トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

Category:★公文式小林教室 > 「共育でわが子は必ず伸びる」

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先月30日に鶴岡で講演された木全徳裕さんの著書です。公文式では会長の次に有名な方かもしれません。

教室を運営してきた経験、子どもたちやその親たちとのやり取りを熱っぽく語る講演は感動的で、30日の講演も私は楽しみにしていたのですが、結局少ししか聞けませんでした。子どもたちが暴れてしまったので外に連れ出していたのですぅ…

序章「未来をつくる仕事と出会って」を読みました。この本の副題も「“日々感動”の実践から生まれた教育論」ということで、感動に満ちた話がたくさん読めそうです。こういうのくすぐったくて読みにくいけど…まあ、たまにはいいでしょう。

こんなに感動するくらい仕事にのめり込めれば幸せだろうな…頑張ってみよう!


《つづく》

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第一章「子どもたちへの真の財産とは「教育」」を読みました。この章は問題提起ですね。今の日本の教育、これでいいのか!

チャレンジ精神がない。実現するまで夢を諦めないゾという気概がない。今の日本の若者、みんながそうでじゃないだろうけど憂えるべき現状です。挑戦心や忍耐力を育てて、自己肯定感を持たせることはできないのか…

インドでは、小学校低学年の間に[9×9]までのかけ算にとどまらず、[20×20]までを暗算で覚えさせる…数学の分野でも、日本と比べると…インドのほうが1〜2年、先に教えます。…インドの数学教育は、わが国の…文部科学省の新学習指導要領とは、まったく対極にあります。

そして今、インドの大学の卒業生は世界の企業から引く手あまたの状態というわけです。「落ちこぼれ」を出さないように学習量を減らすというのは、国としては自殺行為なんですね。

このことに気づき、実践し、成果を上げたのが、長岡藩の米百俵の話です。これをもう一度、思い起こさなければいけないところに来ているのですね。

《つづく》
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第二章「素敵なお母様への道」の前半を読みました。

「遺伝か、環境か」という章がありました。エジソンの言を参考にすれば、遺伝は1%で環境が99%と言えるかもしれません。

毎日わが子を見ていると、「親(自分たち)に似ているな」と思うことは多々あるので、遺伝が1%というのは低すぎる気もします。が、離れて暮らしているならともかく、我が家は接している時間が多い方だと思いますから、私たちの背中を見て真似しているところがかなりあるのでしょう。

環境(遺伝以外の要素)が圧倒的に大きいと考えることは有益だと言えます。そう考えなければ、子どもの可能性は生まれながらに決まっているのだということになってしまうから。夢も希望も無くなってしまいます。

それは、教育がいかに重要であるか、ということでもあります。

その教育には、「結果ではなく過程の努力を認めてあげること」「認め、ほめ、励ますこと」そして「期待してあげること」が大切である!と書いてあります。

《つづく》
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第二章「素敵なお母様への道」の中ほどを読みました。叱り方について、いろいろ書いてあります。

ちなみに厳しく接する場合、私はいまの事例のように、“叱りながらでもプラスメッセージを入れる”よう心がけています。…「あなたには、こんなにいいところが、たくさんあるじゃないか」というような救いの言葉が少しでもあれば、子どものほうも悪かったことを素直に受け入れやすくなるんじゃないでしょうか。

これは叱り方のバランスということなのかな、と思います。大人に注意する場合も当てはまりますしね。どんな人にも「悪い人」というレッテルを貼らずに、認めてあげて、調整を試みるのが理趣経的取り組み方だと思います。これは、その実践例とも言えそうです。

私は長女を叱った後で、ちょっと感情的になり過ぎたかなと反省し、「昨日はゴメンネ」と言ったことがあります。すると長女は、「ううん、あれはミホちゃんが悪かったんだよ。」と言いました。そのときは泣きわめいて反抗的だった彼女ですが、なぜ怒られたかは理解していたのです。

子供も意外としっかりしているもの。叱られるべきことをしたことに気付いていることも多いのです。だから、叱るべきときには叱ってあげないと、かえってぐれたりするのかもしれない。そして叱るならば、大人に接するのと同じように反抗を煽るような言い方はするべきではない。

