トトガノート

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聖書は少しだけ読んだことはあっても、一応は仏教徒でありながら、お経を意味を解しながら読んだことが全然無いのはいけないと思い、読むことにしました。

うちは浄土宗なのですが、まずは法華経を読んでみようと思いました。尊敬する聖徳太子や宮沢賢治が愛読していたらしいし、聖徳太子ということであれば日本仏教の原点となるだろうと思ったからです。

28の章に分かれておりますが、10%で第2章まで進みました。初心者向けに掻い摘んである本なので大変読みやすいです。神々や精霊や妖精や妖怪が登場するような幻想的なお話を読んでいる感じで、男の子向けのアニメの原作をよんでいるような錯覚さえ覚えます。

第1章に相当するのが、序品第一です。霊鷲山にたくさんの高僧と共にお釈迦様が住んでおりましたとさ、という感じのお話です。ここで、文殊菩薩に弥勒菩薩がいろいろ質問しています。この質疑応答でそれぞれの過去世にも触れています。

輪廻転生は仏教の重要な要素のひとつだと思いますが、これは釈迦オリジナルではなくて古代インドで信じられていたことのようです。

第2章に相当するのが、方便品第二です。般若心経にも出てくる高弟のシャーリプトラに乞われて、釈迦が話を始めます。ただ、誤解を恐れてなかなかお話をしません。勿体ぶっている様でもありますが、非常に謙虚な人柄が伺えます。と同時に、誤解がないように細心の注意を払わなければならない、まして押し付けがましい布教などもってのほかなのだ、という教えのようでもあります。

「方便」とは「さとりに近づくための手段」という意味で、現代の意味とは少し違います。ほかに気づいたのが「我慢」。「自分にこだわること。うぬぼれること。」だから我慢するのは良くないことになります。それから「無分別」。「通常の判断を超えること」なので、良いことになります。

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「図説」法華経大全
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譬喩品第三では、釈迦がシャーリプトラに例え話をしています。この世は火事になって燃えている家のようなもので、苦しいのが当たり前。わたしたちはそこに取り残された3人の子供。そこから逃げ出せば楽になれるのに、そうしようとしません。そこで何とか騙して外に出てくるようにしなければいけません。

3人それぞれの好みに合わせて、「羊が引く車,鹿が引く車,牛が引く車をあげるから今すぐ外に出てきなさい!」と呼びかけます。実際に車は無くても、火事場から救われた子供は「騙された!」と怒ったりはしないでしょう?というお話。

声聞,縁覚,菩薩とそれぞれの立場の違いに合わせて(仏教の)教え方は違うけれども、目的(苦しみから救う)は同じなのだよ、ということのようです。牛に引かれて善光寺参りという逸話もありますが、関係があるような気もします。

信解品第四は、釈迦の例え話を受けて、シャーリプトラが例え話をして謝意を表しています。大富豪の子供が親と生き別れになり、貧しい暮らしをしておりましたが、偶然再会します。そして大富豪のもとで働くことになります。糞尿の処理などの仕事を何年とさせ、自分の死期が近づいたときに人を集めて実の子であることを告げました。いわゆる3Kと言われるような仕事をしていても、いつか見ていろ!みたいな気持ちにさせるお話です。

大富豪が子供にいくら自分と同じ豊かな暮らしをさせようとしても、子供は拒み続けます。仏の教えを前にして、すぐに信じようとしない凡夫を意味しているようです。シャーリプトラはこの富豪が如来だと言っているのですが、大富豪は贅の限りを尽くした生活をしていますし、子供が自分のところから逃げないように金で釣っています。仏教という心の豊かさを金銭的豊かさに例えているところに違和感を感じます。

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薬草喩品第五では、前章の最後に詩を詠んだ弟子のカーシヤパに呼びかけながら、釈迦が語ります。今度は、仏教の修行をする者を薬草に例えています。苦悩の世界を破壊する王である如来は、山,川,谷,草木など地上のあらゆる物に雨が潤いを与えるように、法雨を皆に等しく与える。その人それぞれに合わせた形で。

ここでもやはり薬草を3種類に分けて、修行のレベルが3段階あることを示しています。

授記品第六では、弟子のカーシヤパやスブーティ,カーティヤーヤナ,マウドガリヤーヤナが未来に悟りに達することを予言しています。

化城喩品第七では、はるかな過去にいたという大通智勝如来のことを世尊が比丘たちに語っています。
大通智勝如来は、十方の諸梵天の王と、十六人の王子の願いを受けて、四諦(苦・集・滅・道)と十二の因縁(無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死)の法を語った。十六人の王子は菩薩となり、さらに悟りを得て仏となり、現在八方の国土で法を説いている。西方にあるのが阿弥陀仏。東北方が私(釈迦牟尼仏)だ
と世尊が言いました。

