トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

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7−7.「マツタケ売り」〔小さな偉人伝〕
…ウメさんの所には、いろんな人が物を売りに来ていた。突然の訪問販売なんか門前払いが普通だが、ウメさんは断らないから、何度もやってくるのである。
「だって、孫みたいな人から『買って下さい!』って言われたら断れないじゃないの」と言っていた。
お金持ちだし、詐欺に引っ掛かっているわけでもないから問題は無いのだが。
...

7−6.「打膿灸」〔小さな偉人伝〕
…ウメさんに最初に灸をした時、初めてのお客さんにいつもするように「熱いですか?」と尋ねた。
「そりゃあ、ちょっとは熱いけど、昔のお灸ほどじゃあないね〜」
私が使っているお灸は、もぐさを直接皮膚に置くタイプではないので、当然直接置くタイプよりは熱くないはずだ。
「そうですか」と、私は軽く受け流した。しかし、次の言葉には施術の手も止まってしまった。
「火傷が半年くらいは治らなかったからね〜」
「どういうことですか?」と聞かずにはいられなかった。
...

7−5.「こんな長生きするとは思わなったよ」〔小さな偉人伝〕
…ウメさんの口癖は、「もう生きるのに飽きた。こんな長生きなんてするもんじゃないよ。」これの違うバージョンで、「こんな長生きするとは思わなったよ」という言葉を聞いたことがあった。
若い時、結核になった。その時、肺に玉を入れる治療法が流行っていて、その手術を受けた。ところが、手術後まもなく、その治療法が間違いであることが分かり、すぐに再手術。
ウメさんは詳しく説明して下さったのだが、どうも信じられない。お灸をするついでに傷跡を見せてくれた。...

7−4.「採用試験?」〔小さな偉人伝〕
…私が金額を告げて、ウメさんがバッグの中から財布を出して、中を見ている時に…
一万円札がパラリと下に落ちた。そして、また一枚…また一枚…
ウメさんはそれには気づかない様子で、財布の中を探り続けている。
私は、すかさず「お金落ちましたよ!」と言って駆け寄り、お札を拾おうと伸ばした手の上にさらに一万円札が一枚…。
...

7−3.「めいっぱいの大きな家」〔小さな偉人伝〕
…彼女がこちらに帰ってくることを決めて、タケさんや幼なじみの栗原さんの近くに土地を見つけた時、不動産屋が彼女に言った。
「そんなに広い土地じゃないけど、年寄り一人が住む家を建てるには十分な広さでしょう?」
この言葉に彼女はカチンと来た。
...

7−2.「立ち話」〔小さな偉人伝〕
…タケさんの家とウメさんの家を結ぶ区間、ここは私がよく行き来するエリアである。そこで、立ち話をしているタケさんを頻繁に見かける。立ち話と言っても、タケさんはベンツに腰かけている。タケさんと道でバッタリ出くわして話しかけられた相手は立っている。ひたすら立って話している。もっと、正確に言えば、タケさんが話しているのを聞いている。立ち聞きだ。だから、どちらも立ち話には該当しないのだけれど…。
...

7−1.「向かい合う家」〔小さな偉人伝〕
…「神田さんとは同い年くらいですか?」
「ウメちゃんは85で、私は82よ。」
「あー、そうなんですね。だいたい同じですね。」
「え?全然違うわよ!私は3つ若いのよ!」
きつい口調で否定された。本音だ。さっきから滝のように流れていた汗に、冷や汗が加わった。


6−9.「侍、逝く」〔小さな偉人伝〕
…ある日、秋葉さんの家の前を通りかかると、提灯が下がっていた。「御霊燈」と書いてある。まさか、と思ったが、三日後に次回の予約が入っている。ちょうど息子さんが立っていたので、車を止めて聞いてみた。
「すみません。どなたか、亡くなったんですか?」
「はい。父が…」と息子さん。


6−8.「スーパーでの買い物」〔小さな偉人伝〕
…彼のことだから、おそらくカートに身を預けるように寄りかかり、売り場を回ったに違いない。足が悪いのは一目で分かる歩き方。レジの女性が買った物を運んでくれたという。
「親切だった。良い世の中になったものだ。」


6−7.「消えた座椅子」〔小さな偉人伝〕
…ある日、秋葉さんを訪問すると、彼は新しい座椅子に座っていた。他のお客様のところで見たことがあるので、すぐに分かった。介護用の座椅子である。ひじ掛けのところにレバーが付いていて、これを操作すると電動で昇降する。立ち上がる時に座面を上げれば、秋葉さんのように足が痛い人はとても楽である。


