これまで英語の勉強というと、まず単語の暗記を始めた。英語の勉強とは、英単語と日本語の単語の対応関係をたくさん覚えること。そして、英語→日本語変換を素早く行えるようになること。
でも、そこが根本的な間違いだったようだ。
・単語の意味は状況で決まる
「日本語の上に英語を築こうとするのは間違い」という指摘をある本の中に見つけた。
エッ!なんで?
英語の辞書を開いて英単語ひとつひとつを見た時、一つの意味しか書いていない単語は珍しい。頻出単語ほど、意味はたくさんある。いろいろな意味で使えるから頻出単語なのだとも言えるが。
で、今はどの意味で使われているかの判断はどうやるか?
会話中であれば状況。読書中であれば文脈。
極端な例だが、相手が乳幼児であれば「ママ!」という単語はおよそ全ての意味で使われるだろう。
「お腹すいた!」「眠いよ」「今何してるの?」「どうして笑っているの?」「ウンチした」
単語の意味は状況の中にあるのであって、その単語自体にはない。だから、英単語と日本語単語の対応関係を覚えることに注力するのは無意味とは言わないまでも、いずれ必ず壁にぶちあたることになる。
・既に英語教育は変わっていた?
このことを念頭に世の中を見渡してみると、英語教育全体とは言わないまでも、それを折り込んだ教材が増えていることに今更ながら気が付いた。
数年前ブームになった「CDを聴くだけ!」という教材もその一つかもしれない。英会話を聴きながら、その状況をイメージし、状況と英語表現を覚えるのだ。
だから、この教材を使っても、状況をイメージせずに漫然と聴いていたら余り上達はしないだろう(単語を聞き取る「耳」は養われるかもしれないが)。かと言って、一生懸命「今の get は日本語で言うと…」といちいち英語日本語変換しながら聴いていてもダメ。
この教材が自分に合わなかったのはこういうことだったんだなと、納得してしまった。
・公文式教材も変わっていた!
で、気づいたことがある。ある事情により私は公文式の昔の教材も見ることができるのだが、公文式もいち早くこれに対応していた節がある。
単語一つ一つの意味へのこだわりが薄くなっているような気がする。昔は英文法専門の教材もあったようなのだが、今は使われなくなった。
そこで、一年ほど前から足踏みしていた公文の英語を、再開することにした。
・「ひたすら音読する学習」を試行中
今回は自分の新しいやり方を試している。その方法とは、ひたすら何度も音読すること。
プリント一枚の英語をイー・ペンシルで一回聴いて一回音読。これを一日15枚のプリントで行う。
毎日一枚、15回音読が終わったプリント一枚が終了し、新しいプリント一枚に進んでいく。一枚ずつ入れ替わりながら、一枚のプリントを15日間かけて15回音読することになる。
最初は訳文と見比べないと意味は分からないが、二回目以降は訳文を見なくとも状況はイメージできる。このイメージを大切にして聞き取りと音読を繰り返す。このプロセスに一切日本語は介在しない。自然に介在する時はもちろんあるが、その処理を行った脳細胞を他の脳細胞は無視するようにしている。
そのうち、歌を何度も聴いているといつの間にか覚えるのと同じように、センテンスや単語のイントネーション、発音とアクセントなどをいつの間にか覚えている。
5〜10回音読を終えたタイミングで、プリントの問題を解いている。まず間違えることは無いし、時間もかからない。
もうすぐ、バイリンガルになる予定(笑)。
でも、そこが根本的な間違いだったようだ。
・単語の意味は状況で決まる
「日本語の上に英語を築こうとするのは間違い」という指摘をある本の中に見つけた。
エッ!なんで?
英語の辞書を開いて英単語ひとつひとつを見た時、一つの意味しか書いていない単語は珍しい。頻出単語ほど、意味はたくさんある。いろいろな意味で使えるから頻出単語なのだとも言えるが。
で、今はどの意味で使われているかの判断はどうやるか?
会話中であれば状況。読書中であれば文脈。
極端な例だが、相手が乳幼児であれば「ママ!」という単語はおよそ全ての意味で使われるだろう。
「お腹すいた!」「眠いよ」「今何してるの?」「どうして笑っているの?」「ウンチした」
単語の意味は状況の中にあるのであって、その単語自体にはない。だから、英単語と日本語単語の対応関係を覚えることに注力するのは無意味とは言わないまでも、いずれ必ず壁にぶちあたることになる。
・既に英語教育は変わっていた?
このことを念頭に世の中を見渡してみると、英語教育全体とは言わないまでも、それを折り込んだ教材が増えていることに今更ながら気が付いた。
数年前ブームになった「CDを聴くだけ!」という教材もその一つかもしれない。英会話を聴きながら、その状況をイメージし、状況と英語表現を覚えるのだ。
だから、この教材を使っても、状況をイメージせずに漫然と聴いていたら余り上達はしないだろう(単語を聞き取る「耳」は養われるかもしれないが)。かと言って、一生懸命「今の get は日本語で言うと…」といちいち英語日本語変換しながら聴いていてもダメ。
この教材が自分に合わなかったのはこういうことだったんだなと、納得してしまった。
・公文式教材も変わっていた!
で、気づいたことがある。ある事情により私は公文式の昔の教材も見ることができるのだが、公文式もいち早くこれに対応していた節がある。
単語一つ一つの意味へのこだわりが薄くなっているような気がする。昔は英文法専門の教材もあったようなのだが、今は使われなくなった。
そこで、一年ほど前から足踏みしていた公文の英語を、再開することにした。
・「ひたすら音読する学習」を試行中
今回は自分の新しいやり方を試している。その方法とは、ひたすら何度も音読すること。
プリント一枚の英語をイー・ペンシルで一回聴いて一回音読。これを一日15枚のプリントで行う。
毎日一枚、15回音読が終わったプリント一枚が終了し、新しいプリント一枚に進んでいく。一枚ずつ入れ替わりながら、一枚のプリントを15日間かけて15回音読することになる。
最初は訳文と見比べないと意味は分からないが、二回目以降は訳文を見なくとも状況はイメージできる。このイメージを大切にして聞き取りと音読を繰り返す。このプロセスに一切日本語は介在しない。自然に介在する時はもちろんあるが、その処理を行った脳細胞を他の脳細胞は無視するようにしている。
そのうち、歌を何度も聴いているといつの間にか覚えるのと同じように、センテンスや単語のイントネーション、発音とアクセントなどをいつの間にか覚えている。
5〜10回音読を終えたタイミングで、プリントの問題を解いている。まず間違えることは無いし、時間もかからない。
もうすぐ、バイリンガルになる予定(笑)。