トトガノート

All about TOTOGA

小さな偉人伝

*** The old woman makes up by herself every day. ***

柴田朋子さん(仮名)は町工場に勤める御主人を、妻として支え続けた。屋敷には畑が少し有り、近隣の農家の指導を仰ぎながら、自分たちが食べる野菜を育てた。量は多くないけれど、広さの割にいろんな種類の野菜を収穫できた。

御主人が定年になると、朋子さんは少しずつ畑の技術を御主人に伝授していった。「厳しい先生でしたよ(笑)」と御主人。それが数年前から認知症の症状が出始めた。

介護サービスを利用してデイサービスに二回ほど行かせたが、嫌がって二度と行こうとしない。先週から肩が痛いとしきりに言うのだが、治療院に連れて行こうとするとデイサービスだと思って猛烈に抵抗するので治療ができない。そこで出張専門の私にお呼びがかかったということらしい。

「この金魚はね、私と向かい合ってるだけだとますます頭がおかしくなると思ってね(笑)」と御主人。

男二人で話し続けていると、朋子さんがお茶を入れようとした。
「俺が入れるから、やめなさい!」と、穏やかだった御主人の語気が変わった。
「何で!?」と朋子さんがにらみ返した。
「入れていただきましょう。」と言って、私は御主人の顔を見た。

茶筒を開けて、それぞれの茶碗に茶葉を入れた。何も入っていない急須にポットからお湯を注いで、それを茶碗に。茶葉の浮いたお茶が3人分出来上がった。
「どうぞ」と朋子さん。
「ありがとうございます」と受け取り、茶葉が口の中に入らないように口をすぼめて飲んだ。御主人が情けない顔をして苦笑して見せた。

朋子さんは満足そうな様子。お茶の入れ方は忘れても、自分の役割がお茶を出すことだということは覚えているのだ。それをできずにいたこの数十分間、彼女はずっと所在なさを感じていたに違いない。

私は、彼女の眉が左右バランスよく綺麗に描かれていることに気がついた。食事の支度も洗濯も御主人がやっていると言っていたが…
「眉は旦那さんが描いて上げてるんですか?」と訪ねてみた。
「何?何ですって?」

「眉ですよ。綺麗に描けてます。化粧もちゃんと。」
「化粧?知らないです。自分でしてるんじゃないですかね。」

「美容院に最近行かれたのかな?」
「行ってないです」

「じゃあ、ご自分でされてるんですね」
「亭主の顔は忘れても自分の顔は忘れないか(笑)」

男二人が顔をのぞきこんで話しているので、朋子さんが怪訝な顔をした。

「上手に化粧できてますね!」
「えっ?」

「お顔、綺麗です!」
「ふふふふ…」と朋子さん。初めて大きく表情が動いた。

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*** An old couple lived in the little house. ***

「鍼灸の先生の電話だと伺ったのですが。」と、とても真面目そうな男性から電話をいただいた。何度か聞き返すことがあるので、耳が少し遠いらしい。詳しいことは直接会ってからの方が良さそうだ。住所を聞いて、訪問の時刻を決めただけで、電話を切った。

住所の所に行ってみると、そこは小学校の時の通学路。よく見覚えのある家だった。40年以上前から同じ佇まい。でも、中に入ったことは一度も無い。どんな人が住んでいるんだろう、というワクワク感は、この仕事の大きな楽しみの一つである。

玄関を開けて「御免下さい!」と声をかけると、すぐ前の障子戸がスッと開いて、小鳥が巣箱から頭を出すように、眼鏡をかけた白髪の老人の顔が現れた。後の会話で80代後半であることが分かったが、動作は機敏で、口調も早い。

「あ、鍼灸の先生ですね?さあ、どうぞどうぞ、狭い家ですけど中に入ってください。」

障子戸の奥は茶の間で、テーブルが真ん中にある。テーブルを囲んで人が座れば、他には何も置けないくらいの狭さ。でも、昔はどこの家もこのくらいのサイズだった。このくらいで十分なのである。それなのに、最近は大きな間取りの家ばかりになってしまった。だから、この家の主人も言い訳をしなければいけなくなった。