6−6.「オムツ・アゲイン」〔小さな偉人伝〕
…私は何気ない感じを装って、
「すぐには立ち上がったり歩いたりできないから、トイレも遠く感じるでしょうね…」と言ってみた。
すると、間に合わなくて履き替えなければならないことがよくある、と彼は打ち明けた。しかも、尿意を感じにくくなっているらしい。


6−5.「黄色いゴムバンド」〔小さな偉人伝〕
…私は、一時期、お客様にセラバンドを2mくらいずつカットして、プレゼントしていたことがある。当時は今ほど、お年寄りに運動を薦めるという雰囲気は無かった。婦人会などでは、ペットボトルに米などを入れた物を持って踊るのを広めようとしていたかもしれない。でも、そういう活動に参加している人は元々活動的な人で、本当に運動をしなければいけない人は「諦めること」を決め込んでいた。


6−4.「新聞の役割」〔小さな偉人伝〕
…秋葉さんは新聞のテレビ番組欄を見て放送される番組を確認し、曜日の感覚と共に一日の時間の感覚を保っていたらしい。ところが、息子さんが新聞をやめてしまった。彼は一日の中の時間的な取っ掛かりを失ってしまった。施術中に、彼はそれを嘆いた。


6−3.「3メートルの距離」〔小さな偉人伝〕
…訪問すると、玄関先にお金の入った封筒が置いてあった。封筒には、
「ヤクルト配達の方へ
いつも配達ありがとうございます。出てくるまでに時間がかかりますから、代金をここに置いておきます。」


6−2.「杖をつく男」〔小さな偉人伝〕
…「お一人で暮らしているのですか?」と尋ねると、
「息子と二人です。息子には嫁もいたんだけど、別れてしまった。私の妻も亡くなってしまって…この家は全く女に縁がないのです。」と言って、秋葉さんは苦笑した。


6−1.「旧街道沿いの家」〔小さな偉人伝〕
…ある日突然、というかお客様からの電話はいつも突然なので、そういう意味では全然突然ではないのだけれど、秋葉良蔵さん(もちろん仮名)から電話をいただいた。内容は誰かから聴いているらしく、特に何か尋ねるでもなく、ただ日時だけを決めて電話は終わった。


〔続きはこちら〕
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ウメさんの所には、いろんな人が物を売りに来ていた。突然の訪問販売なんか門前払いが普通だが、ウメさんは断らないから、何度もやってくるのである。

「だって、孫みたいな人から『買って下さい!』って言われたら断れないじゃないの」と言っていた。

お金持ちだし、詐欺に引っ掛かっているわけでもないから問題は無いのだが。

ある時、「この前はマツタケ売りが来たよ」と話してくれた。

ここ数年、毎年マツタケを売りに来る人がいるらしい。良いマツタケを安く売ってくれるので、ウメさんも重宝していて、毎年心待ちにしている。ところが、去年は来なかった。

今年は来たので、聞いてみた。
「去年、来なかったよね。余り採れなかったのかい?」

すると、マツタケ売りが答えた。
「去年は見つかってしまったんですよ(笑)」

「これはどういう意味なんだろう?」と、ウメさんは私に尋ねた。

「見つかったんなら採って来れるだろう?見つかって、売りに来れないって変じゃないかい?」

「他人の山で採ってた(盗ってた)としか考えられないですね。」と私は答えた。

「やっぱり、それしかないよね…来年はどうしようかな…」とウメさんは笑った。

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◆◆◆鍼灸治療室.トガシ◆山形県東根市◆◆◆
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ウメさんに最初に灸をした時、初めてのお客さんにいつもするように「熱いですか?」と尋ねた。

「そりゃあ、ちょっとは熱いけど、昔のお灸ほどじゃあないね〜」

私が使っているお灸は、もぐさを直接皮膚に置くタイプではないので、当然直接置くタイプよりは熱くないはずだ。
「そうですか」と、私は軽く受け流した。しかし、次の言葉には施術の手も止まってしまった。

