トトガノート

All about TOTOGA

小さな偉人伝

*** Her husband was Alzheimer's disease. ***

「お父さんと私、二人お願いしたいの。いいでしょう?」

私が「はい」と答えると、

「でも、お父さん、アルツハイマーって言われてるのよ。」

お父さんというのは、スエさんのご主人、信市郎さんのことだった。

アルツハイマーは重度の症状ばかり聞いていたが、信市郎さんの場合は軽度のようだった。トイレにも一人で行くことができ、オムツの必要は無かった。股関節と膝を少し曲げた状態、例えるならスクワットを途中で止めたような形、で歩くのが普通とは違っているくらいだった。

「お父さん、先生が来てくれたよ。腰が痛いんでしょ?診てもらうのよ。」

すると、信市郎さんは突然自己紹介を始めた。

「隣の村から来ました池田信市郎と申す者です。いちろうとなっていますが、長男ではありません。見た目はちょっと怖いかもしれませんが、小心者です。どうかよろしくお願いします。」

スエさんと私が大笑いすると、信市郎さんもニッコリとした。怖い感じのお父さんが、一瞬にして丸坊主の可愛いお父さんに変わった。

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*** There was the house in a forest. ***

その家は、さくらんぼの森の中にあった。

もちろん、そこは原生林などではなく、果樹畑である。数十年前までは木も無い荒地だったと聞く。しかし、今では、さくらんぼの木々の立ち並ぶ風景が延々と続いている。

木々に隠れて目立たないけれども、森の中には碁盤の目のように道が切られている。その道路を車で走っていると、木々の間にポツン、ポツンと民家を見つけることができる。

その家も、そんなふうにして、森の中に立っていた。

私が初めてそこを訪れた時、さくらんぼの白い花が咲いていた。6月に赤いさくらんぼの実がこの家を取り囲む光景を想像したら、「ヘンゼルとグレーテル」に出てくるお菓子の家のように思えた。

「ごめんください!」と声をかけると、日本人離れした鼻筋の通った老婆が現れた。

鋭い目つきで私を頭から足の先までスキャンした後、
「あなたなの?フフフフフ。さあ、中へどうぞ。」と言った。

これが、池田スエさん(仮名)との出会いだった。

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*** The old woman didn't encounter damage of the "It's me" fraud. ***

それから更に十数年経って、孫たちも社会人となり、夫や妻となり、中には父や母になった人もいる。渋木さんの旦那さんは亡くなってしまった。それでも、渋木家の賑やかな状況は変わらない。

今は関東の方に住む孫が帰省してきて、自分の妻子を連れて泊まったりすることもある。自分の実家よりもお婆ちゃんの家の方が過ごしやすいと言っているらしい。

そんなある日、渋木さんが独りで家にいる時に、電話が鳴った。

「もしもし、婆ちゃん?オレだけど。」

「ん?大樹かい?」と、渋木さんはついお孫さんの名前を言ってしまった。

「そう、大樹だよ。実はさ、俺、会社の書類をコンビニに置き忘れちゃってさ、会社に損害与えてしまったんだ。だから、お金が要るんだけど…」

でも、孫の大樹さんには昨日会ったばかり。語尾に「さ」を付けることは無い。しかも、公務員なので、「会社」と言う訳がない。余りにも分かりやすい嘘だった。

「そんなお金のことなんか婆ちゃん分かんないから、お母さんに言いなさい。」と言って、電話を切った。

オレオレ詐欺の被害は後を絶たない。渋木さんのように、お年寄りが孫と親密なやり取りができていれば、こんな犯罪は成立しないはずである。

この犯罪の被害の報に触れた時、お年寄りの弱さを狙った卑劣さに対する憤りの他に、悲しさというか寂しさというか、そんなものをも感じてしまう。それはつながりの薄い家族がいかに多いかを、被害の発生件数が物語っているからである。

