、「自信」を持つために必要なものです。

講演では、遊びとは「自分で自分の物差しを決める」ことという定義を基に、遊びが「自己肯定感」を育むから遊びは大切であるという流れだったと思います。

日本人は、自信過剰の弊害ばかりに着目してしまう傾向がありますが、行き過ぎになってしまったようですね。

私が「自己肯定感」という言葉を初めて見たのは、心理学の本、確かレジリエンス(resilience)の本だったと思います。レジリエンスは、気持ちが凹んだ時に元に戻る回復力のことです。「自信」は、レジリエンスを構成する大きな柱のひとつです。

さて、最近の私のバイブル「スタンフォードのストレスを力に変える教室」では、ストレスを受けた時の反応には望ましくない「脅威反応」と望ましい「チャレンジ反応」があり、後者を起こりやすくするための「もっとも効果的な方法は、自分の個人的な強みを認識すること(p198)」とあります。

「チャレンジ反応」は、試合とか試験とか、絶対に外せないという大きなプレッシャーを感じる舞台で、緊張をむしろエネルギーに変えてしまう反応。そのスイッチになるのが「自信」なのですから、日本人はこれからどんどんプレッシャーに弱い国民になる可能性があるということです。

また、p282には「逆境がレジリエンスを強化する」という言葉もあります。ここで言っている逆境は、PTSDに至るような絶望的な状況ですが、小さな逆境でもレジリエンスは強化できるはずです。

例えば、毎日遊んでいて「あ、やばいかも」と思うような瞬間。そこで、子どもなりの「認知→判断→行動」で、危険回避の実績を積むことで、たまには失敗をはさみながらも、自信を深めていけるでしょう。

そのため望ましい遊び場を考えると、「あ、やばいかも」と思う瞬間がほどほどに発生する場所ということになります。それは、ほどよい管理不行き届きな状態の場所に他ならないわけです。
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11月25日に、関戸博樹さんの講演を聴いてきました。フリーランスのプレイワーカーです。東根のあそびあランドには、プレイリーダー(プレイワーカーは同義らしい)という方々がいらっしゃるのですが、フリーということはどこにも属さない?ということになります。

ちょっとイメージが湧かない…。そこで、質問させていただきました。

以下、宴席で伺った記憶を私なりに補完しますので、正確でないところもあるかもしれませんが、御了承下さい。

あそびあランドのような場所は全国に400くらいあるそうです。そのほとんどは臨時のもので、あそびあランドのように常時運営しているものは一割の40くらい。しかも関東圏に集中しているのだそうです。

そこでプレイワーカーという人たちが働いているわけですが、昇給はないし、働く年数に5年とかの上限があったりで、とてもずっと続けていける仕事ではないのが現状。なので、専属になるよりは、むしろフリーの方が可能性があるとのこと。

さらに、あそびあランドのような施設の設置を自治体に働きかける活動も必要で、それも含めたものがプレイワーカーの仕事であると関戸さんは考えておられます。そのためのプレゼンなどのスキルを磨くためにも、フリーの方が良いとおっしゃっていました。

奥様も、「こういうことをやりたい」と言ったら、「そう言うと思っていた」と言ってくれたそうで、凄い方だと思いました。強い情熱、覚悟、信頼を感じました。

関戸さんとお会いするにあたり、これから自治体を説得しなければいけない市民としてではなく、既に理解してくれている自治体に住む市民としてお会いできたことは、何とも誇らしいものがありました。このadvantageを、今後どんなふうに発展させていくか問われていることにも気づくことになりましたが。
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11月25日に、関戸博樹さんの講演を聴いてきました。フリーランスのプレイワーカーです。

まず、面白いと思ったのは、遊びの定義。関戸さんの定義は「自分で自分の物差しを決める」ということ。昨年伺った天野先生のお話の中の3番目の条件と同じだと思われます。

自分で好きなようにやって、自分で良かったと思えればいい。

ですから、遊び方が決まった遊具(アトラクション)で、そのルールにのっとって遊ぶのは遊びではないと言えるかもしれません(子ども自身がその決まった遊び方以外では絶対に遊びたくないと望んでいれば別でしょうが)。

関戸さんがスライドで示された、すべり台の例が分かり易かったです。すべり台を両足を伸ばして座った状態で滑るのが第一の段階です。次にうつ伏せになって頭を下にしてスケルトンのように滑っていくのが第二の段階。さらにすべり台のスロープの方を下から登ろうとするのが第三の段階。それぞれに名前が付いていました。英語でも書いてあったので、外国で学術的に研究されているようです。

第一の滑り方が正しい滑り方で、それ以外は普通はNGです。もし私の娘がやっていたら「やめなさい」と言ってしまうでしょう。でも、自分が子どもの頃は、全部やっていました。第二、第三をやってみたくなるのが、子どもとしては自然だと思います。

で、おそらく第二、第三のような、ノーマルな方法から外れた滑り方こそが、「自分で好きなように」やる本当の遊びということなんだろうと思います。

遊具がきちんと整備されていて、スタッフがきちんと監視しているような場所では、本当の「遊び」はできないはずなんですね。子どもを遊ばせたいのであれば、放置にはならない程度の放任をする必要があります。

大人は、ほどよい管理不行き届きな状態を意図的に作り上げなければいけないのです。

リスクが必ず生じるし、毎日やっていれば必ず何か起こるでしょう。大人(プレイワーカー、プレイリーダー、一般の人)はその時を想定して、責任者探しをしなくても良いような状態、つまり信頼関係の構築が大切ということになります。今回も、私は、育成会(地域の親と子が参加する会)の人間として参加させていただきましたが、こういった信頼関係の下に活動をするという点では同じです。

これまで、地域の大人たちが誰から頼まれるでもなく当たり前のこととして、程々に不行き届きな管理をしてきていたのに、ここに来てそれが自然消滅しつつある。故に、プレイワーカー、プレイリーダー、そしてあそびあランドのような場所が必要なのだということ。しっかりと再認識することができました。
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夏休みは、毎年頑張ってポスターを描いて、JAに応募します。なぜなら、入賞するとジェラートの無料券がもらえるから!