子育ては20年弱かけて社会に貢献できる人材を育てていく大事業というフレーズ、気に入りました。

《つづく》
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第二章「素敵なお母様への道」の後半と第三章「私が選んだ教育法「公文式」」の前半を読みました。

脳卒中や事故などで障害を持ってしまった人や少年院の人が公文式をやっている例が紹介されていて、興味深く読みました。もちろん前者はリハビリのため、後者は更正のため行っているわけですが、予想以上の効果を上げているとか。

学問というのは人間が作り出したものだし、少なくとも最初に道を切り開いた人は嬉々としてやっていたはず。だから人間なら誰でも本来は楽しくできるはずなのです。少年院の少年たちも誰の力も借りずに問題を解いて満点を取っていくことによって、人に認められ、自分を認められるようになっていく。これは本当に素敵なお話です。

少年院で公文式をすると、子どもたちは国語に一番熱心に取り組み、成績も国語が一番伸びるとのこと。彼らは自分の内面を表現する言葉を持たず、自分を表現できなかったのではないかと分析されていました。

承認欲求は誰にでもあります。自分を表現する術を知らず、したがって周囲から認められることも無く、犯罪を犯すことで注意を引こうとしたとしたら、とても悲しいことです。そういう悲劇を防ぐ可能性が、公文式には確かにあると思います。

《つづく》
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第三章「私が選んだ教育法「公文式」」の中ほどを読みました。

公文式の創始者である公文公さんが、この教育法を生み出す過程が書かれています。それについては以前も書きました。

公文さんがいちいち息子さんの勉強を見てやれないからという理由で、たまたま出来上がった教育法のような気もするのですが、この偶然が奇跡を生んだという感じがします。

以下は私の憶測ですが、公文式の勉強法は寺子屋に似ているんじゃないかという気がしています。学年とかカリキュラムという概念がなく、年令の違う子どもが一緒に、一人の先生から習う。おそらく、それぞれが課題に取り組み、出来たら先生に見てもらうという形式だったと思います。読み書き算盤(国語・数学)が中心。

とすると、江戸時代の勉強方法、近代以前の学習方法ということになるのですが、江戸時代の日本の教育水準というのは高かった。庶民がパズル感覚で、計算問題に取り組んでいたらしい。今の脳力トレーニングなんかよりずっとレベルの高い問題。

明治以降に導入した西洋式のやり方のほうが優れているという根拠は無いのではないでしょうか?少なくとも、一斉にクラスの皆が同じ講義を聴くというやり方が、良い方法だとはとても思えない。

その欠点を補う方法として、公文式は必要なものなのかもしれない!と思うようになりました。

《つづく》
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第三章「私が選んだ教育法「公文式」」の後半を読みました。

公文式で勉強することで期待できる効果が挙げられていますので、列挙します。

学年を越えて学習することで、謙虚さや思いやりの気持ちが芽ばえる:これは、「学年を越えた勉強なんて分かるんだろうか?」という不安を抱きながらも、教材の中に隠されているヒントをもとに、挑戦し解決していくことで自信と余裕ができ、謙虚さと思いやりが出てくるというもの。「弱い犬ほどよく吠える」と言いますが、自分に自信がないと他人に対する優しさも出てこないということですね。この優しさは礼儀正しさにもつながっていきます。

どんな山にも我慢して挑戦し続ける気持ちが養える:教材に取り組み、分からなくても教材の中のヒントを探して頑張り、満点が取れるまで、より速くできるまで、繰り返し挑戦し、必ず最後は満点(成功体験)を取る。

脳が活性化される:これは、脳トレで有名な川島隆太先生の研究成果です。ポジトロンCT(陽電子断層撮影装置)で脳のどの部分が、どのくらい活性化しているかを見ることができます。その結果、難しいコンピューターゲームをするよりも、単純な計算や音読をしているときの方が脳が活性化している。公文式で盛んに訓練する「読み書き計算」の良さが証明されました。

ほめ育てがしやすい:公文式ではプリントを何枚も解きますから、例え同じ課題を繰り返しやっているとしても、「昨日よりも正解が増えた!」とか「昨日よりも速くできた!」とか、ほめる材料に事欠かない。「頑張ってるね」とか「できるね!」とか、漠然としたほめ方でごまかす必要がありません。