さらに世尊は比丘たちにお城の例え話をします。
五百日行程の険しい道を旅する人々がいて、その先の宝の地を目指している。しかし人々がくじけそうになったので、行程三百日の所に導師が方便の力(魔法?)で美しい城を出現させた。この城で人々が十分に疲れを癒したところで、導師はその城を消し去り、「これはあなた方の疲れを癒すための幻の城でした。仮の安息を離れて、先へ進みましょう」と言った。これと同じように、「仏の道がはるかに遠い」と人々が諦めないように、仏は今まで声門、縁覚、菩薩の3つの段階に分けたのである。

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五百弟子受記品第八では、「説法第一」といわれるプールナをはじめ、多くの弟子たちが仏となる日を告げられて、大喜びします。
そして言いました。「自分たちはいずれ仏の知恵を得ることができるのに、そこまで至らない小さな知恵で満足していました。例えて言えば、友達の家で酒を飲んで寝てしまっている間に衣服の襟に高価な宝玉を密かに付けてもらったようなものです。眠りから覚めて、衣食に困り、少しのものを得て満足しておりました。今、衣服の襟の宝玉をお金に代えればいいことを知らされたようなものです。」

授学無学人記品第九では、アーナンダとラーフラが記を受けるところが書かれています。アーナンダは釈尊の身近にあって一番多くの教えを聞いた者(多聞第一)とされています。そのため仏教経典ではアーナンダが聞いたことを書き取った内容が一番多く、秀才ではなかった彼が普通の人に近い視点で述べている点はとても重要です。ラーフラは釈迦の実子で、修行において不言実行をなし、密行第一とされています。

法師品第十では、薬王菩薩に世尊が語ります。ここで、多くの教えを説いてきた中で法華経が一番であること、ただし最も難解なので迫害を受けるだろうけれども仏が守りますよ、と言っています。

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見宝塔品第十一では、金銀で飾られた宝塔が湧き出し、霊鷲山の空中にそびえます。十方世界の諸仏が、釈迦が法華経を説くのを聞くために、集まりました。

提婆達多品第十二では、世尊が国王だったころに仙人として現れて法華経の教えを説いてくれたのがデーヴァダッタだったと書かれています。この人は釈迦と鳥を取り合ったり、教団を乗っ取ろうとしたり、ユダみたいな役どころですね。ところが法華経ではこういう悪人でも仏になれると説いています。ダイバダッタと言えば、死ね死ね団と戦うレインボーマンの歌に出てきた人ですね。

後半は文殊菩薩が現れて、海の世界の八歳の竜女が法華経の力で悟りに達したことを話します。「女の身は穢れ多く、法を受けるにふさわしくない」という当時の常識(無量寿経にもあるらしい)を法華経は覆していることになります。

勧持品第十三では、「この教えをどんな苦難にも耐えて伝えていきます」と、多くの菩薩たちが世尊に誓っています。

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安楽行品第十四では文殊菩薩の質問に答えて、後の世に法華経を説く者が心がけることを述べています。昔の人が説教したこととかなり重なるように思います。

忍耐し、しなやかに語り、粗暴になるな。目に映るものにとらわれずに、空にも有にもとらわれるな。三乗の別があってもその優劣にとらわれるな。相手が男であれ女であれ区別はするな。

世俗の力(国王,王子,大臣など)、異教徒、文芸や歌を楽しむ者、賭け事や遊興にふける者、三蔵に貪著(とんじゃく)する学者、破戒の比丘、名前だけの阿羅漢には近づくな。女には気をつけろ。

美しい衣服、やわらかな寝具、貴重な医薬を求めるな。

嫉妬、へつらい、あざむき、怒り、おごり、いつわりの心を持つな。他人を侮って、長所短所を述べるな。説法のときは、常に柔和にして、忍び、慈しみ、心をゆるめるな。

人々が教えを聞かず心閉ざしているとしても、自分が無上の悟りに達した時は人々を導いていこうと願いなさい。

法華経は、帝王の象徴となる宝玉のようなものである。諸国を平定するときに戦功があった将兵に恩賞を与えるとしても、最後までこれだけは与えない。それを今、伝える。

従地涌出品第十五では、地面の下からたくさんの菩薩さまが湧き出てきます。釈迦が「私が亡くなってからもこの菩薩たちが教えを広めてくれるから大丈夫だ!」と言います。それに対して弥勒菩薩が冷静な質問をします。「釈迦が教えを広めてから40年くらいしか経っていないのにどうしてこんなに多くの菩薩を教化できたのですか?」