イスに老婆が座っていた。洋間用のイスであるが、テーブルは和室用なので膝くらいの高さしかない。テーブルの上には水槽が置いてあり、金魚が数匹泳いでいた。イスから金魚を観察するにはちょうどいい高さかもしれない。

「婆さんです、先生。お願いしたいのは婆さんなんですよ。でもね、もう、私が誰かも分からないんです。」

それが、柴田朋子さん(仮名)との出会いだった。

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*** My client showed me her aneurysm. ***

阿部光代さん(仮名)と出会ったのは、前回の山下さんのお宅でだった。山下さんに施術している最中に、阿部さんが立ち寄ったのだった。

阿部さんも80代。腰椎に圧迫骨折があり、体勢を変える時は痛みを感じるけれども、じっとしている分には痛みは無い。それでも車の運転は無理だから、お嫁さんが時には運転手、時には看護婦、時には秘書となり、常に脇に控えていた。お嫁さんと言っても、娘もいて、孫もいる。孫を幼稚園に迎えに行くのも彼女の仕事だった。

だから、光代さんの治療が自宅でできるとしたら、願っても無いことだったようだ。

彼女の自宅はサクランボ畑の真ん中にあった。この地域は今でこそ壮大な果樹畑であるが、光代さんが移ってきたころには荒地だったらしい。土の上に石がゴロゴロしていて、そのままでは何も作れないやせた土地だった。

それを日本一のサクランボの産地に仕立て上げた苦労は、とても我々には想像できない。彼女の家は大きくて立派な上に、高価な置物がたくさん飾ってある。少し変形した彼女の腰だけが、当時の苦労を物語っている。

彼女から依頼が来るときは、いつも近所の御茶飲み友達が3人くらい来ていて、一緒に施術をした。ある人は腰に、ある人は膝に、ある人は肩に、それぞれ若い時の苦労が深く刻まれていた。

そんな治療が数年途絶えて、久しぶりに電話をいただいた。秘書のような、あのお嫁さんからだった。

伺うと、奥の光代さんの部屋に通された。部屋の真ん中に介護用のベッドが置かれ、光代さんが横になっていた。寝たきりと言うわけでは無いが、トイレに自分で行く以外はベッドに寝たままの状態になっているという。枕元には、エアコンとテレビのリモコンが置かれていて、コードレス電話もある。

小一時間の施術中にも、かつての御茶飲み友達や、近くに住む娘から電話がかかってくる。身の回りの世話はその娘とお嫁さんが交代で担当。かなり恵まれた環境のように思えた。

自費出版したような歌集も置いてあったので、
「どなたの歌集ですか?」と尋ねたら、
「私の」と答えた。
趣味で短歌を詠んでいたらしい。結構、インテリなのだ。

ある日のこと、彼女が言った。
「私の腹がピクピク動くんだけど。なんで?」

私の場合、主に治療対象となるのは背中側の方で、お腹を診るということは滅多にない。
「痙攣ですかね?痛みはありますか?」
と聞きながらも、触診しようとしない私に焦れたようで、
「手、貸して」と言って、私の手を握るとヘソの辺りにゴソゴソっと導いた。
その時の彼女はいたずらっぽい笑顔をしていて、艶めかしくも感じられ、ドキリとした。

お腹はとても硬かった。
「便秘してますか?」と聞くと、首を横に振る。

確かにピクピクしているが、これは痙攣と言うより拍動のような気がする。
「今度は私に手を貸してもらえますか?」と言って、手首の脈を診た。
少し時間差があるけれども、同期している。