渋木さんは、幸い、そういう家族ではない。一人暮らしの高齢者ではあるが、孤独ではない。それは、娘二人を嫁に出すという、一昔前なら家族の存続を全否定するような暴挙の結果として得られたものだとしたら皮肉な話である話である。

渋木さんに先見の明があったというのも当たらない。渋木さんは、あくまでやむを得ない選択をしたのであって、今日の姿を見越していたわけではないのだから。渋木さんにこの幸運をもたらす何かがあったとすれば、友達が立ち寄って話をしたくなるような明るい性格なのかなと思う。

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*** Visitors always came to the house. ***

この寛大な決断をして二十年くらい。この決断が渋木さん(仮名)の場合は好循環を生んでいるように思えた。

とにかく来客が多いのである。近所の人や智恵子さんの友達が入れ替わり訪れる。もしも娘夫婦が同居していたら、これほど気兼ねなく人が訪れることは無かっただろう。

休日ともなれば、二人の娘が訪れる。家族連れの場合もある。盆とか正月に、遠くに住む娘たちが帰省して勢揃いするというパターンなら普通にであるが、渋木家は毎週土日がそんな賑わいであった。もしも、どちらかの娘さんが同居していたら、他方の娘さんの家族はこんなふうに訪れることはしないだろう。

ひょっとしたら、どちらの娘さんの夫婦も「私たちの結婚を許してくれてありがとう」という感謝の気持ちを持ち続けているのかもしれない。それが、その子どもたちにも何となく伝わっているようで、お孫さんたちもここに喜んで集まっている雰囲気があった。

智恵子さんの友人たちと娘たちがかち合うことも日常茶飯事だったが、「お客」として同格であり、変な気兼ねは全く無かった。むしろ、娘たちも友達の一員として智恵子さんを中心に冗談を言い合いながら、うまく絡み合っていた。

これは、智恵子さんが明るい性格で話題も豊富だということもあっただろうけど、やはり寛大な決断が最も寄与しているように思えた。

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*** The parents made decision that they were generous to daughters. ***

男の子にこだわるのは、当然のことながら後継ぎの問題である。昭和一桁生まれの渋木さん(仮名)の世代は、十人近く兄弟がいるのも珍しくなかったが、その次の世代はせいぜい3人兄弟くらいである。緩やかな少子化が始まっていたと言えなくもない。

渋木さんのところも、子どもは二人の娘さんだけ。この場合、どちらかの娘が家に残り、お婿さんをもらって「家」を存続させるのが当たり前という考え方が当時はまだ根強かった。親が子どもの結婚を決める時代ならともかく、本人の意志で結婚を決める時代へ移行する中、後継ぎ問題があちこちで勃発するのは当たり前であった。

果たして、渋木さんの娘さんたちも、年頃になると次々と相手を見つけて、嫁いで行きたいと言い出したのである。渋木さん夫婦は、かなり悩んだ。そして彼らは、当時としては珍しく、娘たちに寛大な決断をした。

二人の娘を嫁がせれば確かに家は途絶える。しかし、例えば姉の方の結婚をやめさせて家に置いたら、自分たちを恨むことだろう。妹の結婚は許したら、姉は妹をも恨むかもしれない。家が形だけ残ったとしても、それぞれとの間に亀裂が入るのでは意味がないではないか。彼らは、名を捨てて実をとったのである。

親戚や周囲の人たちからは、どっちかを説得して家に留めるべきだと、何度も忠告を受けたそうである。

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*** The old woman has two daughters. ***

次女が産まれてから初めて渋木智恵子(仮名)さんのお宅に訪れた時、すぐに聞かれた。
「二人目、産まれたんだって?どっち?」

「また女でした。」と答えたら、
「あら、うちと同じだ。良かったね!」と言ってくれた。

嬉しかった。私もそう思っていたから。

出産前からエコーで見ていて女の子のようだと言われていたけれど、出産して「付いていない」ことがハッキリしたとき、父が言ったのである。「そうか。まあ、健康だったから良かったと思わないとな。」