「火傷が半年くらいは治らなかったからね〜」

「どういうことですか?」と聞かずにはいられなかった。

東京(もっと詳しい地名をおっしゃったが忘れた)に、とても評判の鍼灸院があって、肩こりがひどかったので行ってみたとのこと。二十代の頃だった。

治療室の壁につかまる棒が付いていて、患者さんはそこにつかまって並んでいる。そうすると、先生が患部にもぐさをのせて片っ端から火をつけていく。火が燃え進んでいくと、みんな悲鳴を上げて悶え苦しむ。それに耐えるために棒につかまる。

お灸の跡は酷い火傷になる。そこに治療院特製の膏薬を貼る。火傷が治るまで鍼灸院に通い、膏薬を取り換えてもらう…という治療らしい。

「化膿したりしませんでしたか?」
「したよ。膿が出てくるから、それを取ってから膏薬を貼ってもらったんだよ。」

打膿灸だ…。学校で習った。今やったら誰も来なくなる。というより、裁判沙汰だ。

「そこに跡があるだろ?」と言われた。

直径3cmくらいの丸い傷痕のようなものが、肩の左右に一つずつあった。色は周囲の皮膚と同じ色だったから、そんなに目立つものではなかったが、その存在には気づいていた。でも、すぐに「これは何の傷痕ですか?」と無邪気に聞くのは、流石の私にもできなかっただけだ。

「あー、これですか。」と、気づかなかったふりをした。

でも、これは聞かずにいられなかった。
「それから、肩こりはしなかったですか?」

「そんな、肩こりどころじゃなかったよ。」と言って、ウメさんは笑った。
「確かにそうですよね。」と言って、私も笑った。

〈つづく〉
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ウメさんの口癖は、「もう生きるのに飽きた。こんな長生きなんてするもんじゃないよ。」これの違うバージョンで、「こんな長生きするとは思わなかったよ」という言葉を聞いたことがあった。

若い時、結核になった。その時、肺に玉を入れる治療法が流行っていて、その手術を受けた。ところが、手術後まもなく、その治療法が間違いであることが分かり、すぐに再手術。【ネット検索したら同様の経験をされた方がいらっしゃるようです

ウメさんは詳しく説明して下さったのだが、どうも信じられない。お灸をするついでに傷跡を見せてくれた。肋骨に沿って、背中を横に一本の傷が走っていた。50年以上前の傷なのでそんなに目立たないのだが、背骨の近くから脇の方までの大きな傷である。

ジョージ・ワシントンが当時流行っていた瀉血療法で血を抜かれ過ぎて死んだらしいことは有名な話だ。新しい治療法を模索していれば、後にとんでもないと分かることだってあるだろう。それでも、その当事者に会って、傷痕まで見せてもらえたのは驚きだった。

「こんなお婆ちゃんになるまで生きるなんて、全然思わなかったよ」と、ウメさんは大笑いした。正直、当時の私もそう思った。

最近はこう考えている。長生きというのは、自分の体に合った習慣や考え方を身につけられるかどうかにかかっているのだと。医者も教えてくれない、自分の体にだけ通用するノウハウがあるのだ。もちろん、医者のアドバイスも参考にはなるだろう。テレビや雑誌で見つけた健康法を試してみるのも良いだろう。その人なりの試行錯誤が必ず必要なのだ。

そして、その試行錯誤を始めるきっかけは、人生の比較的早い段階で訪れた方が良いようだ。きっかけが訪れない限り、人は自分の健康を疑わないし、そういう情報に目を向けようともしない。塞翁が馬ということのようだ。

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ウメさんのところに通い始めて、3回目くらいの頃だったと思う。支払いの時、ウメさんの様子が変だった。

