トトガノート

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数学教材

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J教材の60番まで終わりました。11番から続いていた因数分解も60番で終わります。

因数分解のいろんなテクニックが次々と出てきて、終わってみるとなかなか楽しかったなという感想です。

例題の形で因数分解のあるやり方が紹介され、それに続く問題は例題をまねて解いていくときれいに解けるようになっています。その解き方で解く問題が何問か続いた後、次の例題がまたあって、別の解き方を紹介する…

同じ問題でも、何通りかの解き方で解ける問題があります。いくつかの解き方が身についてくると、「解き方が違うと、結果は同じとしても、途中経過はどんなふうに違うんだろう?」と気になったりしてきます。そうすると、同じ式を3通りの解き方で因数分解させる問題が用意されていたりします。

学生時代も気になりましたが、面倒なので、別の解き方で解いて比較するなんてことはしませんでした。こんなふうな問題を用意してくれるのは気が利いていると思います。

最後の方の問題はなかなか難しかったです。x^3+(2a+1)x^2+(a^2+2a-1)x+(a^2-1)は、aで整理するという条件づけ(ヒントというべきか)があったので、(x+1)a^2+2x(x+1)a+x^3+x^2-x-1という形になりました。が、この先どうしたらいいか分からず、x^3+x^2-x-1にはx+1が因数として必ず含まれているはずだと考え、まだ習っていないはずの多項式の除算(x^3+x^2-x-1)/(x+1)を計算して解きました。邪道です…。

こんなことやってたので、最後の5枚は2時間近くかかりました。でも、面白かった。

【グラス片手に大人の公文】数学〔J-060〕
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J教材の40番まで終わりました。

11番から因数分解がずっと続いています。苦手な方にはウンザリかもしれませんが、因数分解は数学では必須のテクニックです。数式を見ると、「ここ因数分解できそうだな…」と自然に考え始めるくらいまで習熟すべきです。それにはトレーニングしかないと思います。

一目で共通因数がわかる簡単なものから始まって、公式でできるもの、たすき掛けを使うもの、と徐々に難易度が上がっていきます。40番までには、3x^2-7xy+2y^2-11x+7y+6 というような、たすき掛けを2回使う問題もでてきます。

階段を一段上がる時にはつまづきそうにもなりますが、例題を参考にしながらやってみて、できたときの快感は最高です。「高校教材は面白いんだよ」という話をよく聞きますが、こういうことなんだなと思いました。

私は学生の頃から単純なミスが多いので、式はなるべく端折らないで何行も書いていくように心がけています。当然、上の行をただ書き写すだけの部分が多くなりますから、エンピツは速くなります。それを見ていた長女が「スゴイ!」と言ってくれました。

やってて良かった、公文式!

【グラス片手に大人の公文】数学〔J-040〕
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J教材の20番まで終わりました。

10番までは文字式の展開、20番までは因数分解です。作業中にボーっとすると、展開する問題で途中から因数分解をしてたりします。気がつくと、最初の式が導き出されていたり…「ふりだしに戻る」です。

一連の計算に慣れてきたところで、例えば(x+a)(x+b)=x^2+(a+b)x+abという公式が出てきて、これを用いて更に複雑な計算を公式を用いて簡単に計算する問題が出てきます。

一般の問題集のように突き放した冷たさがありません。「おや?」と壁にぶち当たることもありますが、問題の配列に文脈があるので、前後の問題の文脈がヒントになって解ける時があります。絶妙なスモールステップだと思います。

【グラス片手に大人の公文】数学〔J-020〕
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新「公文式算数のひみつ」の「第七章 公文式への疑問に答える」を読みました。(小林教室収蔵

以下の質問が取り上げられています。公文からの公式の回答は本書を見ていただくとして、小林教室を見ていての私の考えを書いておきます。

1.勉強ばかりできる子にするよりは、情操を豊かにすべきではないか。

→そういう人ほど、なおさら公文ですね。公文は勉強ばかりじゃないですから。お友達と声をかけあいながら頑張り、目標達成して喜び合う。もっとも勉強もしないと情操も豊かにはならないんじゃないでしょうか?

2.「やる気」がない子にさせてもしかたがないのでは?

→そう言ってしまえば人生諦めてしまうことになるので、あれこれ考えて導いてあげなくちゃいけないですよね。小さい子ほど、「やる気」を持たせるのは簡単です。公文を始めるのに早過ぎるということはありません。

3.才能がなくて、いくらやってもだめな子もいるのでは。

→これも子供の可能性を閉ざしてしまう考え方ですね。食べる才能が無かったら、何も食べさせないんでしょうか?何事もやればやっただけのことがあるんじゃないでしょうか。やっているうちに花開く才能もありますし。

4.計算はできるが、文章題はできない?