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如来寿量品第十六で、弥勒菩薩の問いに答えています。過去についてあまりはっきりと答えていないような気がするのですが、仏の教えはずっと昔からあったという意味なのかもしれません。そして、釈迦がいずれ亡くなると言ったけれどもそれは方便だったのだと告げます。

その方便とは…名医の子供たちが誤って毒薬を飲んでしまいました。父はその解毒となる妙薬を処方し子供たちに飲ませますが、毒がまわっておかしくなった子供は飲もうとしません。そこで、「私は死期が迫っている。この薬は良薬だから飲みなさい。」と言い残して旅に出ます。そして「父は死んだ」という使いを子供たちに送りました。頼るものがない孤児になったと思い込んだ子供たちは薬を飲みました。子らが苦しみから逃れたのを知り、父は帰りました。…例えるとこういうことです!という説明。

これは騙したことにはならないでしょう?と念を押した上で、これと同じ状況だから私も「もうすぐ死ぬって言ったんだよ。私はいつまでも滅びずにここにいる!けれども、方便で出たり消えたりするんだよ。」

分別功徳品第十七では、仏の寿命が永遠であることを信じることが大切であることを重ねて強調しています。五波羅蜜(六波羅蜜から智慧を除いたもの:布施・持戒・忍辱・精進・禅定)よりも、信じることの方がずっとずっと大切だと教えています。

随喜功徳品第十八では法を聞くこと、また一人でも多くの人に法を聞かせることが大変な功徳になると言っています。

私としては日々の行いを正すことの方が大切だと思っていたので、かなり意外です。

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法師功徳品第十九で、この法華経を持って、読み、人に広めるならば、六根(眼耳鼻舌身意)が清められる、と説いています。

経常不軽菩薩品第二十では、かつて常不軽(常に軽蔑された男の意)という者が臨終の時に法華経を得て、さらに長い寿命を得たことが語られています。世尊は「それは実は私なんだよ!」と言っています。

如来神力品第二十一では、地から湧き出た菩薩たちに神力を示しました。仏の力の偉大さを示し、菩薩たちを励ましたのでしょう。

嘱累品第二十二で、法華経の宣教を菩薩たちに委任しています。

この辺は、私としては余り興味のないところです…。

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薬王菩薩本事品第二十三・妙音菩薩品第二十四では、薬王菩薩や妙音菩薩について語られています。法華経の素晴らしい力が語られ、この法華経が諸経の王であることが強調されています。

まだ私のレベルが低いということなのでしょうが、今の私に必要なのはこの経典ではないなと思い始めています。この章は、このくらいの記述に留めます。

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観世音菩薩普門品第二十五では、観世音菩薩について語られています。観音経として単独で用いられることが多いようです。怪人二十面相の約1.7倍の変装能力(?)を持ち、ピンチに際してその名を呼ぶ人あらば、いつでもどこでも最適な姿に変身して現れるスーパーヒーローです。ヒーローの原点がここにあるように思います。

ただ、ウルトラセブンでさえそうなのですが、正義を遂行することは非常に難しいことで、その時のピンチから救ってあげることが本当にその人にとって良いことなのか?というジレンマに必ずぶち当たるはずなんです。勧善懲悪の無敵の超人のお話は痛快でいいのですが、人生はそう単純にはいかない。それに対処する術を私は仏教に求めるいるので…まあ、ヒーローが仏教にも必要だったということでしょう。

以下、陀羅尼品第二十六妙荘厳王本事品第二十七普賢菩薩勧発品第二十八と続いて終りになります。

いろいろ諸説あるようですが、仏教が衰退していく中で布教活動を盛り返すために作られたものという感じを受けました。分派してしまった教団をひとつにまとめて、布教を強化しようという意図が強く感じられます。何度も最高の経典であること、この経典が奇跡の力を持っていることが強調されています。この経典をよりどころとしている宗派の強さはここに由来しているのでしょう。

他の経典も読んだ上で、気になったらまた、この経典に戻ってきたいと思います。

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