私はすかさず抗議した。「健康なだけじゃダメな言い方だね。」

父は昭和一桁生まれ。嫡男が産まれない→家が存続しない→自分の血が絶える→墓を守る人がいなくなる、という価値観に縛られている世代である。我が家は、天皇家でも徳川家でも王家でもないのだから、「リボンの騎士」や「ベルサイユのばら」じゃあるまいし、うろたえることは無いのだが、父は確かにうろたえていた。

姉の子どもも女の子二人。だから、父には孫が4人できたわけだが、全部女。昭和一桁なら、うろたえないわけにはいかないのだろう。

「良かったでしょう?女の子で。」と渋木さん。彼女も、父よりは若いけれど、同じ昭和一桁である。

「良かったです。本当に。でも、父は…」と、私は父がうろたえていた話をした。

「あらぁ。やっぱりね。男の人はそうかもしれないね。うちの場合は…」と、渋木家の話を聞かせてくれた。

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*** The old man said that he was lucky. ***

「ニュースを見るとね、私よりも大変な年寄りがいっぱい居るんですよね。私なんか恵まれてる方なんだから頑張らないと。」

この仕事をして、お年寄りに接するようになって、一番頭が下がるのは、こういうセリフを聞いたときである。彼らは、他人の世話になっては申し訳ないと考えるのだ。たとえそれが、「保険」とか「税」という名目で徴収されたものであっても。

そのために周りに助けを求めないで悲しい結末を迎えている人もいるから、今の時代に合った考え方ではないのかもしれない。しかし、「保険料としてお金を取られているのだから、医療や介護は払っただけ面倒見てもらって、元を取らなければ損だ」という考え方は明らかに間違いだ。保険は加入者全員が元を取ったら、制度が必ず破綻するのだから。

「明日、孫に会いに行くんですよ。」

連太郎さんのお孫さんの一人が関西に嫁いでいて、最近出産したとのこと。赤ちゃんを連れて息子さんの家に帰って来ているので、明日会いに行くのだという。

「出産祝いは決めてありますからお金準備してきて下さい、なんて言うんですよ。全く、今の若い者は(笑)」
と言う連太郎さんの顔は嬉しそうだ。

こういう時は人に頼った方がいい。「気を使わないでください」なんて言われるよりも、ずっと嬉しいのだ。甘え方を知っているお孫さんのようだ。

「それじゃあ、絶対に今日中に治さないとね。」
施術の腕にも更に力が入った。

翌々日、家の玄関を開けたら、ちょうどタイミングよく、前を歩いて通り過ぎる男性がいた。連太郎さんだった。
「おはようございます!」

「昨日はどうでしたか?」と尋ねようかと思ったが、やめた。一歩一歩、快活な足取りが全てを物語っていたから。

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*** To meet his wife, the old man went to the hospital every day. ***

老々介護の柴田連太郎さん(仮名)が歩けなくなったというのは一大事である。車で30分くらいのところに息子さん夫婦が住んでいるとは聞いていたので、とんでもない事態には至っていないだろうけれども。急いで柴田さんのお宅に伺った。

連太郎さんは立つことはできた。辛うじて歩くことも。ただ、左足に体重をかけられない。お尻の横、股関節の上に付いている中殿筋が凝り固まっているので、力を入れるたびに激痛が走るのだ。

施術していると、連太郎さんがポツリと言った。
「家内は病院に行ったんですよ。」
確かに朋子さんの姿が無かった。トイレにでも行っているのかと思っていた。

一年ほど前から老人ホームに移っていたらしい。そして先月から病院に入院しているとのこと。特に何か病気にかかったということでもないらしい。認知症が進んだということなのだろう。老人ホームに居るときは、毎週水曜日に息子さんの車で面会に行っていた。病院は老人ホームよりも家から近いので、毎日行っているとのこと。徒歩か自転車で。