私が金額を告げて、ウメさんがバッグの中から財布を出して、中を見ている時に…

一万円札がパラリと下に落ちた。そして、また一枚…また一枚…

ウメさんはそれには気づかない様子で、財布の中を探り続けている。

私は、すかさず「お金落ちましたよ!」と言って駆け寄り、お札を拾おうと伸ばした手の上にさらに一万円札が一枚…。私は急いでお札を拾い集めて、ウメさんに手渡した。

「あら、私、どうしちゃったのかね〜。目はよく見えないし、手もいうこと聞かないし…嫌になっちゃうね〜」と言って、ウメさんは笑い出した。

手に何らかの障害が出てきたのだろうか?例えばパーキンソン病とか。そんなことを考えながらその後も伺う度に様子を見ていたが、そんな症状はその時以来見られなかった。

それでも心配だったので、向かいの家に住んでいる栗原さんに聞いてみることにした。ウメさんと接していて最近何か変わったことはないかどうか。

「小さい時から変わってると言えば変わってるからね〜」と私の真面目な質問を笑い飛ばしてから、
「何で?」と彼女は興味津々の様子で尋ねた。

私は一万円札バラマキの一件を話した。「へぇ〜」と彼女は面白そうに聞きながら、何か考えている風だった。

「ひょっとしたら…」と私は続けた。
「私を試されたのかなとも思ったんですが。」

「多分、そうだと思うよ。」と栗原さんはサラリと答えた。

「前に、お手伝いさんからお金を持ち逃げされたことがあるんだよ、あの人。だから、あなたを疑ったわけではないんだろうけど、念のため確かめさせてもらったんじゃないかな。金持ちは大変だよね。いろんなこと心配しないといけなくて。」

私は驚いた。そんなことも想像はしていたが、改めて聞かされるとやはり驚くものだ。

「でも、その後も頼まれたんでしょ?だったら合格したんだね(笑)。気にしないで、これからも通い続けた方が良いよ。金持ちなんだから、長く付き合ってしっかり稼ぎなさい。」
とアドバイスを頂いた。

〈つづく〉
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ウメさんのお宅に初めて行った時は、タケさんがずっと話していたので、ウメさんと話すことができなかった。ウメさんはタケさんの話にうまく相槌を打って、話を遮ることはしなかった。ある時は笑ったり、ある時は「そうかね…」と言って見せたり。だから、ウメさんはとても穏やかな性格の人だと思った。

でも、そうでもなかった。

人は誰でもたった一人で生まれてくる。 それでも大抵の場合、赤ちゃんの頃は周りを多くの人が囲み、 何をするにも その動作一つ一つに歓声をあげ、声援を惜しまない。 自分が多くの祝福の下、この世に 生まれてきたことを確信しながら、成長していくのである。

でも、自分を祝福しない存在も身近にいることにいずれ気づく。それが歳の近い兄弟姉妹。タケさんのような強烈な個性が姉としている以上、穏やかで生きられる筈がない。

ウメさんは、若い時に「東京」に行った。「東京」と言っても23区内なのか、そうじゃないのか、都周辺で実は都内ではないのか、よくわからない。単に関東地方というだけかもしれない。ともかく彼女は若い頃「東京」に住んだ。そして、保険の代理店で働き、その手腕を見込まれたのもあるのだろう、社長の後妻になった。そして、一財産を築いた。先妻の子供はいたが自分が産んだ子供はいなかったので、旦那さんが亡くなったのを機に故郷に帰ってきたのだ。それでも、「東京」の駅前に小さなビルを持っていて家賃収入が入るし、しっかり蓄えもあるお金持ちだった。

彼女がこちらに帰ってくることを決めて、タケさんや幼なじみの栗原さんの近くに土地を見つけた時、不動産屋が彼女に言った。
「そんなに広い土地じゃないけど、年寄り一人が住む家を建てるには十分な広さでしょう?」
この言葉に彼女はカチンと来た。

彼女はその「そんなに広い土地じゃない」ところに消防法で許される限りのめいっぱいの家を建てた。総二階で、部屋数は半端ない。おまけに軒下ギリギリに池をこしらえ、十匹は超える鯉を飼った。余りにギリギリだったため、餌をあげている時に池に落ちてしまったこともある。水浴びをするような季節ではなかったから、
「冷たかったでしょう!?」と聞いたら、
「この歳になるとね、そんなのは感じなくなるんだよ。」と言って周囲を笑わせた。

〈つづく〉
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訪問日記(12)〔My Clients - 小さな偉人伝〕「旧街道沿いの家」他

訪問日記(11)〔My Clients - 小さな偉人伝〕「さくらんぼの森」他

訪問日記(10)〔My Clients - 小さな偉人伝〕「二人の娘」他

訪問日記(9)〔My Clients - 小さな偉人伝〕「3つの木目込み人形」「動脈瘤の思い出」「小さなお家」他

訪問日記(8)2015/6/30〜

訪問日記(7)2015/4/2〜

訪問日記(6)2013/3/16〜

訪問日記(5)2009/5/9〜

訪問日記(4)2008/2/13〜

訪問日記(3)2007/10/01〜

訪問日記(2)2006/5/28〜

訪問日記(1)2005/9/15〜
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栗原さんの紹介で神田ウメさんのお宅に初めて伺ったとき、もう一人、お婆ちゃんがいた。それがタケさん、ウメさんのお姉さんである。ウメさんの家のすぐ近くに住んでいるので、ウメさんの所には、シルバーカー(老人用手押し車、タケさんはベンツと呼んでいた)を押して、毎日のように訪れていた。