→それは国語力でしょ。

5.受験がせまり、じっくり学習する時間がないのだが。

→試験には応用問題しかでないから基本をやってる暇がない。取りあえず受験の時だけいい点を取れば志望校に入れるのだから、入ってから基本をやればいいじゃないか?という考え。気持は分かります。でも「急がば回れ」だと思います。受験を前にしても基本に戻る勇気をもてるかどうか。

6.教育は、いつからどのように始めるべきか

→2.でも書きましたが、早過ぎるということはありません。生まれてすぐでも可です。方法については、「子育てちえぶくろ」という企画もありますので、教室に御相談下さい。

《最初から読む》
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新「公文式算数のひみつ」の「第六章 公文式が世界に広がるひみつ」を読みました。(小林教室収蔵

この章では海外での事例が紹介されていますが、詳しくは本書をご覧ください。

最初に紹介されているアメリカ・オクラホマ州のタルサ校(University of Tulsa School for Gifted Children)に関する内容をメモっておきます。タルサ校では数学教具や計算機を用い、より高度な思考訓練や数学の論理を理解させることを目的とした問題練習を授業の中心にしてきたそうです。

《以下引用》
しかし、ホリングスワース校長は、あることに気づき始める。それは、小学校では、ある程度の点数がとれても、中学、高校と進むにつれ、数学の成績がふるわなくなってくるということ。そして、思う。もしかしたら、生徒たちに、基礎的な数学概念を身につけさせることができず、数字を自由自在に扱えるレベルにまで導いていくことができていないのではないだろうかと。
《引用終わり》

最近お気に入りの、勉強をスポーツに置き換えるやり方で考えてみると、ボールを碌々扱えないのに作戦とか戦略ばかり練っていても勝てませんよ、ということかと思います。

《つづく》
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新「公文式算数のひみつ」の「第五章 ここまで進んだ優秀児のひみつ」を読みました。(小林教室収蔵

この章も実例紹介がありますが、詳しくは本書をご覧ください。

公文式では優秀児の進度をランキングして一覧表(進度一覧表)を作り、表彰したりしています。この進度一覧表の1974年からの推移を比較しているところが興味深かったです。当然、どんどん先に進む子供が増えています。それは毎回記録更新されるオリンピックのようです。

《以下引用》
たとえば、人間の肉体の可能性を追求するのがスポーツであるなら、教育は、人間の知的可能性を追求するものであると、私は思う。子どもにどのような学習をさせれば、どこまで伸びていけるものか。学習の方法をどのように工夫すれば、さらにどのように伸びていけるのかを、あくことなく追求していくのが、教育の課題ではないだろうか。
《引用終わり》

私が子どものころは受験戦争などと言われ、過当競争が問題視されていました。その反動なのか、その後ゆとり教育で生まれたゆとりは運動部での競争に費やされたような気がしています(地域差もあるでしょうけど)。運動部で活躍して推薦入学を狙う人が非常に増えたような気がするのです。それは、受験戦争が勉強から運動に移ったに過ぎないのではないか。

子どもとは成長する段階のことであるし、より大きな成長を望むのが親であるし、そこに競争が生じるのは不可避だと思います。それはスポーツも勉強も同じ。

要は足の引っ張り合いとか、ネガティブな方向に行かなければいいのです。

《つづく》
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新「公文式算数のひみつ」の「第四章 高校でだんぜん強くなるひみつ」を読みました。(小林教室収蔵

この章は、7A〜Vまでの各教材についての説明です。それぞれの教材の成り立ちや、随所に施されている工夫なども簡単に紹介してあります。

私も正式な会員として(つまり会費を払って)、これまでG・H・I教材(中学教材)をやりました。幼児の段階から小学教材をさせることの有効性は我が子で実感していますし、中学教材については自分でその良さを感じることができました。ところが高校教材は、まだ未知の領域。

《以下引用》
因数分解、方程式、諸々の関数、解析幾何などから、微分・積分へと学習を進めていく。高校数学のために本当に学習しておく必要のあるものを、小学校、中学校の学習内容から精選して制作している公文式の教材も、高校教材については、その全体を取り込んでいる。
《引用終わり》

事務局の方も「高校教材からがいいんです」とおっしゃいます。でも、高校教材以降まで進む人は5%程度とおっしゃってたような気がします。「だから公文式の本当の良さを感じて下さっている方は非常に少ない」と。

実際問題、中学・高校と進学していくと、諸々の事情がどんどん増えまして、勉強する暇が無くなってきます(笑)。会社で偉くなるにつれて仕事をする暇が無くなってくるのと同じだと思います。だから、暇な幼児のうちに勉強を進めるとこまで進めておきましょう!というのが、幼児の父としての実感であるわけなんですけど。

高校教材はどんなものなのか…。

現在、国語の中学教材に取り組んでおりますので、国語の最終教材(O教材)まで終わったら、数学のJ教材に取り組む予定です。

先日、「パパを追い抜いてやる!」と長女から宣言されました!