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長女:佳作(2015/10/18 16:02)


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次女:最優秀賞(2015/10/18 16:03)


今年も、もらえました!

毎年、よってけポポラ(山形県東根市中央東3丁目7番16号)に掲示されます。絵を見ながら、ジェラートを食べます。

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私はマンゴーを頼みました。マンゴーの果肉がゴロゴロ入ってました!(2015/10/18 16:14)


願わくば、もう少し早い時期(暖かいうち)に頂きたいのですが…。

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(2015/10/18 16:19)


この日は、それほど寒くなかったので良かったです。

よってけポポラは、JAさくらんぼ東根のファーマーズ・マーケットです。生産者の名前入りの新鮮な果物・野菜が販売されています。向かいには子どもの遊び場「あそびあランド」(山形県東根市大字東根乙1119番地の1)や東根市民体育館があります。
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10月21日に、天野秀昭さんの講演を聴いてきました。日本最初のプレイリーダーということで、東根のあそびあランドの最大のアドバイザーと言っていいかと思います。私としても、いろんなヒントを頂きました。講演内容をメモっていたわけではないので、私の記憶違いもあるかと思いますが、天野さんに興味のある方は御著書などをご覧頂けたらと思います。ここには、天野さんの講演を聴いて私が考えたことを書きます。

講演は「遊び」の定義から始まりました。記憶に残っているのは3つ。
1.自分から好んで行うものであること
2.効率は求めないこと
3.結果は自分で評価できること

この3条件はなるほどと思いました。子どもであれば学校、大人であれば職場で求められることのネガにあたると思います。昨日の話の「自由」の内容を細分化したものと言えるかもしれません。

1.では、自分からやりたいと思ってやる「おにごっこ」なら「遊び」だけれども、無理に誘われたり先生からやりなさいと言われてやる「おにごっこ」は「遊び」ではない、という説明がありました。

でも、仕事はどうでしょう。喜んで楽しくやっている場合もあるでしょうが、「やりたくなくてもやらなきゃいけないもの」という側面は必ずあります。「余り好きじゃない人たちと、嫌いな人の指示に従って行う」場合も往々にしてあります。

2.では、「材料を無駄に使わない」とか「できるだけ短時間で行う」といった制約がないということですが、逆に、こういう制約がない仕事なんて考えられません。最近の子どもの場合、何か作るにしても材料は買わないといけない場合が多い(リサイクル工作とか言っても材料全部揃えるためには多少の金がかかる)し、習い事のスケジュールが押していたりするので、効率性という制約が生じてしまうことが多いようです。

3.では、最初作ろうとしていたものと違うものができてしまっても、「これでもいいや」と自分が満足できればOKということ。最初の目標設定から自分自身によるものですから、成り行きでどんどん目標が変化していって構わないわけです。そして、最終的に自己満足の状態で終れればそれで良い。仕事では絶対にこれは有り得ないし、学校でも目標達成度に応じて評価されるのが普通です。

天野さんが脳について少しだけ話をしたので思ったのですが、この「遊び」は「哺乳類の脳」と呼ばれる旧皮質が活性化する活動のような気がします。そして、これとは真逆の、ネガに相当する「仕事」は、新皮質の前頭前野がコントロールすることで成り立っていくのでしょう。

胎児は生まれてくるまでに進化の過程を繰り返します。ですから、旧皮質の健全な発育のあとに新皮質の発育が来ると考えるのが自然でしょう。子どものうちに「遊び」の部分をきちんと構築しておかなければいけないのかもしれません。

小さいうちなら、サンタクロースや宇宙人に夢中になるのが許されるように、子どものうちなら「遊び」が許される。いつまでもそれをやっていると、「もういい加減オトナになろうよ」と言われたりするわけですが。

ただ、オトナは遊んじゃダメということではありません。「趣味」の部分でヤンチャなオトナはたくさんいます。さらに言えば、「仕事」に「遊び」を取り入れることも可能性としては有ります。

かく言う私、脱サラしたのはそこなんじゃないかと思います。自営ならば、気乗りしない仕事は敬遠することができます。効率という点でも自分のこだわりを押し通すことは可能です。さらには目標設定さえ、自分で修正が随時可能です。もちろん、これをやり過ぎれば食べていけなくなりますが…。それでも、「遊び」が少しでもあれば、「仕事」はかなり楽しいのです。売れっ子の芸術家とかなら、かなり「遊び」が許されるでしょう。「趣味が仕事」という羨ましい状態。

会社でも、そういう試みは見られますね。日常の業務にゲーミフィケーション(Gamification)を取り入れている会社がテレビで紹介されていました(一年半前にも同様のこと書いてました)。

そう考えると、必ずしも「仕事」と「遊び」は対極にあるものではなく、「仕事」に「遊び」の要素を取り入れることはアリで、運が良ければ「仕事」がそっくり「遊び」になることも有り得るわけなのです。「好きなことで、生きていく」という状態ですね。もちろん、それを夢見て痛い目に遭った人もたくさんいるのでしょうが。

だから、「勉強」に「遊び」を入れることも可能なはずです。頭書の3条件を加味できれば、「勉強が面白くてたまらない」という状態が実現できるかもしれません。

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