このお婆さん、見たことがある…。

私も半世紀生きているので、どんな人に会っても、前に一度会ったことがあるような感じがする。要するに、今まで会った誰かさんの中に必ず似た人がいるということだ。だから、「以前、どこかで会いましたよね?」なんてことは、かなり確信があっても言わないことにしている。変な下心があると誤解されたら面倒だから。

しかし、タケさんくらいの年齢になると皆かなり個性的になるので、見間違えることはない。人間の範疇を広げるべく果敢に攻めているような雰囲気さえある。私がここまで失礼な言い方をするのは、それに嫌悪は抱いていないからだ。ゆるキャラのような…そう、カワイイのである。

タケさんの家とウメさんの家を結ぶ区間、ここは私がよく行き来するエリアである。そこで、立ち話をしているタケさんを頻繁に見かける。立ち話と言っても、タケさんはベンツに腰かけている。タケさんと道でバッタリ出くわして話しかけられた相手は立っている。ひたすら立って話している。もっと、正確に言えば、タケさんが話しているのを聞いている。立ち聞きだ。だから、どちらも立ち話には該当しないのだけれど…。

タケさんが話すのを至近距離で初めて見て、驚いた。話が途切れない。コンスタントにずっと話している。鳥と同じ呼吸器を持っているのではないかと思うくらい、ブレスの痕跡が見当たらない。

これはスゴイことである。90歳近い年齢の筈なのに、呼吸器はずっと酸素を供給し続け、頭脳はずっと話題を供給し続けて、このハードユースに耐えているのだから。

「そんなに話せるのは頭がしっかりしているからですね…」という一言を、絶え間ない話の間にはさむのに、かなりの時間が必要だった。

〈つづく〉
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栗原さんの家には、毎週土曜日の夕方に伺うことになっていた。

その日は夏だった。盛夏と言えるほど暑くはなかったけれど、十分暑かった。冷房を効かせた車から降りるとムッと暑さを感じた。シャツと肌の間を占める空気が暑くならないうちに、急いで栗原さんの家の中に入った。

ところが、栗原さんがいつもの挨拶の後に言った言葉は意外だった。「寒いよね。ヒーターつけようか?」

私は耳を疑った。相手が家族なら「はあ!?」と言うところだが、お客様に対してそれはありえない。

「そうですね…でも、ヒーターはつけなくとも大丈夫ですよ。」と言うのがやっとだった。

栗原さんは80歳を越えたお婆さん。本音と建前を使い分けていた世代であり、特に栗原さんはそれを大切にしているタイプ。私の言葉を、そのまま受け取ったりはしない。

「先生は真面目だから…遠慮して。」と素敵な微笑みを浮かべて、栗原さんはファンヒーターの電源を入れた。

私は「真面目じゃありません。本当のことしか言いません。素直な人間です。」と心の中で繰り返したが、耳が遠い彼女に心の声が聞こえるはずもない。

施術を始める前から、私の体からは汗が吹き出し始めた。気を紛らせようと、話題を探した。

「先日は神田さんをご紹介下さってありがとうございます!昨日行ってきましたよ。」と言うと、
「そうだったね。2時ごろでしょ?」と栗原さん。

神田さんの家は、栗原さんの家とは通りを挟んで向かい側にある。栗原さんの部屋の窓からは神田さんの玄関がよく見えるのである。

「神田さんとは同い年くらいですか?」
「ウメちゃんは85で、私は82よ。」

「あー、そうなんですね。だいたい同じですね。」
「え?全然違うわよ!私は3つ若いのよ!」

きつい口調で否定された。本音だ。さっきから滝のように流れていた汗に、冷や汗が加わった。

栗原さんはこの家に生まれ、お婿さんをもらい、ここに家庭を築いた。神田さんは結婚して一度は東京に住んだが、旦那さんが亡くなってからこちらに帰ってきた。二人は幼なじみである。3歳の子供と0歳の赤ちゃんでは全然違う。この二人はその頃からの付き合いで、歳の差もそのままなのだ。

