あっという間に半世紀も生きてしまった。この期に及んで、我が人生最大の過ちに気づいた。
「謙虚」と「自責」は、やってはいけないのだ。
もちろん、社交辞令はこの限りではない。うわべだけのことなら、やってもやらなくても、どちらでも構わない。しかし、「内心」とか「本音」とか呼ばれる最も内輪の場所にこの二つを持ち込んでは絶対にいけない。
これまでの私は「謙虚」と「自責」を大切にしてきた。普段の私を知る人が納得できないと言うなら「うわべのことを言っているのではありません」と付け加えよう。
もし持ち込もうものなら、心の晴れる日はなかなかやって来ないだろう。おそらく、うつ病への入り口はここいら辺にあるのだろう。
「謙虚」と「自責」は自分自身の自己評価を下げてしまう。心の中で、青空を見上げることができなくなってしまう。
内なる声が繰り返すべき言葉は「俺はすごい!」「I'm good!」
失敗した時には「自分らしくなかった。」「It's not like me.」
これを繰り返すと、心の中の焦燥感は無くなっていく。というよりは、無くなるまで繰り返すと言うべきか。
すると、幾分余裕が生まれて来る。その余裕を取り戻してからの「謙虚」と「自責」は害が少ない。
とにかく、少しでも焦燥感がある時の「謙虚」と「自責」は絶対禁忌だ。
「謙虚」と「自責」は、やってはいけないのだ。
もちろん、社交辞令はこの限りではない。うわべだけのことなら、やってもやらなくても、どちらでも構わない。しかし、「内心」とか「本音」とか呼ばれる最も内輪の場所にこの二つを持ち込んでは絶対にいけない。
これまでの私は「謙虚」と「自責」を大切にしてきた。普段の私を知る人が納得できないと言うなら「うわべのことを言っているのではありません」と付け加えよう。
もし持ち込もうものなら、心の晴れる日はなかなかやって来ないだろう。おそらく、うつ病への入り口はここいら辺にあるのだろう。
「謙虚」と「自責」は自分自身の自己評価を下げてしまう。心の中で、青空を見上げることができなくなってしまう。
内なる声が繰り返すべき言葉は「俺はすごい!」「I'm good!」
失敗した時には「自分らしくなかった。」「It's not like me.」
これを繰り返すと、心の中の焦燥感は無くなっていく。というよりは、無くなるまで繰り返すと言うべきか。
すると、幾分余裕が生まれて来る。その余裕を取り戻してからの「謙虚」と「自責」は害が少ない。
とにかく、少しでも焦燥感がある時の「謙虚」と「自責」は絶対禁忌だ。
コメント