でも、こんなところに動脈?何だかとんでもないことのような気がした。

「主治医の先生に連絡は取れますか?」と言ったら、光代さんがダイヤルしてくれて、すぐに医師に説明することができた。

「なんだか、動脈みたいに脈が感じられるんですが…」と言うと、
「そうですよ。動脈ですよ。」

「え?」
「動脈瘤なんですよ。」と、主治医は平然と答えた。

「それって…大変なことじゃないんですか?」と私は叫んでしまった。本人の前で!
「ええ。大変なことです。」と、むしろ可笑しそうに答えた。

「説明はしてあるんです。本人にも説明したと思うんだけどな…」

電話を切って、光代さんには「大変」なところだけ省いて、お腹の所を通っている血管の脈がお臍の所で感じられるようになっているのだと説明した。

「ああ、そうなの。だったらいいけど。」という反応。

そして、それが最後の施術となった。数か月後、彼女の訃報を地方紙のおくやみ欄で見つけたのだ。

彼女の意図が何だったのか、今でもよくわからない。医師から説明を受けていたのであれば、私に尋ねる必要はない。自分が抱えている爆弾に驚く顔が見たかったのかもしれない。死への恐怖以上の苦労を経験している彼女には、「大変」なこととて、大したことではなかったような気がする。

ともかく、私は、治療師として貴重な体験をさせていただいた。それと共に、彼女のいたずらっぽい笑顔を今でも忘れることができない。

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山下リツ子さん(仮名)からは、いつも突然に、電話が来る。

「今、空いてる?」

不思議といつも大丈夫。家が近いから、こちらの動きを見ているんじゃないか?と思うくらい。

苦しいのは、いつも腰。片足に坐骨神経痛の痛みが走る。これがひどくなると、私に連絡が入ることになっている。

でも、この日は違っていた。肩が苦しい、と言う。部屋を見まわして合点がいった。作りかけの木目込み人形が三体もある。ほぼ出来上がったサル、半分くらいのサル、全然手つかずのサル。まるで日光の三猿だ。

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「木目込み人形作ってるんですね?」
「そう。干支だから正月には間に合わせないとね。日中はお客さんが来るから、夜仕事にしてるんだよ。途中でやめたくないからね。」

彼女は80歳。開業当初からのお客様なので、60代からのお付き合いになる。その頃は御主人も健在。娘さんが二人いるが、北海道と大阪に嫁いでいるので二人暮らし。時折見せてくれる写真の中のお孫さんも小さかった。もう、今では御主人の方が遺影となってしまったが、お孫さんはそれぞれ所帯を持っている。

「二人の娘のところに、毎年、干支の木目込み人形を送ってたんだよ。どっちの家も十二支揃ってホッとしてたら、今度は孫が所帯持ったからね。孫の家にも送らないといけないでしょ。早いところは卯年から、その次のところは巳年から揃ってるけどね…今年から始まったところもあるから、今年から3つ作らないといけなくなった。でも、どこまでそろえてあげられるかね…(笑)」

年を取るということは、日々、自分の体の衰えに気づくことでもある。その衰えに合わせて、自分の楽しみを削っていくという生き方もある。しかし、多少無理をして動かしていないと、体はその衰えを加速させていく。

言ってしまえば、作らなくても誰も困らない人形。リツ子さんが手にした時間ほど、見つめていた時間ほどには、娘さんも孫さんも、その人形を手にしたり見つめたりすることは無いのかもしれない。

そんなことはリツ子さん自身、ちゃんと承知の上なのだ。それでも彼女は作る。夜更かしをして、疲れをため込みながらも、自分のできることに没頭する。

生きがいなんて、探しても、もう見つからない。自分で作るしかない。そして、親が設定したその幻想に、子は付き合ってあげるべきだ。それが孝行というものだ。

リツ子さんの笑い声を聞いて、奥から娘さんが現れた。何度かお会いしているが、北海道の娘さんなのか大阪の娘さんなのか、未だに見分けはつかない。

「明日、大阪に帰るんだから、一つお願いしますよ。今晩じゅうに。」と娘。

「せっかくほぐしてもらったのにね。また、凝ってしまうね。」と、リツ子さんは嬉しそうにつぶやいた。

*** My client is making three dolls, for her daughters, her grandchildren, and herself. ***

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