望むところです。本当に。

《つづく》
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新「公文式算数のひみつ」の「第三章 東大へ現役で合格できるひみつ」を読みました。(小林教室収蔵

公文式に限らず、勉強することの目的が「東大」というのは寂しいことですが、その先にある大目的への通過点として、東大現役合格はひとつの目安にはなるでしょう。この章のタイトルは、その程度に抑えておいて…

その華々しい通過を達成した、松本君の手記より。
《以下引用》
…公文を学習した人は計算が速いといいます。たしかにそうでしょう。でも、それは開発された能力の一部にすぎません。“速く”なったのは計算だけではなく、読む力、書く力、すべてを含めた“処理能力”なのです。僕が公文で身につけたもの、それはこの処理能力なのです。

この処理能力は、勉強面だけでなく、社会に出てからもきっと役に立つことでしょう。

ですから、公文をやったからといって、だれでもすぐに成績が上がるというのは、かならずしも正しくないように思います。

公文の数学を学習しても、かならずしも知識は身につきません。処理能力、知識吸収力が身につくのです。

この処理能力を持って勉強したとき、ほかの人の半分の時間で、同等以上の成果をあげることができるのです。これは非常に大切なことです。高校入試、大学入試においては、この能力の差が、結果に大いに影響するのです。
《引用終わり》

単にこの次のテストで良い点を取るための勉強法(あるいは学習塾)というのもあると思います。でもそれは、病院で言ったらターミナルケア(今日明日を楽しく過ごせればいい。元気に退院することはできない。)に似ています。あるいは、魚を与えるか、魚の獲り方を教えるか、の違い。要するに、目先だけを選ぶか、将来を選ぶか、です。

次は久野君の場合。彼は、自分なりの勉強法(独自のノートなど)を開発し、授業はちゃんと聞きながらも内職。
《以下引用》
・・・小学生の場合、算数の文章題が苦手という例があるが、そのような子どもたちはほとんど例外なく国語力、とくに読解力が不足している。久野君の場合は、早くから国語力の充実をはかっていたので、「考える数学」を勉強していくためにも、鬼に金棒だったと言えるかもしれない。…

「…学校と同じことを、同じかたちで一斉授業としてやるのは、無意味だと思ったんです。だから一般の塾や進学塾はもちろん、予備校にも行かなかった。自分からする勉強がいちばん大事だと思うんですよ。」

…一斉授業が、クラスの全員にいつも「ちょうど」とはかぎらない…。生徒の立場から言うならば、わかりきった授業など聞く必要はないし、反対に、わからない授業など、聞いてもしかたがないのである。
《引用終わり》

最後は鈴木君からのアドバイス。
《以下引用》
・・・勉強をたとえると、学校は正規のクラブ活動で、講座のメニューを組んである一般塾は、朝練習のようなものである。放課後のクラブ活動も朝練習も、まじめにやるのは当然だ。

しかし、他人に差をつけようと思えば、寝るまえの腕立て伏せや、人知れぬボールの投げこみがものを言うではないか。自分に妥協せず、体力づくりをする場所として、公文が適していると思う。
《引用終わり》

私も、公文は体力づくりに似ていると思います。野球やサッカーといったそれぞれの競技に特化した種々のメニューを網羅しているものではありません。しかし、どの競技をするにも共通して求められる体力や運動能力をつけるメニューだけが厳選され、難易度ごとに準備されています。

国数英を体育と同じ技能教科と捉える見方もあります。

《つづく》
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新「公文式算数のひみつ」の「第二章 計算だけで数学力がつくひみつ」を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用》
ここで断っておかなければならないが、学校で勉強する内容をすべて、「あれも、これも」取り入れて、わが子に学習させようとするならば、一日わずか30分の学習で、小学生のうちに方程式に到達することなど、ほとんど不可能であろう。
《引用終わり》

これは公文式の創始者公文公さんが自分の息子さん用に問題を選ぶ際に心がけたことです。そして、それは現在の公文式の教材の特長ということになります。

そのため、一見、計算問題のみに公文式は偏っているのではないか?という批判があるのも事実です。

《以下引用》
「いずれにしても、計算問題であれば、多少なりとも時間をかければ、機械的に正解が出てくるはずだ。数学において大切なことは、時間がかかってもよいから、自分で考えて答えを見出すことである」と。
《引用終わり》
私も学生時代は、こう考えている口でした。つまり、数学の問題を解くスピードは余り気にしませんでした。

この本でも紹介されていますが、計算のスピードにはかなりの個人差があります。実際の試験では、単なる計算問題も点数の上でかなりのウェートを占めているわけで、計算が速くなっただけでも成績は良くなるはずです。計算問題を軽視する、解く速さを重視しない考え方は現実的ではありません。

