昨年、人間としての自分を高めたいという欲求が増してきたのですが、高めるにも方向性がわからない、どっちが上かわからない、目標が決められないと悩みました。
自分が尊敬する人物像というのは昔の日本人の中にありまして、何か漠然としたイメージを目標とし、標語のようなもの作って毎日唱えようと思い立ちました。それって毎日お経をあげる昔の年寄りに似ているなあということになりまして、だったら自分が好きなお経を見つけてそれを読経すればいいな、ということになりました。
それで、最初に取り掛かったのが般若心経。「空」の概念は正確に説明することはできませんが、好きな考え方です。般若心経を暗記している頃に、ある方のブログを拝見していて、自分が求めているものは真言宗と多く重なるようだと感じました。
私の家は浄土宗なのですが、「南無阿弥陀仏」ととにかく唱えなさいという教えです。法然上人の言葉の中には、小難しい勉強なんかしなくていいというニュアンスが含まれていて、物足りなさを感じていました。現世を諦めているような気がする。
日蓮宗系の方にもご縁がありまして、身延山に行ったこともあります。法華経の現代語訳も簡単なものを読み、感想はこのブログにも書いています。でも、自分が求めていることは法華経には書いてありません。
禅にも興味がありまして、禅寺で座禅したこともあります。禅問答の本なんかも読んでみたいと思っていたのですが、「禅問答はただ消耗するだけだ」みたいなことを養老孟司さんが書いているのを読み、手が出なくなってしまいました。
さて、今度は密教概論です。ちゃんと理解するまでには何度も読み返さなければいけないようですが、まず一度読んでみなければ話になりませんので、挑戦してみます。
《つづく》
OD>密教概論改訂新版 OD版
自分が尊敬する人物像というのは昔の日本人の中にありまして、何か漠然としたイメージを目標とし、標語のようなもの作って毎日唱えようと思い立ちました。それって毎日お経をあげる昔の年寄りに似ているなあということになりまして、だったら自分が好きなお経を見つけてそれを読経すればいいな、ということになりました。
それで、最初に取り掛かったのが般若心経。「空」の概念は正確に説明することはできませんが、好きな考え方です。般若心経を暗記している頃に、ある方のブログを拝見していて、自分が求めているものは真言宗と多く重なるようだと感じました。
私の家は浄土宗なのですが、「南無阿弥陀仏」ととにかく唱えなさいという教えです。法然上人の言葉の中には、小難しい勉強なんかしなくていいというニュアンスが含まれていて、物足りなさを感じていました。現世を諦めているような気がする。
日蓮宗系の方にもご縁がありまして、身延山に行ったこともあります。法華経の現代語訳も簡単なものを読み、感想はこのブログにも書いています。でも、自分が求めていることは法華経には書いてありません。
禅にも興味がありまして、禅寺で座禅したこともあります。禅問答の本なんかも読んでみたいと思っていたのですが、「禅問答はただ消耗するだけだ」みたいなことを養老孟司さんが書いているのを読み、手が出なくなってしまいました。
さて、今度は密教概論です。ちゃんと理解するまでには何度も読み返さなければいけないようですが、まず一度読んでみなければ話になりませんので、挑戦してみます。
《つづく》
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