〈つづく〉
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5−12.「さくらんぼの森の老人ホーム」〔小さな偉人伝〕
…いつの間にか、電話が来なくなって数カ月が経った。翌年の元旦、信市郎さんとスエさんから年賀状が届いた。住所は老人ホームになっていたが、やはり鎌倉の老人ホームではなく、さくらんぼの森の中にある老人ホームだった。


5−11.「鎌倉の息子さん」〔小さな偉人伝〕
…それから一週間ほどして、スエさんの番号から電話があった。
「先日はどうもありがとうございました。嫁です。今、こちらに来ているので、お父さんとお母さんをお願いできますか?」
訪問してみると、息子さんも来ていて、丁寧に先日をお礼を言って下さった。息子さんも嫁さんも、穏やかで優しい感じの人だった。


5−10.「二階の状況」〔小さな偉人伝〕
…二階には布団が敷いてあり、スエさんが寝ていた。枕元にはダイヤル式の黒電話。
その脇には、大きな皿に山菜の天ぷらが山盛りに盛り付けられていた。それを、信市郎さんがつまみながら、一升瓶を置いて酒を飲んでいた。顔は真っ赤で、とても嬉しそうな顔をしていた。いつも、お酒はコップ一杯と厳しく言われていたはずだが、スエさんが寝込んだのをいいことに飲み放題状態になっているらしかった。


5−9.「午後の電話」〔小さな偉人伝〕
…その後、すぐに電話してみたが、何回呼び出しても出ない。
老夫婦の二人暮らし。夫はアルツハイマーで、妻が介護している。でも、ヘルパーさんは断ったから、もう来ない。「介護疲れの妻が悩んだ挙句…」などという新聞の見出しが頭をよぎった。


5−8.「介護サービス」〔小さな偉人伝〕
…そんなある日、
「今日はヘルパーさんが来る日だったと思いますが、大丈夫ですか?」と聞いてみると、
「ヘルパーはね。断っちゃった。うるさいから。」…

5−7.「ヘルパーさん」〔小さな偉人伝〕
…ヘルパーさんが来ている時もあった。スエさんと並んで座って、私の施術を見ていた。これも勤務の一環なのだろうか?と疑問に思ったが、スエさんがOKなら問題はないのだろう。それよりも、このヘルパーさんは私に対して敵対的な雰囲気があった。…

5−6.「息子を待つ母」〔小さな偉人伝〕
…今度の連休のところには「健一」と書いてあった。
「健一さんというのは、ひょっとして鎌倉に住んでいる息子さんですか?」と尋ねると、スエさんは「そうなのよ。」と答えて、いつもより嬉しそうに話し始めた。…

5−5.「貨車の中で」〔小さな偉人伝〕
…信市郎さんは視線の先を指差して、「山が燃えている。見えませんか?」と言う。
その方向に窓はない。山の絵や写真が壁にかかっているわけでもない。これは、調子を合わせた方が良さそうだと私は思った。「そうですね。煙が見えますね。」…

5−4.「お父さんの施術」〔小さな偉人伝〕
…少しの間、信市郎さんは私の施術を見ていたが、ついには私に指示を出し、自分も手伝い始めた。
「じゃあ、あなたはそっちの方お願いします。私はこっち側をしますから。」
私はスエさんの右半身を施術していたのだが、信市郎さんはスエさんの左手を取って揉み始めたのだ。


5−3.「鷲手のお母さん」〔小さな偉人伝〕
…「何百匹もの豚を私が独りで育てたんだよ!お父さんは何も手伝わないで、私から話を聞いて、飼育の方法をいろんなところに教えに行ってたの。本まで書いたんだよ。全部自分がやったみたいに。」とスエさんは話してくれた。本もパラパラっと見せてくれた。結構分厚くて、表やグラフもあり、きちんとした数値データが盛り込まれている本のようだった。


5−2.「アルツハイマーのお父さん」〔小さな偉人伝〕
…「お父さんと私、二人お願いしたいの。いいでしょう?」
私が「はい」と答えると、
「でも、お父さん、アルツハイマーって言われてるのよ。」
お父さんというのは、スエさんのご主人、信市郎さんのことだった。


5−1.「さくらんぼの森」〔小さな偉人伝〕
…私が初めてそこを訪れた時、さくらんぼの白い花が咲いていた。6月に赤いさくらんぼの実がこの家を取り囲む光景を想像したら、「ヘンゼルとグレーテル」に出てくるお菓子の家のように思えた。…

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