第9章「創造する精神」を読みました。
この章の初めで、「絶対的な善がある」ということが力説されています。私は、善は相対的な概念だと思っているので、どうも理解に苦しみます。ただ、「絶対的」といっても個々の事例において自明の方向性がはっきりと見つかるものではないようです。それは下の記述から分かります。
《以下引用》…人間の進化が続くのは、もちろん脳と伝統のおかげである。だが、大脳の機能は多様であり、真の進化とは違う方向にそれてしまうことがある。…知性とは、それ自体が目的とみなされた瞬間に価値を失う。…人の努力は、自己の向上を目的としなくてはならない。人は、もはやこれまでのように動物から受け継いだ本能に対してだけではなく、人間自身の心の病の結果として、また伝統それ自体の結果として、みずからが生み出した習慣に対しても戦いを挑んでいくことになる。言い換えれば、人間の戦いは、その戦線が縮小されるどころか、人間の知性の発達とそこから創造されたものとによって、さらに複雑になってきたのである。…《引用終わり》
これに毒されていないのは、「わずかに回教徒ヒンズー教徒のように信心深く、ときには狂信的とさえいえる人々」というのもどうかと思いますけど…筆者が現代の文明が間違った方向に来ているという考えであることは分かります。
《つづく》
この章の初めで、「絶対的な善がある」ということが力説されています。私は、善は相対的な概念だと思っているので、どうも理解に苦しみます。ただ、「絶対的」といっても個々の事例において自明の方向性がはっきりと見つかるものではないようです。それは下の記述から分かります。
《以下引用》…人間の進化が続くのは、もちろん脳と伝統のおかげである。だが、大脳の機能は多様であり、真の進化とは違う方向にそれてしまうことがある。…知性とは、それ自体が目的とみなされた瞬間に価値を失う。…人の努力は、自己の向上を目的としなくてはならない。人は、もはやこれまでのように動物から受け継いだ本能に対してだけではなく、人間自身の心の病の結果として、また伝統それ自体の結果として、みずからが生み出した習慣に対しても戦いを挑んでいくことになる。言い換えれば、人間の戦いは、その戦線が縮小されるどころか、人間の知性の発達とそこから創造されたものとによって、さらに複雑になってきたのである。…《引用終わり》
これに毒されていないのは、「わずかに回教徒ヒンズー教徒のように信心深く、ときには狂信的とさえいえる人々」というのもどうかと思いますけど…筆者が現代の文明が間違った方向に来ているという考えであることは分かります。
《つづく》