トトガノート

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「ヒトの解剖」

「新・ヒトの解剖」の「解剖のはじまり」(p32〜51)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p48)》
…乳腺の原基は胎児ではわきの下から内股のつけ根まで、おなかにある左右二本のすじ(乳腺)にそって、九対くらい形成される。ふつうヒトではこのうち上から4番目の一対だけが発達して胸の上のオッパイになる。しかし、ときにその上下にも乳腺にそって「副乳」というオッパイができることがあり、「多乳頭症」とよばれる。
《引用終り》

こういう人は結構多いのかもしれませんね。芸能人でも何人かいたような気がします。記憶に新しいところでは、森山未来さん。

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「新・ヒトの解剖」の「解剖のはじまり」(p32〜51)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p39)》
…からだのどの部分であれ、皮はぎをするまえには、まず、その周囲の体表からの観察をすることになっている。かつては、多くの大学で解剖実習とはべつに「生体観察」という実習があり、学生どうしが水着をきて、おたがいに体表から皮下の骨や筋肉などを観察することがおこなわれていた。しかし、現在では、解剖学の授業時間数もへって、医学部・歯学部で生体観察をおこなっている大学はほとんどなくなってしまった(美術系の大学では、美術解剖学という授業があり、生体観察がおこなわれている)。
《引用終り》

お医者さんは外科的に切り開くこともありますが、私たち鍼灸師の場合は体表からの観察しかありません。「生体観察」という実習があっても良さそうですが、ありませんでした。クラスには若い女性もいましたので、残念(?)と言えば残念ですが、こちらの体を見せるのは自信(?)もありませんし…。医学部で行われなくなったのも、授業時間数だけの問題ではなくて、デリケートな問題があったんじゃないかとも思います。

p42に「毛流」の図があります。体毛の生え方には向きがあるというものです。小学校低学年のころに、身体測定とかでパンツ一丁で教室から保健室までクラスごとに移動していたような記憶があります。そのとき、この「毛流」の図のようにきれいにうぶげが生えている人がいました。いつも「きれいだな」と思って見ていたような気がします。これも生体観察ということですねw

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「新・ヒトの解剖」の「解剖のはじまり」(p32〜51)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p38)》
解剖実習では、まず、体表の観察をしたのち、皮はぎをはじめるわけであるが、このとき、遺体によって皮下組織の厚さにかなりの違いがあることを思い知らされる。男女を問わず、やせて皮下脂肪のすくない遺体では、皮をはぐと図2−5の解剖図のとおりに、皮下の神経と血管が筋膜の上に配列し、筋膜をすかして筋肉の走りぐあいまではっきり見てとれる。これにたいし、ふとった遺体では、まったく事情が異なってくる。皮をはいでも、真皮に脂肪が厚くくっついてきてしまうだけでなく、皮下にはまるで「綿入れ」をまとったような分厚い脂肪層があって、皮下の神経や血管はそのなかにうずもれてしまい、筋肉などまったく見られないというありさまとなる。
《引用終り》

私たちの実習は、この作業が終わった後の遺体を見せていただいたので、この苦労は分かりません。ただ、取り除かれた黄色い脂肪の山が置いてあったような気がします。「これを取り除くのがとても大変なのです」と大学の先生もおっしゃっていたような…。

太っていると、死んでからも大変なんですね…

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「新・ヒトの解剖」の「解剖の秘密」(p8〜28)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p26)》
解剖実習室の扉をあけると、そこにはシートにおおわれた数十体の遺体が、防腐液の臭いがよどむ部屋のなかに無言で横たわっている。

そのうちの一体に近づき、黙祷をささげてから静かにシートをとり、ビニールとさらしの布をとりさる。そこには、一糸まとわない遺体が横たわっている。人体解剖の経験がない一般の人たちのなかには、解剖台に横たわる人体から、ヌードのようななま肌や、逆に、轢死体のようなむごい姿を想像するむきもあろうが、現実は、黄褐色の皮(皮膚)におおわれた埋もれ木を見るような感じである。…