「会いに行っても私が誰かは分からないから張り合いは無いんですけど。でも、行ってあげないとね…」

義務感から行っているような言い方をするのは、照れだと思う。会いたいという気持ちが無ければ、毎日続くはずがない。

「奥さんに会うためにも、早く治さないといけませんね。昨日なったばかりですし、押したときの痛みも嫌な痛みでなければすぐによくなると思いますよ。」と私は言った。

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*** The hunter, who is ninety years old. ***

柴田朋子さん(仮名)の御主人の連太郎さん(仮名)が外を歩く姿は何度も見かけた。これまでも何度も見かけている。ただ、名前を知らなかっただけだ。

運転免許を持っていない彼は、健康のためというよりは買い物などの日常的な用事のために歩いているのだろう。もちろん、それが彼の今日の健康に寄与していることは自他ともに認めるところである。早い口調と機敏な動作を保って矍鑠(かくしゃく)としている理由は、ここにあるのだ。

「車を運転できなければ生きていけない」とさえ言われる山形であるが、彼を見るとそうでもないように思えてくる。

自転車に乗る姿もよく見かけた。捕虫網のようなものを自転車に取り付けている時もあった。茶の間のテーブルの上の水槽に入れる魚を捕まえに行っているであろうことは容易に想像できた。

そう言えば、イバラトミヨ(山形県指定天然記念物:絶滅危惧種)を知らずに捕まえようとして、通りがかりの人に怒られたという失敗談をしてくれたことがある。アラウンド90ながら、彼はまだ、少年の心を持った狩人なのである。

そんな連太郎さんから、一年ぶりに電話がかかってきた。

「先生、お久しぶりです。御無沙汰して申し訳ありません。今日、何時でもいいですから来てもらえませんか?何だか歩けなくなったんです。」

一人暮らしのお年寄りにとってはかなり深刻な事態のはずなのだが、律義な挨拶は忘れない。古き良き日本人である。

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*** The old woman doesn't know who her husband is. ***

私は故あって保険の下では仕事をしないことを目指している。健康保険しかり、介護保険しかりである。介護保険を使わないのであれば、認知症のお客様に対しても依頼があれば施術は喜んで行う。今までに何人かのお客様の施術をさせていただいた。柴田朋子さん(仮名)はファーストケースではない。

お客様が認知症の場合、例えば「自分は肩が痛い」という症状の自覚、「これを治そう」あるいは「私は治る」という意志、そして治療の結果「良くなった」とか「余り変わらない」とか「ひどくなった」とかの評価等が定かでない。これらのことに関して話し合うことも治療の中の重要なプロセスであり、治療の成否を大きく左右するものである。

また、本人に余り自覚がないとすれば、私が本当に癒すべきは朋子さんが痛そうにしている様子を心配する御主人の心かもしれない。それにしても何と優しい御主人だろう、と思った。

「じゃあ、そろそろ治療を始めましょうか」と言ったが、朋子さんは動かない。

「ほら、お母さん!治療してもらいなさい。肩が痛いんでしょう?」と御主人が言うと、
「えっ?私が?何で?私なんかいいですよ。」と笑って応じない。

何度かの説得で、やっと寝てもらうことができた。

痛みを感じると嫌がると思ったので、手技はソフトに行った。傍らで御主人が見守る。小さい部屋なので、すぐ目の前である。そして時折、声をかける。
「どうだ?母さん?気持ちいいか?」

「はい」と、朋子さんは面倒くさそうに答える。

三日に一度のペースで、治療を行った。二度目の時も治療を遠慮する素振りを見せたが、それ以降はすぐに治療を行うことができた。何となく覚えてくれたのだろう。

5回目のとき、御主人が言った。
「先生、お陰さまで家内は最近『痛い』と言わなくなったんですよ!」

そこで、治療は終わりにした。

人間の脳は様々な情報を並列処理している。認知症とは「認知」に関わる情報処理がうまくできなくなる病気なのだと思う。しかし、それに関わらない潜在意識と呼ばれる領域は無傷かもしれない。認知症の人への治療は、自分の治療のノン・バーバルな部分が試されるチャンスだと、私は捉えている。

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