さらに、
《以下引用》
…計算もろくにできない子どもが、「考える数学」に取り組むなどということが、現実において可能であるとは、とうてい考えられない…
《引用終わり》
単に計算と言っても、割り算を速くこなすには、頭を使って考えないとダメです。約分・通分をしながらの分数の四則混合の計算は、微積分などの高等数学より、ひょっとしたら頭を使ってるような気がします。

図形の問題や証明問題は公文式の教材の中に無いわけではありませんが、ボリュームとして少ないのは私も感じました。でも、証明問題のような論理的思考は論理的な文章に触れることで身についていくもので、国語で養われるという説明も説得力があります。

スランプを打破するために、公文の教室では集中学習を、月に一回くらい行います。これは、いまやっている段階よりも一学年分簡単な教材を、30分間でできるとこまで何枚でも連続してやるというものです。これによって、処理能力(前回は作業力と書きました)が身に付きます。

計算力と、論理的思考と、処理能力。いずれが欠けても「考える数学」などできないのではないでしょうか。少なくとも「数学に計算力は要らない」とは誰も考えませんよね?

《つづく》
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新「公文式算数のひみつ」の「第一章 幼児でも方程式が解けるひみつ」を読みました。(小林教室収蔵

この章では、幼児で方程式が解けるようになった達弥くんの例を紹介しながら、公文式算数について説明しています。

幼児が方程式を解く意味があるのか?という質問を私もよく受けます。私も最初はそう思っていました。でも、最近は「幼児だからこそ方程式なんだ」と思うようになってきました。うちの娘はそこまで行きませんでしたが、誰でもそこまでの目標設定を(少なくとも目標設定だけは)した方がいいと思います。

松田さん(達弥くんのお母さん)もそうでしたが、
《以下引用》
「文字や数など、勉強と言われるような分野のことを幼児期からさせることは、無意味であるばかりか害になることが多い。勉強は、自然にできるようになる状態が整う小学校まで待つことが、いちばんよい」
《引用終わり》
という考えは、今でも意外と根強いです。スケートとかゴルフとかピアノとかに関してなら、幼児のうちに始めた方がいいと言われて疑問を持つ人は、真央ちゃんや遼くんのおかげでいなくなったと思うのですが、勉強に関しては意外と、未だに…です。

幼児期にいろんなことをさせた方がいいというのは、大脳生理学の方面からも言われていて、幼児教育の塾が公文式以外にも最近増えてきました。

前述の幼児教育に対する思い込みへの反論の一つとして、記憶力は0歳から6〜8歳までがピークである(本書より)ということ。脳が最も刺激を求めている時期に知的刺激を控えるというのは何とも勿体ないことです。

反論の二つめとして、幼児は暇なのです。遊ぶことくらいしかすることが無いのです。だったら、「遊びとしての学習」をやらせればいいのです。「遊び」と「学習」を区別するのは大人の感覚(思い込み)であって、幼児には(というより本来は)その区別がそもそも有りません。

反論の三つめとして、幼児は繰り返しが大好きです。同じ本、同じアニメ、を何度も繰り返して見ます。そして同じであることを確認して喜んでいるようです。「学習」も繰り返しが大事なのですが、大きくなるにつれて同じことの繰り返しは嫌うようになります。そうならない幼児期に、反復しないと身につかないことは一つでも多くやらせておいた方がいい。

そのやらせておくこととして、公文式の教材が適している点のひとつが、教科書の内容の「すべて」を盛り込んでいないことです。反復が効果的な内容だけを抽出していると言っていいかと思います。

極端な言い方をすれば、やり方だけを幼児のうちに暗記(純粋に暗記ばかりでは無いけれども)させるということです。意味は分からないけど方程式を解くだけならできます、という状態で小学校に進学すれば、授業の時は意味だけを考えていればいいのです。

公文式では、同じプリントを何度も解かせて、莫大な枚数を処理させます。これで身につく作業力が素晴らしい。うちの長女(新小学一年)は、本屋に行くと問題集を買って欲しいと言い、うちに帰るとすぐにやり出します。作業力のおかげで、すぐに一冊終わります。「遊び」の感覚のようです。

このように他社の教材に果敢に挑戦するようになるので、公文式の教材に「すべて」が盛り込まれる必要は無いのです。

むしろ「すべて」が盛り込まれていたら、公文式だけでウンザリするボリュームになって、他の教材にトライする活力は失せるでしょう。

「そんなにしなくていいんじゃない?」と我々に言われながら、得意げに他社の問題集(いずれは小学校で配布されるものなど)に取り組むことで、公文の教材に含まれていない部分が自然と補完されていくようです。

それが公文式のひみつのひとつかな?と最近気づきました。

《つづく》
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