解剖をやりはじめたばかりのころは、作業がおわると、ブラシと石鹸で、ていねいになんども手を洗い、それでも臭いがのこっているようで(それはおもにゴム手袋の臭いである)、おちつかないものだが、場数をふむと、さっと手を洗ったくらいですますようになる。
《引用終り》

私たちが行った実習は、東北大歯学部で行われている解剖実習の間に、ちょっとだけいじらせていただいたものでしたから、回数も少ないし、ピンセットやメスで筋肉を少し切り取ってみるくらいのもので、切り開いてあるものを取り出して解剖の本と照らし合わせるのが主な作業でした。

医学部や歯学部での実習では、徹夜に近い状態で遺体のスケッチに明け暮れると聞きました。そうやって「場数をふむと」遺体を前にして、コンビニの弁当も平気で食べられるようになるそうです。

何とコメントしていいか、分からない話でした。

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「新・ヒトの解剖」の「解剖の秘密」(p8〜28)を読みました。(小林教室収蔵

大学で行われる人体解剖は、献体という制度の下で、生前に本人が希望され、なおかつ遺族の反対も無い場合に行われます。

《以下引用(p12)》
死刑囚や行路死亡人を解剖していた時代とちがい、今では解剖体のほぼ100パーセントが篤志家によって提供されるようになり、解剖学実習の雰囲気が大きく変化してきている。すなわち、実習にのぞむ学生も教師も、「よい医師・歯科医師になるように私のからだを使って勉強してください」という献体者のご遺志むくいようと、感謝の気持ちをこめ、その期待にこたえる責任を自覚するようになったのである。それはそのまま、学生が将来医師になったさいに、患者さんにたいする思いやりの気持ちにつながることが期待されるからである。
《引用終り》

実習の時には、身体を提供して下さったこの方は生前どんな生活をされていたのだろう、と思うことがありました。医療関係の仕事に就いていた方がやはり比率としては多いだろうと、大学の先生がおっしゃっていました。この人、ひょっとして生前はドクターだったのだろうか?とか思ったりもしました。

顔には白い布はかぶせてありましたが、チラリと一瞬だけ取れて、お顔が見えた時がありました。その映像は、しばらく目から離れませんでした。

死刑囚だったと言われれば、解剖する方も穏やかではないはずです。死んでからもなお切り刻まれるということになれば、解剖実習も刑罰の一部のように思えてきたりします。行路死亡人だったということになれば、とてもとても気の毒でなりません。

しかし、本人の遺志であったということになると、しかも医療関係者だったとなれば、解剖実習の実態もある程度理解した上での希望なわけです。その上で、これから医師になろうという人たちのために我が身を捧げようというお気持ちには敬服しましたし、「ただただありがたい」という感謝の念を感じた覚えがあります。

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「新・ヒトの解剖」の「はじめに」(p2〜3)を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用(p3)》
いまや、人体解剖学は、医学・歯学・人類学といった専門家だけの独占物ではなく、ひろく一般の人びとのものになろうとしている。医師の立場からも、一般の人びとが人体のしくみを理解し、その構造と機能を充分に知っていることが、最近その重要性を強調されているインフォームド・コンセント、すなわち、患者の理解と承諾にもとづく医療を実現するために、必要な条件となってきている。
《引用終り》

最近、人体の構造を描いた子ども向けの絵本、人体模型付きの本(どっちが本体でどっちが付録か分からない)、オモチャのような人体模型など、よく見かけるようになりました。

私の場合は、仕事上、触察して骨と筋肉の判別ができなければ話にならないので、等身大の骨格模型は購入し、毎日眺めています。患者さんに説明する場合にも有った方がいいのですが、出張専門のため、等身大のガイコツを車に乗せて走りまわるわけにもいかないので、上記の何分の1スケールかの人体模型は有った方がいいかなと日頃思っているところです。

筆者は、一般の人でも解剖実習ができるような設備や制度を確立したいと書いています。そこまでは、どうかな…と思いますが、この本を読み進むうちに考えが変わるかもしれません。

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