成功体験を繰り返すことにより、自分で見通し(目標設定)を立てられるようになる:これはそのまんまですね。

《つづく》

自分の脳を自分で育てる
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川島隆太の自分の脳を自分で育てる
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第四章「お母さんがたの疑問・質問にお答えして…」の前半を読みました。公文式に対するお母さんがたの疑問に対するQ&Aがいくつか紹介されています。

本の内容からは離れますが、前回書いた礼儀正しさに関連することをテレビで見ましたので、書いておきます。

先日、所さんの「笑ってコラえて!」という番組を仕事先で見ていました。新潟のパティシエ専門学校の生徒さんが、最も尊敬するパティシエ鎧塚俊彦(トシ・ヨロイヅカ)さんに会って、指導してもらうというものでした。

技術は大切だけれども、土台がもっと大切。土台がしっかりしていれば、仕事を続けていくうちに技術はひとりでに身に付いてくる。土台というのは、掃除とか挨拶とか…そういう基本的なこと。あなたが本当にここに来たら、最初はお菓子作りなんかさせないよ。土台作りをしてもらう。それが出来てきたら、初めてお菓子に触らせてあげる。「やっとお菓子作りができる!」と思うから、お菓子にも愛情が湧いてくる。

というようなことをおっしゃっていました。いい話です。

公文式も、土台作りを意識することで生きてくると思います。最初に焦らず土台を固めることで、後からどんどんひとりでに力が付いてくるようです。

《つづく》
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第四章「お母さんがたの疑問・質問にお答えして…」の後半と第五章「子どもたちに夢を!」の前半を読みました。

松下幸之助さんの「人生心得帖」からの引用がありました。その一部をさらに引用したいと思います。

《以下引用》私は、成功とは自らに与えられた天分を完全に生かしきり、使命を遂行することだと考えます。したがって、成功の姿は人によって皆異なります。ある人にとっては大臣になってその任を果たすことが成功となり、また、ある人には靴屋さんとして周囲の人に役立ち喜ばれることが成功になります。《引用終わり》

これを読んで、誰かの言葉(有名な小説の一節だったかもしれない)を思い出しました。「幸せな家庭はどこも皆同じに見えるのに、不幸せな家庭はどこも皆違って見える」…成功の形は人によって違うと言う松下さんと反対のようです。

私は、松下さんに軍配を上げますけどね。人それぞれ、皆違うんですよね。幸せな家庭が同じに見えるのは、他人の幸せなんて興味がないから詳しく話を聞かないだけでしょう。他人の不幸は隅々まで詳しく聞きたがるのが人情です。

松下さんの話は好きです。こういう考え方にうなづきながら、日本人は高度経済成長の道を歩んだなあ、と思います。でも、松下政経塾出身ですごい人だなあ〜という人には、まだお会いしたことがないです。

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第五章「子どもたちに夢を!」の後半を読みました。

「教育とは、魚の釣り方を教えるのであって、魚を与えることではない。」

この言葉、以前どこかで聴いて気に入っている言葉なのですが、この本にも出てきました。木全さんのオリジナルなのか分かりませんが。要するに、教育とは自立させることなのですね。

子どもがたくさんいて親も忙しかった昔は、子どもに手が回りませんでした。いちいちやってあげる余裕が無かった。だから自然と「あとは自分でやってみなさい」ということになったわけです。十分に与えられなかったから、釣り方を教えるしかなかった。

ところが少子化ということになると、魚を与えようとする人がたくさんいる。我が家でもそうですが、お爺ちゃんお婆ちゃんの子守りは与えることが主になりがちです。孫の可愛さは格別だそうですから、魚を与えてしまうことが優しさだと勘違いしまうのでしょう。

公文式は、読み書き計算という「釣り方」の訓練と言えます。自立を目指して、あるいは自分の目標に向かって、「釣り方」を習得するまでとにかく諦めずに頑張る。いち早くできるようになって、できなくて困っている人に教えてあげる。あるいは助けてあげる。そういう生き方が身につけば、最低限でも親としての務めを果たしたことになるんじゃないでしょうか?

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